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崖っぷちの花は錆びれた聖剣のそばで咲く  作者: 夕山晴


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青い魔法石のゆくえ

 むせかえるようなコーヒーの香り。静寂な店内と、響くコポコポと沸くお湯の音。

 時折鳴る呼び鈴の音は、静かな空間を楽しみに来る客を招き入れていた。

 ブルーノと会話をしにくる客もいれば、新聞を広げて紙をめくるだけの客もいた。もちろんコーヒー目当ての客もいる。

 ——わかっていたつもりだけれど、わかっていなかった。こんな世界があるのだと。


「静かだろう。まあティアなら知ってるか、よく来てくれてるし」

「え、ええ」

「立ってるだけってのも暇だろう? 今日はコーヒーの淹れ方を教えようかな」


 ブルーノの店を手伝うようになって三日。

 元々持ってきた差し入れを勝手に片付けていたこともあり、物の保管場所は覚えてしまった。店内の片付けも、ほとんど必要のない接客も、目立って粗はないはずだ。


 目の前でブルーノが手本としてコーヒーを淹れてくれる。

 覚えないといけないのに、店内の静けさが、私の集中力を阻害する。


「流れはこんな感じだけどね。どうだい? 覚えられそうかい?」

「んー、ちょっとまだ難しいかも」


 眉間を寄せると、ブルーノは「そりゃあそうだ」と肩を揺らした。


「俺がどれだけ店やってると思ってるんだ。まあ別に覚えなくてもいいんだ、元々一人でやってた店だし。向き不向きだってある。俺にはこういう仕事も性に合ってたってだけでなあ」


 淹れたてのコーヒーを手渡してくれて、一息ついた。

 相変わらずコーヒーは美味しいはずなのに、落ち着いた店内の空気が、無性に気になった。

 そんな中、ブルーノが思い出したように手を打つ。


「ああ、少しだけ買い出しをお願いできるか? そんなに重いものじゃあない。あと、これも届けに行ってもらいたいんだが」


 外の空気が吸いたい。そんな気分だったから。

 外へ出る仕事には、すぐに飛びついた。


「それくらい任せて」

「はは、忙しいわけでもないし、寄り道してきても構わないよ」

「そんなことしないわ」


 いってきます、と手を振ると、ブルーノは眩しそうに目を細めた。客として遊びにきた時、そして見送ってくれた時と同じ顔だ。それがなぜか落ち着かず、もう一度、いってきますと言って外へ出た。


 一歩進み出れば、草木の香りが通り過ぎていく。深呼吸して取り込んだ空気は、少し冷えていて、頭も心も冴えた気がした。






 届け物の途中、アランと出会った。


「あ、ティア。今お店に行こうとしてたところだったんだよ。どこ行くの?」


 振り上げられた手と反対の手には、手土産らしきものがぶら下がっている。

 アランが来た道の先を指差した。


「食堂よ。最近ブレンドしたコーヒーを卸してるんだって。知らなかったけど、食堂でもコーヒーが飲めたみたい」


 幾度か瞬いたアランは、意味ありげに微笑む。


「ああ、食堂、かあ……。ま、冒険者はエールを好むからねえ。コーヒーにはあんまり目がいかないかも」

「そうよね、今度頼んでみようかしら」


 私が抱える紙袋に目をやって、アランは肩をすくめた。食堂の方向を一度振り返ったが、その顔はやはり笑みを浮かべたままだ。


「荷物持とうか……って言いたいところだけど、ブルーノさんを尊重して俺はもう行くよ」

「え? どういうこと?」

「いいのいいの。ブルーノさんのとこで待ってる。早く戻ってきてね」

「そう? わかったわ。そんなに時間もかからないと思うし、また話しましょう」


 アランの反応には違和感を覚えたけれど、ほんの少しだ。

 アランと別れた後も、髪を揺らす風と暖かな日差しと、道端で立ち話する人の声が、私の足取りを軽くする。

 何度も通った道。依頼を終え、ギルドへの報告後にいつも寄った食堂には、ずっとお世話になってきた。まだ少し、胸が痛むけれど、いつか、もう少し時間が経てばきっと、懐かしむことができるはずだ。


