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世界樹の下でまた会おう  作者: 文鳥
第三章 化け物とヒーロー
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第3章 7話 見られている

 夜明け前。


 巣穴から遠く離れた林の縁で、六人は短く言葉を交わしていた。

 空はまだ暗く、東の端がわずかに白み始めている。


「半分だけだ」

 ジキルが、静かに言う。


「わし、シャルル、グレンにだけ――

 気配を消す精霊魔法をかける」


 宙に浮かぶシリィが、小さく頷いた。


『ここからかけるわ』

『“消えた”って悟られないようにね』


 ハルが、作戦を整理するように口を開く。


「レン、ルゥ、私は……スキルを使わないで近づく」


「足音は殺すけど、スキルは使わないで近づく」

「“気を使っている素人”に見せる」


 レンは一瞬だけ目を伏せ、

 それから、しっかりと頷いた。


「……囮役だとばれないように、だね」


「そうなるね」

 ハルは否定しなかった。


 作戦は単純だった。

 “弱い組”を前に出し、

 “強い組”は、少し離れた位置から完全に消える。

 相手がこちらの戦力差を把握しているなら、

 狙う価値があるのは――

 “狩れそうな獲物”に見える方だ。

 

 シリィが、三人へと精霊魔法を流す。

 

 夜気に溶けるように、

 ジキル、シャルル、グレンの気配が、ふっと薄れた。


 そこに“いない”わけではない。

 ただ――

 感知しようとしても、引っかからない。

 まるで、背景の一部になったかのように。


 レン、ハル、ルゥの三人は、

 慎重に、巣穴へと近づいた。


 草を踏む音。

 装備の擦れる音。

 息を吐く音。

 どれも、意識的に隠しているように見せる。


 巣穴の前に立った、その瞬間。

 風が、ほんの一瞬だけ止まった気がした。


 レンは喉を鳴らすのを堪え、

 視線だけを闇へと向ける。


 何もいない。

 巣穴の奥は、ただ暗いだけだ。


 ――だが。

 闇の縁が、

 ほんの一瞬だけ“歪んだ”。

 岩肌の影が、

 影ではない“別の形”を取ったように見えた。


 影のはずなのに、

 “こちらを向いている”ような奥行きがあった。


 そこに、

 “何かが立っている”という錯覚。


 ハルが、息を止める。

 ルゥの尻尾が、ぴくりと跳ねた。


(……今の)


 確証はない。

 音もない。

 魔力の揺れも、ほとんど感じない。


 だが――

 “見られた”


