08あかいつるぎ(下)
「それは本当ですか?……少し、考えさせて下さい」
衛兵長はナタリアが頷くのも待たずに立ち上がり部屋の片隅の水瓶へ、よろよろと歩いて行った。手に取ったタオルに水を染み込ませて顔を拭う。跳ねた髪を濡れたタオルで抑えつつ、衛兵長は落ち着きなく室内をうろうろと歩き回っていた。
ナタリアは衛兵長に、城を追い出されかかっていることを告げた。
行き違いが相互に発生していては纏まるものも纏まらない。そんな”声”の助言に従って、ナタリアはやりたいことと現在の状況を余さず彼女に吐露した。
師父の名誉を取り戻すために、国や人に認められたい。
遺言状を取り戻し、師父の声をもう一度聞きたい。
けれど大賢者の弟子として城内に居留を許されていたナタリアは、今や根無し草になってしまい明日の飯にも困る始末。孤児院出身で親族も居らず、頼れる人は帝都に居ない。どうにか援助を頂けないか。
そんなナタリアの赤裸々な告白を聞いて、衛兵長は驚愕したのだ。少女を襲った運命の過酷さは想像を絶していた。落ち着く為には時間が必要だった。
眉間にしわ寄せ、美貌を台無しにしている衛兵長の姿を、ナタリアは虚心で見つめていた。
期待しすぎれば、裏切られる。ならば過剰な思い入れは自らの心を傷つけるナイフにしかなり得ない。
何も考えないように視線を彷徨わせ、じっとナタリアは待っていた。
シュラシュラと魔法の風が体を冷ます音だけが室内の静寂に重なっていた。
幾ばくかの時間が経った。
無意識的に寝起きの乱れたシーツを整えていた衛兵長だが、現実逃避はいつまでも続かない。そのうちに寝起きの痕跡は消えてしまう。やることがなくなった衛兵長は覚悟を決めざるを得ない。
彼女はようやくナタリアに視線を戻した。
「どうやら私が調べた以上に、今回の件は根が深いようです。無学な私の手には余る案件です。最初は単なる遺産狙いのくだらない貴族の欲望の先走りかと思っていたのですが、それならわざわざナタリアを城から追い出すように仕向ける必要がない。というより、余計な動きをすればそれだけ官憲に事が露見する可能性も高まるはずです。一体何がどうなっているのやら……。とにかく、仮宿はなんとか私が工面しましょう。貯金がいくらかあるので、それを取り崩せば、子供一人を養うくらいはなんてことありません」
深刻そうな衛兵長の口調だが、にじみ出る好意にナタリアは頬を緩ませた。裏切られたと人を憎み続けることより、信じ愛する方がよっぽど楽だ。
『ま、見込んだ通りのお人好しで助かったぜ』
「うむ。助かった衛兵長殿。この恩は出世払いで必ず返そうぞ」
『ここで借りは返す、とか子供らしくない片意地張るのが、”らしい”よな』
”声”の呟きは誰にも聞かれずに消えていく。
ともかくこれで取り敢えずの目処はついた。
あとは衛兵長の援助が有る内に、魔術師ギルドに術式を売却すれば当座の生活費は用意できるはずだ。
心からの感謝を込めてナタリアは頭を下げた。難しい顔をしている衛兵長に満面の笑顔で言葉を続ける。
「これで師父様の名誉を取り戻す足がかりができた」
「……ナタリア、あなたはまさかまだ連中と戦うつもりなのですか。命の危険があるのですよ?」
「当たり前じゃ。それに、そんなことを命懸けの代名詞でもある兵士には言われたくないのぅ」
「……まったく。あなたは本当に子供っぽくありませんねナタリア。見た目はそんなに可愛らしいのに、どうしてこうも生意気なのでしょう」
「む?あ、痛ッ」
ため息つきつつ、衛兵長は軽く握った拳でナタリアを小突いた。油断していたナタリアは夜の思考加速も間に合わず、まともに打撃を受ける。
「本音を言うならば、あなたに自ら危険に飛び込むような真似をしてもらいたくありません。言葉での説得が通じない経験はセレナで十分味わいました。だから説得は諦めます。ですがあなたが傷つけば、きっと亡き大賢者様も悲しまれることでしょう。そのことだけは心に留めておいて下さい」
握られた拳が解かれながら、ナタリアの頭に伸びて優しく髪を梳いていく。
毎日休むこと無く剣を握っているのだろう。まるで男性の手のようにコブと豆だらけのゴツゴツとした手だったが、確かなぬくもりがそこにあった。
「――むぅ。卑怯ではないか。そう言われてしまっては怒るに怒れん」
「卑怯な手段を自分が取らなかったとしても、戦いでは容赦なく相手側がその手段を使ってきます。あなたが相手をしようとしている集団はそれほどのものだというのを、よく理解しておきなさい」