 食堂の扉は分厚くて、押し板は木の色が白く剥げている。いつものように木目を手のひらで撫でて、ぐっと押し開けると、できたての料理の匂いが鼻を抜けていった。


 少し前の私は、この場所で、フレッドによくパーティへの勧誘をされたのだ。ざわついた店内で、仲間たちと座るフレッドが、度々、私に声を掛けてくれた。

 応えられない誘いだが、それも二度と無い。

 私を見て、大きく振り返る黒髪を、見ることはないのだ。


 ぐるりと店内を見回すと、宝物のような記憶が、幻覚を見せてくれる。

 ああ、ほら、ああいう背格好で、ああいう髪の。


「ティア!」


 短い黒髪が大きく振り向いた。

 見間違えようもないフレッドの姿に、ぎょっとして足が止まる。

 後退りそうになるものの、抱えた紙袋の音が引き留めた。


 フレッドが椅子を蹴って立ち上がる音が聞こえて、反射的に店の奥、カウンターの中の主人に紙袋を押し付けた。

 逃げるように店を飛び出した私の後ろを、足音が追ってくる。


 振り向きもせず慣れた道を走ると、いつの間にか街から出ていた。森へと向かう道だった。手首を掴まれたのは、ちょうど人気の無くなった頃。


「どうして追ってくるの!」

「悪ぃ、でもティアが逃げるからだろ!」


 はあっ、と息を整えてから、顔を挙げると、怒ったような顔のフレッドがいる。

 引退を告げた後、こんな間近に顔を合わせるのは初めてだ。とくん、と胸が鳴ったのはおそらく走った直後だから。


「……驚いたのよ。いつ、戻ってきてたの」

「今朝だ。聞いたぞ、ブルーノの店で働き始めたって!?」

「ええ。今日はコーヒーの淹れ方を教えてもらって」

「——お前は! それでいいのかよ!?」


 どきっとして、浮かべた笑顔が強張った。

 そんな私を畳みかけるように、フレッドが口を開く。


「お前には、冒険者が性に合ってる! コーヒーよりも絶対、魔法だろう!? イーグルを倒した時、絶対楽しんでただろ……! どうやって倒そうか考えるとわくわくするんだろう!?」


