第3章 22話 化け物の手
夜の冷気が、肺の奥に刺さる。
孤児院の門の外。
連れ去られた子どもたちの気配は、すでに遠い。
クロウは、仮面の奥で楽しそうに息を弾ませていた。
銀髪の男を前にして、興奮が抑えきれない。
「いい顔だ……」
「その目だ」
「獲物を狙う目をしている」
月明かりの下。
シャルルは、ゆっくりと短剣を構えた。
「……悪趣味だな」
「ガキ攫って、喜んでる暇があるなら」
「さっさと退け」
クロウは肩をすくめる。
「お断りだ」
「やっと“楽しい相手”が来たんだ」
「すぐ終わらせるのは、もったいない」
その背後で、部下たちが再配置に入る。
逃走経路を守るように散り、戦闘態勢を整える。
その瞬間――
塀の影から、小さな影が跳ねた。
「シャルル!」
ルゥだった。
息を切らしながら駆け寄り、すぐに詠唱を紡ぐ。
「……シリィ、お願い!」
『はーい、出番ね!』
精霊の気配が広がり、
シャルルの輪郭が一瞬、夜に溶ける。
「ルゥは援護!」
「俺とレンで、仮面を足止めする!」
「分かった!」
レンが一歩前に出る。
剣を構え、クロウを正面から睨む。
「グレンさん!」
「セリルさん!」
「こどもを、お願いします!」
その言葉に――
グレンの動きが、ほんの一瞬だけ止まった。
兜の奥で、
昨日の言葉が、脳裏をかすめる。
――化け物に守られて。
――かわいそうな子どもたちだ。
そして、
怯えた子どもたちの目。
“オーク”と呼ばれた瞬間の、あの視線。
足が、わずかに重くなる。
「私以外の誰かが行った方が……」
その迷いを、レンが叩き切る。
「……あなたが行かないと」
「あなたじゃないと、ダメなんです!」
強く、真っ直ぐな声だった。
「俺たちは、足止めします」
「だから――」
「助けてください」
一拍の沈黙。
グレンは、ゆっくりとセリルの方を見た。
包帯越しにまっすぐとグレンを見る。
グレンは、前を向いた。
そして――
セリルの手を、強く引いた。
「……行きます」
二人は、夜の路地へと走り出す。
連れ去られた子どもたちの気配を追って。
その背中に向かって、
シャルルが、いつもの軽口で叫んだ。
「必ず助けろよ。化け物」
一瞬だけ、
グレンが止まる。
兜の奥で、
ほんのわずかに、笑った。
(そうだな)
(……化け物が、子どもを助けたって)
(……いいじゃないか)
そう思えた。
*
「よそ見してる場合か?」
クロウが、シャルルへ踏み込む。
刃が交差し、火花が散る。
「――遅ぇよ!」
シャルルの短剣が、仮面の縁をかすめる。
金属に走る、浅い傷。
「ははっ……!」
クロウは、嬉しそうに笑った。
「いい……いいぞ……!」
「そうだ、その殺気だ!」
横から、レンが斬り込む。
正面からの剣撃。
シャルルの死角を補う形。
二人の連携に、
クロウの動きが、ほんの一瞬だけ遅れる。
「いいチームじゃないか」
その隙を突き、
ハルが、間髪入れず敵を縛る。
「《光縛》」
ルゥがシリィに指示をする。
「《ストームブレス》」
風が絡みつき、
部下を蹴散らした。
部下の数人が倒れ込む。
だが、残りの者たちも手練れだった。
連携を取り、包囲を狭めてくる。
レンは歯を食いしばる。
「……時間を稼ぐぞ!」
「追わせるな!」
クロウは、その様子を見て、
心底楽しそうに声を弾ませた。
「いい……」
「いいねぇ……!」
「必死に守る顔ってのは……」
「どうして、こんなにそそられるんだろうな!」
シャルルは、舌打ちする。
「……変態かよ」