微妙にズレた返しをした衛兵長は、片手で水差しからコップに水を注いだ。
日は既に地表に近づいてきており、傾いた西日が入り込み室温を高めていた。<聞き耳>による盗聴を防止するために密室を作っていたものだから、風通しが悪かったのも暑さに拍車をかけていた。
勧められるままに、ナタリアも一杯水を飲んだ。
緊張のせいで乾いた喉が潤いを取り戻し、一息つく。
窓を閉めているため残念ながら無風状態だったが、ここにいるのは二人の空属性魔術師。涼風を吹かせることなど朝飯前だった。みるみるうちに、気化熱によって生暖かい空気が一掃されて、急速に汗が乾いていく。
『あぁ、魔法って凄く便利じゃねえか。これほど魔法が羨ましく思えたのは初めてかもしらん』
なにやら”声”がブツブツ呟いていたが、明確な思念を伴わない念話が正常に機能しないのと同様、彼の声は意思伝達できるレベルにまで想念を統一されていなかった。以前にも何度かあったことなので、ナタリアは気にせずに衛兵長との会話を続行した。
「――遅れましたが、先程は部下たちが粗相を仕出かしてしまい、申し訳ありません。監督不行き届きです。やはり私には人の上に立つ能力はないようです。暴れるだけならば他者に遅れを取らない自信はあるのですが、どうにも難しいものです」
実は他の上十二衛士の嫌がらせによって、扱いにくい隊員が揃えられているだけで、衛兵長の指揮能力や統率力は及第点には達している。
しかし他に指揮経験が無いものだから、自分はできないと思い込んでいる衛兵長は間違いに気づけない。己が未熟なのだと思い込んでしまっている。
かといって、統率の効いていない雑兵に襲われた本人であるナタリアが、それを指摘など出来るはずもない。
――怖かったが、なんとか動けた。あの夜の時のように何にもできずに震えているだけではなかった。
というより完全に別のことを考えていた。
これから動くにあたって、”敵”とまた遭遇する機会もあるだろう。その時に怯えて硬直していては話しにならないのだ。せめて助けを呼ぶなり逃げるなり、最低限動けなければ話にならない。
「結果的に怪我もなく済んだことじゃし、別によい。それよりもう少し非常時に動けるようになりたいのじゃが、どうすればよいかのぅ?」
「戦闘術ですか?その体格では、武術は些か早すぎますね。となると魔術ですか。ナタリアは空属性ですよね?同じ属性の魔術師の端くれとして少しは教えられることがあるかもしれません。大賢者様よりはだいぶ劣る教師でしょうが、戦闘に特化した魔術なら自信がありますよ」
「もちろん空も使えるが、日・夜の属性も使えるぞ。なにしろわしは四重属性らしいからのぅ」
「――え?」
衛兵長は固まってしまった。
そういえば、とナタリアは思い出す。衛兵長とはよく話をする仲だったが、お互いのことについてはあまり言及することがなかった。特に兵士としての勤務内容にナタリアは触れないようにしていたし、衛兵長も大賢者の弟子であるナタリアに魔術のことは聞こうとはしなかった。
ナタリアも属性についてはひけらかすようなことは慎むように厳命されていたことだし、自分から口にしようとはしなかったのだ。
「あぁ、衛兵長には言っていなかったの。じゃがなんの取り柄もないわしのような子供が、師父様の弟子に選ばれるにはそれなりの理由がるだろうと、なんとなく想像していたのではないか?」
とはいえその師父も既に亡く、頼りは衛兵長だけである。隠しきれるものでもなし、ナタリアは情報の公開に踏み切った。
「おい、大丈夫か?止まっておるぞ?」
石像と化した衛兵長の目の前で手を振って反応を確かめるナタリア。眼球はピクリとも動かない。肩を叩いてみても気が付かない。茫然自失といった有り様だった。
「ここまで驚かれるとはのぅ」
『……世界に一人なんだろ?四重属性ってのは。可愛がっていた後輩が、んなやべー奴だと知ったらこれくらい驚くだろうよ』
「?わしは兵士志望ではないぞ。なにが後輩なのじゃ」
『喩えだ喩え。忘れろよ』
衛兵長には聞こえていないはずの”声”と堂々会話してもまるで気づく様子がない。
ナタリアが虫を叩く時のように柏手を打って、ようやく衛兵長の意識は回復した。
「……はッ!――よ、四重属性と言ったのですよね?大賢者様は三重属性だったはず、あなたの母君は一体何処のどなたなのでしょう?四重属性なんて方がいたら随分と有名になっているはずですが、魔術師のコミュニティとは親しくないせいで、寡聞にして存じ上げません」