 彼が口を開くたび、冒険者の記憶が呼び起こされた。

 上達する魔法。新しく増える知り合いに、アップする冒険者ランク。

 薬草採取の疲労感や、魔物討伐の緊張感、依頼を達成した後の、美味しい食事。

 にぎやかな笑い声に、怒鳴り声ですら、食事の席を彩って。


 ぐっと目を閉じる。


 ようやく必死に、閉じ込めたもの、がだ。

 どっと溢れ出して、止まらない。


「……続けたいわ」


 ぽつりと言った。

 好きだった。楽しかった。

 もちろん危険はついて回るけれども、ただ、私の性には合っていた。


 頭を占めるのは、首都のイーグル戦。

 フレッドがいて、アランがいて。

 守らなければ守られたくない、とそんな思いに駆られることなく、ただ真剣に、これからもあんな戦いができるのならば。


「……でも」


 ポケットの中、手のひらにある石の感触は、いつだって冷たくて。

 握るたびに、喉が詰まる。

 ——そんな手を、石もろとも、フレッドは強引に引きずり出した。


「こんなもの、いつまでも持ってっから……! 捨てられないなら俺が捨ててやる」


 私の手から奪い取った青い石を、振りかぶって彼方へと投げ捨てた。

 空を裁った石は、日差しを浴びて輝き、遠くどんどんと小さくなって。


「……あ、」


 私の目には、過去の思いごと連れ去るように、酷くゆっくりと消えていく。


「辞めるなんて、許さない。俺が何のために冒険者になったと思う!? ティアがブルーノのために冒険者を続けたと言うなら、俺はティアと相棒になりたくて剣を取った!」


 ——それなら、私が、冒険者になったのは。


 寂しくなった私の手に、温かい石が載せられた。それは投げ捨てられた石とよく似た青い——フレッドの瞳と同じ色の魔法石。

 載せられた瞬間、触れられた手が少し震えていた。


「……これ、は……」

「自分ばかり達成感を味わって、ずるいとは思わないのか? 俺を冒険者にしたのはティアなんだ、必ず責任をとってもらう。……この石で」


 混じり気のない綺麗な色の魔法石。首都でも限られた店でしか取り扱いはなさそうだ。

 ……断るかもしれないのにこんな高価な物まで買って。

 呆れた目の先には、期待と不安を隠しきれない、傲慢な子供のようなフレッドが見える。


 ——そう、元々、私が冒険者になった理由は。

 フレッドが憧れたブルーノのようになりたくて。

 それから、強くなってフレッドを守れるようになって。


 まだ少女だった頃に、夢見た妄想は。


「なあ、俺を相棒にしてくれないか?」


 真っ直ぐに見つめられた、強気で、それでいて窺うような瞳に、ぐらりと揺らぐ。


 ——どれもこれも、フレッドの目をこちらに向けさせたくて。



 送り出してくれたブルーノの微笑みが、脳裏を掠めた。

 ああ、あれは全部、お見通しだった。さすが私の元相棒。

 この熱は、もう、閉じ込められそうにない。


 受け取った石をギュッと握りしめた。なお温かく、背負っていた重荷が溶けていく。

 揺れる青い瞳に向かって、頬を緩めた。


「……仕方ないわね。じゃあこの石が割れるまで、そばにいてあげる」

「馬鹿か。この石は割れないんだ。割れる前に交換してやるからな」


 安堵の笑みを溢したフレッドが、今にも泣きそうに見えたから、ぎゅうっと抱きしめた。


 全身で感じたのは——手の中の石と同じ温もり。




 ◆




「ねえ、ブルーノさん。賭けをしない?」

「何の」

「ティアが戻ってくる時、一人なのか二人なのか」


 アランの目の前にカップを置きながら、ブルーノは苦笑した。


「成立するかい?」

「させようよ。おれはもちろん二人のほうに賭けるよ。で、おれが勝ったら、ティアをクビにしてよ」

「俺はティアが一人で帰ってくるほうに賭けろって? じゃあ俺が勝ったら、あの愚弟をこてんぱんにしてやって」

「ハハッ、そんなのお安い御用」


 窓際の席。戻ってくるティアが見えたら出迎えに行ける、そんな場所。

 臨時休業の札を掛けた店内は、がらんとしていた。


「ところで前から聞こうと思ってたんだけどなあ、その少しだけ気を流しているのは、わざとなのかい?」


 アランは目を丸くした。


「わかる? ブルーノさんやっぱり強かったんだ。こうしておけば、弱い魔物は寄ってこないの」

「あー、だから君たちが首都に行った途端、討伐依頼が増えてたんだな」

「そうだったの? ほら奥の森、カークシーの森だっけ。厄介でしょう、あそこはさ」

「ほう。もしかして勇者さまが一掃してくださるとか?」

「いやいや、おれは赤ランクになったばかりのアランだよ?」


 掲げて見せた身分証は、赤い石。

 しっと口元に人差し指を当てておどけてみせた。

 黙って頷くブルーノとともに、何気なく外を見る。

 遠くで、臆病な鳥が鳴いていた。


「——あ、ティア戻ってきたんじゃない」


 遠くに見えた人影は二つ並んでいた。





【完】


お読みいただきありがとうございました!

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