03.品川埠頭、正午 ー 子供、いるでしょ
「地下五階で誰が一番怖かったか。いっちまえよ」
私は目の前の綺麗な目を見つめて言った。
「あんた。断トツで」
男は、私の言葉に面食らったような表情を一瞬見せた。次の瞬間、下を見たと思ったら顔を上げ、優しい眼差しで私を見た。
「品川ダンジョン。あそこは、国家が隠している場所だ」
腹が減った。
オフィスに置いてきてしまった生ぬるいゼロカロリーの炭酸が恋しい。
とんでもない日だ。
目の前のこの男を私は知らない。
バカな上司が死んだ。つい数分前まで、私の隣で半笑いしていた男だ。
この男が上司に発砲していないのは分かっているが、私は灰音の姿を無意識に探した。とにかくこの男の美しい顔の近くにいるのは落ち着かない気分になる。
エレベーターの中で、灰音の背中には過失係数2の数字が見えた。それだけで、灰音がほぼ無垢な人であることは間違いない。
出会った人の中で地味なメガネの灰音が一番過失係数が低かった。
スマホが軽く振動した。
転職活動のメールではなかろうか。
「失礼します」
私は一応男に断って、ポケットからスマホを取り出した。SMSメールを見た。
保育園からの連絡だった。
あぁ、保育園!
そうか……今日は引き取り訓練の日だった。
5歳の二郎と4歳の三郎が保育園で待っている。
お昼ご飯が終わったぐらいに、迎えに行かねばならないことを忘れていた。
7歳の一郎は小学一年生。一郎は学校が終われば学童に行っているはずだ。保育園で二郎と三郎を引き取り、その帰りに学童に寄って一郎を連れ帰り、帰りに4人で少し遠い格安スーパーに立ち寄ろう。物価高で米も買えないから、今日は焼きそばにしよう。
「あ、すみません。状況はわかりました。今日の事故は引き受けNGです」
私は目の前で腕組みをして私を見ている男に告げた。
亡くなった姉の子供3人を私は養わなければならないのだ。だから、バカな上司が嫌がらせで身勝手に決めた降格も、給与の未払いも、子供達の命に関わる問題だから、絶対に許せない。
子供達を餓死させるわけには行かないのだ。
「まだ何か用でしょうか」
私はスマホをポケットにしまった。
「今回の戦闘機の件は引き受けできませんから」
私はそれだけ男に言うと、踵を返して帰ろうとした。大井町演習場から一刻も早く離れたい。
「割りのいい仕事を探しているだろ?」
男の声が追いかけてきた。
「転職先を探していますが、犯罪はお断りです」
振り向いてきっぱり言い切った私に、男が綺麗な瞳を垂れ目にして笑った。
「ふふんっ」
どこか遠くを見ている。
やたら格好いいやつだが、勝手に黄昏てろ。
こっちはまともな仕事を探す必要がある。
「美華斗さま。ここは私が」
少し離れたところでメガネ越しに私たちを見ていた灰音が、割り込んできた。
「いや、貴女に説得されてもお断りですから」
私は灰音に断るように手を振った。
「今日は助かった。俺のところで働いたら、もっと払う」
私は再び踵を返して、歩き始めた。
「今度ダンジョンの中を案内するぞ」
振り向いた私に、男は綺麗な顔を傾けて、ウィンクした。
お前はアイドルか。
「美華斗さまになんて態度ですかっ!」
灰音が差し出した鏡を思わず覗き込んだ私は、驚いた。
私の顔には血がついていた。このままでは外に出れない。
灰音が差し出してくれたティッシュで顔を慌てて拭いた。
鏡の中の私の頭の上に、過失係数10と表示されていた。
私の係数も見えるのか。
私のスーツのポケットの中に、灰音が封筒を入れた。
私は驚いて見た。
封筒が少し重い。
「……子供、いるでしょ?今日のバイト代としてもらいなさい。薔薇咲一族に屈しなかった圭さんには、その価値があります」
前髪がメガネに覆い被さっていて、灰音の表情が見えない。
過失係数が2の灰音が差し出すお金は、悪いお金ではないのだろう。
封筒の中を見た私は驚いた。5万だ。
私は美華斗を振り向いた。
「灰音さん……あれ、何者なんです?」