目をグルグル回しながら、冷静さを失った衛兵長は早口でまくし立てる。
属性適性は母体から遺伝する。
空属性の一族ならば、代々が同じ属性を受け継いでいくわけだ。魔術の継承は実に容易く、この世界ではまっとうな家庭に育ち、親の愛情を受けた者ならばたいてい一つは一族に伝わる魔術を使用出来る。その大概が生活魔術と俗称される些細な効果しか持たないものだが、職種によっては大いに有用になるものも多い。
属性というのは一族の証のようなものだ。外から女系の血を入れない限りは変化していくこともなく、家族や一族の絆として捉えられている。嫁取りよりも婿入り結婚の方が多いのは、そういう事情も関係している。
ただし二重属性のような複数属性は突然変異なので、例外的に父親の属性が混ざってしまう事から発生してしまう偶発的事故のようなものである。
だからナタリアの母が四重属性であるとは限らないのだが、衛兵長は純粋な魔術師ではなく魔法剣士と呼ばれる戦闘用にあくまで武器として魔術を剣のように鍛え上げた人間だ。人生の時間全てを魔術に費やせるはずもなく、不勉強なのは否めない。超レアケースの複数属性の発生原因の仮説を知らなくとも無理はなかった。
「……前に言ったように、わしは孤児院出身じゃ。親の名前も、顔さえ知らんぞ」
「っあ……。その、しつね……いや、混乱していました。面目次第もございません」
そのまま暴走しそうな勢いだった衛兵長も、ナタリアの境遇を思い出さされて冷水をかけられたように平静に戻る。むしろ普通の域を通り越して、萎んでしまったくらいだ。
「属性の研究については正教会の管轄で、魔術師が行うそれは異端視されておる。知らずとも無理はないが、複数属性は必ずしも遺伝したものとは限らぬのだ」
自らが最大級の特異例だったナタリアは、師父に詳しく教えてもらったものの、普通の魔術師は知らない事実である。
特に正教会の影響の強い帝国内ではなおさらのこと。
魔術師ギルドの本部が王国にある事も影響して、この国では純粋な魔術師の立場はあまり高くない。だから研究に邁進する魔術師よりも、軍人として身を立てたり辺境の魔物を駆逐する狩人として魔術を極めたり、といった人種のほうが多い。
軍人である衛兵長もその例に漏れぬから、そもそも特殊な知識を持ち合わせている筈がないのだ。
「はぁ……。それはなんとも……。さすがに大賢者殿の弟子だけありますね、ナタリア。そうして話しているとまるで御仁が未だ生きておられるかのような錯覚を致します」
「ふむ。ならば、良かった」
何も言えなかった。故人を偲ぶ縁となれば良い。そんな思いで師父の口調を真似ていた。そこで生前の師父を知る衛兵長に言われると感慨深いものがあった。
衛兵長は水入りグラスをなんとなく弄びながら、話を戻した。
「ですが、四重属性ですか。……もしかしなくても公言していいことではありませんよね」
『肯定しとけ。コイツに関しては世話になる関係上しゃーねーけどよ。どう考えても厄ネタだ。絶対に知られないようにしろ。特に軍と魔術師ギルドにはな』
「うむ。衛兵長には世話になるからの。話してはならないと師父様に言われておったのじゃが、特別じゃ。信頼の証にして欲しい」
「絶対に他言せぬと誓いましょう。……ですがナタリア。その衛兵長と呼ぶのは止めてもらえませんか?勤務中は確かにそう呼んでくれて構わないのですが、折角仲良くなれたのですからもっと砕けた言い方をしてくれてもいいでしょうに」
キリリとした凛々しい顔で宣言した後、気恥ずかしくなったのか冗談めかして衛兵長は改名を求めた。
言われてみれば保護者となってくれる相手に対して不自然だ、と納得する。
「宜しければレヴィと呼んで下さい。炎剣を縮めて、親しい人は私をこう呼ぶので」
「レヴィか。うむわかったぞ。改めてよろしく頼むレヴィ」
ナタリアも衛兵長自身が言うならば是非もない。重々しく頷いて握手を求める。
レヴィは笑顔でそれを受ける。ナタリアの小さな手がはるかに大きな掌に包み込まれた。皮膚は固く、ごつごつとした無骨な手だった。血汗を流し、守るための意思が込められた手から感じる暖かな波動。この人についていけば、間違いなく守ってくれるだろう。そういう安心を感じさせる握手だった。
『最初の仲間だぜ。同志でもあり保護者でもある。うまくいって良かった』
ナタリアを励ますような労るような”声”の言葉には、なぜか寂寥感が含まれているような気がした。