「ふふふ」
クロウの剣が、
今までよりも一段、速くなる。
遊びは終わりだと、
そう告げるような踏み込み。
シャルルは、歯を食いしばりながら受け止めた。
「……やっぱ、強ぇな」
「だろ?」
クロウは、嬉しそうに笑う。
レンが半歩、角度を変える。刃が“見えない線”で走る。
それでもクロウは、肩を揺らすだけで外した
クロウの踏み込みが、一段、鋭さを増す。
剣の腹がレンの胸元を捉え――
次の瞬間、レンの身体が宙を舞った。
「――っ!」
背中から、壁に叩きつけられる。
息が詰まり、視界が白く弾けた。
だが、倒れきる前に――
ハルが、もうそこにいた。
「……大丈夫。動かないで」
静かな声。
膝をつき、迷いなくレンの胸元へ手を当てる。
「《癒しの光》」
淡い光が、ヴェールの傷をなぞるように広がる。
砕けかけた衝撃が、ゆっくりと修復されていく。
その瞬間――
背後から、敵の一人がハルへと斬りかかった。
刃が振り下ろされるより早く、
レンが、跳ね起きた。
「――させるかっ!」
体勢も整わぬまま、剣を振る。
浅いが、確かな一撃。
敵はよろめき、地面へ崩れ落ちた。
「……ありがとう」
ハルは一言だけ言い、すぐに視線を前へ戻す。
その間に――
シャルルが、クロウの圧に押され、半歩退く。
「……っ、チッ……」
決定打を入れられない。
かわされ、いなされ、距離をずらされる。
シャルルが距離を取る。
「もう一度……!」
レンが頷く。
「何度でもだ!」
ハルがすぐにシャルルの元へ駆け寄る。
「……回復する」
短く言って、手を伸ばす。
「《癒しの光》」
削られたヴェールが、静かに戻る。
「助かる」
シャルルが、短く礼を言う。
レンは息を整えながら、ハルを見る。
「……ハル、《ブレイブ》を」
ハルは一瞬だけ目を細め、
すぐに頷いた。
「……分かった」
光が、レンの身体を包む。
筋肉に熱が宿り、視界が冴え渡る。
その光景を、クロウは愉快そうに眺めていた。
「能力を上げたところで――」
「届かなきゃ、意味はない」
シャルルがまた、クロウに飛び込む。
手数では押しているように見えるが、決定的なダメージが入らない。
レンは、わざと部下の方へ踏み込む。
レンの殺気が、部下へ向く。
――クロウの視線が、僅かに逸れた。
その刹那。
「今だ――ルゥ!」
ルゥはシリィに素早く指示をする。
『了解っ!』
レンとルゥは役割を切り替えた。
部下へ向かう“ふり”を捨て、狙いを仮面へ戻す。
レンは振り返り、視線でクロウを捕える。
風が、刃となって走る。
「《風刃》!」
一直線の斬撃が、クロウへ向かう。
クロウは反射的に身を翻し、かわす。
だが――
“避ける”という選択をした、その一瞬の隙。
シャルルが、踏み込んだ。
「――もらう!」
短剣が、仮面の縁を掠める。
金属が、甲高く鳴った。
仮面に、はっきりと傷が刻まれる。
クロウは、一拍遅れて、口角を歪めた。
「……へぇ」
感心したように、低く笑う。
「やるじゃないか」
その声には――
明確な“興奮”が、混じっていた。
*
一方――
夜の路地。
グレンとセリルは、
子どもたちの気配を追って走っていた。
眠ったまま歩く小さな足音は、
夜の奥へ、奥へと誘われていく。
セリルは、息を切らしながら言う。
「……こっち」
「まだ、あと少し……!」
グレンは、剣を握り直した。
守る。
今度こそ。
たとえ――
“化け物”と呼ばれても。
夜の闇の奥で、
小さな手を、必ず掴み取るために。