 その感覚だけが、

 皮膚の内側に、じわりと残った。


 次の瞬間。

 風が再び流れ、

 闇は元の形へと戻る。


 そこには、

 ただの空洞があるだけだった。


 少し離れた林の奥。

 ジキル、シャルル、グレンは、身じろぎもせず、巣穴を見ていた。


「……今の」

 シャルルが、口を動かさずに呟く。


「“出た”か?」


 グレンも、視線を外さない。

 ジキルは、ゆっくりと首を横に振った。


「いるという確証は持てないが」


「……“こちらの様子を、見に来た”ようにも見える」


 三人の気配は消えている。

 だが、それでも――


 “視線だけが、こちらをなぞった”ような、

 説明しづらい感触が残っていた。


「……本当に、賢い相手じゃの」

 ジキルは、低く呟く。


 誘いに乗らず、

 距離も詰めず、

 ただ、状況だけを観測していく。


「長期戦になるな」

 シャルルが、口の端を歪めた。


 夜明けの気配が、

 ゆっくりと森に広がっていく。


 巣穴は、

 今日も沈黙したままだった。


 張り込み二日目。

 巣穴は、相変わらず沈黙していた。


 風は吹き、

 鳥は鳴き、

 草は揺れる。


 だが、巣穴だけが“生き物の気配”を拒むように静かだった。


「……何も起きないな」

 シャルルが低く呟く。


「“いない”のか」

「それとも、“出ない”だけなのか」


 グレンが視線を離さずに言う。


 ジキルは答えなかった。

 ただ、巣穴の闇を見つめ続けている。

 そして――


 三日目の朝。

 巣穴の奥から、

 ぬるりと影が滲み出た。


「……出たぞ」

 低く、シャルルが告げる。


 現れたのは、ゴブリンだった。


 一体、二体。

 やがて、三体。

 いずれも、昨日まで外にいた個体ではない。


 ――確実に“中から出てきた”。

 グレンが息を飲む。


「……昨日まで、中にはいなかったはずです」


「うむ」

 ジキルが頷く。


「少なくとも、巣穴の見える範囲には“入っていく”個体はおらんかった」


 つまり――

「……中で、増えている可能性が高い」

 シャルルが、静かに言った。


 誰も否定しなかった。


 四日目。


 三日目の結果を受けて張り込みは一旦中断され、

 慎重な内部調査が行われた。


 先頭に立つのは、レン、ハル、ルゥ。


 三人は、姿を隠さず、

 巣穴の奥へと足を踏み入れる。


 その少し後ろ。

 ジキル、シャルル、グレンは、

 シリィの精霊魔法で気配を消し、

 影のように付き従っていた。


 “見せる組”と、“見せない組”。

 昨日までと同じ構図だ。


 巣穴の中は、以前とほとんど変わっていない。


 湿った空気。

 狭い通路。

 岩肌に残る古い刃痕。


(……本当に、変わってない)


 レンが、奥へと視線を走らせた、その時。


『……待って』

 宙に浮かぶシリィが、ぴたりと動きを止めた。


『この壁……』


『変よ』


 ハルとレンが、同時に足を止める。

 ルゥが小さく首を傾げた。


「……どこが?」

 レンが小声で尋ねる。


 シリィは、壁の一角を指さした。

 以前、シリィの魔法が当たった辺り――


 だが、そこにあるのは“直された跡”ではない。


 別の、

 “自然を装った痕跡”だった。


 岩肌に、

 細く、鋭い引っかき傷のような線が残っている。

 

『これ……』

『私の魔法で付いた傷じゃないわ』

 シリィは、はっきりと言い切った。


『私が使ったのは風による衝撃よ』

『岩を抉ることはあっても』


『こんな痕にはならない』


 レンは、壁にそっと触れる。

 指先に伝わる感触は、

 わずかに新しい。


「“痕がついた”というより……」

『“ここを誤魔化した”感じがする』


 ハルが、息を呑む。

「……他の傷は、そのままなのに?」


『ええ』

『ここだけ、上書きされてる』


 違和感が、はっきりと形を持つ。

 壊された場所を直したのではない。


 “別の痕で、上塗りした”。

 まるで――

 “ここに何かある”と悟られたくないかのように。


 その瞬間。

 背後で、

 ほんの一瞬だけ、

 空気が“逃げた”。


 レンの背筋に、冷たいものが走る。


(……いる)


 姿は、見えない。

 だが、

 確実に――

 “聞かれている”。


 後方から、

 シャルルの声が、ほとんど息だけの音量で話していた。


「……今、動いたな」


 ジキルも、低く頷く。

「“見ておったな”」


 巣穴の闇が、

 ほんのわずかに“揺れた”。

 だが、そこには何も現れない。


 ただ、

 “こちらの推測が当たり始めた”

 その気配だけが、確かに残った。


 その日のうちに、一行は街へ戻った。

「単独で追う相手じゃない」

 リディは、即断した。


「知能が高すぎる」

「こちらの出方を読んでいる」


「――放置は、論外だ」


 ギルドは、即座に動いた。

 ベテラン冒険者。

 索敵役。

 封鎖役。

 殲滅役。

 複数パーティを束ねた、

 大規模討伐隊の編成が決まる。


「ジキルのパーティには――」

 リディは視線を向ける。


「先行観測と、誘導を頼む」


 ジキルは短く頷いた。

「役目は理解した」


「……ようやく、“狩り”になる相手が現れたのう」 


 巣穴の地図が、机の上に広げられる。


 そこには、

 まだ見ぬ“本当の巣”へ続く可能性が、

 赤い線で引かれていた。

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