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師父慕う少女、果てに至る物語  作者: 犬山
デュアル・コミュニティ
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55パズリング


 <循環盾>の傘は一切の雨滴を反射していた。

 ナタリアが帰宅した時、彼女の身体はほとんど濡れていなかった。

 

 既にレヴィとは別れている。ナタリアに付き従うのは、不可視の陽炎と魔を殺す一族の末裔だけだった。


「ただいま戻った」


 家の中に入ると、奥の方からオデオンがのっそりと姿を見せた。

 寡黙なパン職人は何も言わずに頷いた。

 ”ファクトリー”に自ら乗り込んで、最悪の場合帰ってこれなくなることも想定していただけに、帰って来たという安心感はいつもよりも強かった。

 ここが家だ。帰るべき場所だ。そう、再認識できた。

 オデオンと目と目で語り合う。

 

 大丈夫だったか。

 心配するようなことは何もない。

 それならいい。

 

 差し出されたスープは冷たかったが、何故かいつもよりも美味しく感じられた。

 

「そうだ。お前の留守中に先生が来てな。進捗があったからこんど来るように、と」


「先生?ああ、デュアルソロス殿のことか!ありがとう、明日にでも訪うつもりじゃ」


 亜人の数学者の顔を思い出す。彼に頼み事をしていたはずだ。”声”の依頼だが、ナタリアにはちんぷんかんぷんな数式の羅列をデュアルソロスは興奮した様子で読み込んでいた。あの様子だと、連絡は早い、と予想していたが、その通りになったようだ。


 スープを綺麗に平らげてから、ナタリアは二階の自室に戻った。ナタリアが一人になったのを見計らって、”声”が聞こえた。

 

『”ファクトリー”に行った意味はあったな』


「ああ。少なくとも彼らの敵意がないことは分かった。熱心にわしを勧誘してきたその訳もな」


『だが四重属性のことは絶対に見つかっちゃなんねぇ。それとあの魔法陣もだ』


「師父様のお言葉もある。むやみに彼らと接触せぬほうが良かろうな、今後は」


『……ところがそれが簡単でもない。あの小娘、フワワの魔術だ』


 舌打ちでも聞こえてきそうなほど、忌々しいといった風に”声”がその名を呼んだ。

 ”ファクトリー”の深奥で眠っていた少女。帝都から”ファクトリー”への道筋をナビゲートした案内役。

 彼女の魔術は派手なものではなかった。破壊や創造とは無縁の能力。

 だが、その恐ろしさは<読心>という伝説上の魔術に勝るとも劣らない。

 

 <聞き耳>という空属性の魔術がある。音は空気を媒介にして伝播する。流れを操る空属性で以ってして、遠方の音を耳元まで運搬するのだ。遠くの物音を、まるで近くの出来事のように詳細に把握することが出来る魔術だ。

 フワワの魔術は<聞き耳>の延長線上、いや極地に存在する奥義とでも言うべき秘術である。

 彼女の知覚範囲は常人の数千倍、数万倍、あるいは数億倍はあると言っていい。帝都から半日の距離にある”ファクトリー”に居ながらにして、帝都の情報を”耳で聞いて”収集する怪物だ。彼女の側から話しかけることだって出来る。

 帝都の全てが彼女の腹の中。やろうと思えば、帝城内部にだって<聞き耳>を張り巡らせることが出来るのかもしれない。

 ここに彼女が居なくても、彼女は話を聞いている。

 ――姿の見えないスパイ。ある意味では”声”よりも優秀な偵察役だ。


「確かにあの魔術には驚いた。じゃが、万能という訳ではない。帝都中の会話、その全てを常に観測できるわけではあるまい。抜けがある」


 改めて説明するまでもない。そのような行いは、もはや神の所業。全てを把握するなんてこと、出来るわけがない。

 彼女の耳は帝都まで届く。それは事実。だが、そのカラクリは、帝都地下に張り巡らせれた伝声管の効果によるものだ。彼女はその装置の能力を増幅し、常人では及ばぬ域の音を収集している。

 帝都の広域が彼女の盗聴圏だとしても、全域が覆われている可能性は決して高くない。


「地下の道を調べたほうが良いのか?ミックに頼んでみるか?」


 つまり、地下の伝声管の位置さえ分かってしまえば、盗聴に心配せずとも良いということだ。

 だが、ナタリアの提案に”声”は首を振った。


『いいや、時間が掛かるし、かかる労力も半端じゃねーぞ。……それよりも先に試してみたい案があるんだ。そっちがうまく行けば、防諜については心配なくなる筈だ。あの数学者に期待させてもらおう』


 ”声”の秘策はとある術式に関するものだった。

 ナタリアは”声”から新術式の素案を教授された。

 存在意義の分からぬ構文と繰り返し回路。一見しただけでは不要に思える冗長性。

 魔術に疎い”声”だからこそ作ることが出来た術式なのだと分かった。


『こんなもんだが……どうだ?』


「そうじゃな。お世辞にもこれは魔術とは呼べぬシロモノじゃな。魔術ギルドへ登録しようと思えば、相当な物議を醸すじゃろうて。じゃがお主が初めて作り上げた術式じゃ。大切に使わせてもらおう」


 この術式は空っぽだ。肝心要の中身が無い。包装だけ、殻だけ、そんな術式だ。

 仮に魔力を流しこんだとしても、単体では何の効力も発揮しないだろう。

 これは翻訳術式。”声”の世界の言語と、この世界の言語を通じさせる術式だ。

 だが、この術式には言語の対応表が入っていない。

 未完成なのだ。


『はは。だったら良かった』


 ”声”の少し照れたような声色が珍しくて。

 

 何故か、言いようのない不安を感じていた。






 デュアルソロス。亜人の数学者。豚頭族としては異例の頭脳の持ち主であり、はるか王国の碩学院を卒業した秀才である。だが、その出自と経歴ゆえに、故郷に錦を飾るつもりで凱旋した彼を待っていたのは帝国の猜疑の目だった。

 要注意人物として軍部にマークされた彼は、自由を与えられることはなかった。帝都を出ることは許されず、なんならば一生を牢獄で暮らすハメになりかねなかった。

 軍部への知識供与を交換条件に与えられた帝都内での限定的な自由。それだけが彼に許された狭い鳥かごだった。

 

 鳥かごの鳥に餌をやる人物は決まっていた。

 毎週やってきてはデュアルソロスの素行を査定していく。

 王国では数学の軍事転用が当然のように行われていた。魔術以外の学問を軽視する帝国では見られなかった現象だ。王国軍の大砲の精度は、帝国軍のものとは比べ物にならない。魔術という強力無比な兵器が存在するとはいえ、歴然たる差に帝国軍も焦燥感を抱いていた。

 デュアルソロスに課せられた奉公が、この弾道計算に関する知識供与なのだ。

 

 デュアルソロスの数学塾の塾生は軍部の関係者ばかりだ。彼らに必要な知識と応用を叩き込むことこそが、彼に与えられた任務。査定者はその任務が滞りなく行われているか、定期的にデュアルソロスの家にやってくるのだ。

 

 ――だが、先週の定期査定には誰も来なかった。

 先々週も欠席の連絡こそあったが、結局は誰も来なかった。

 塾生にそのことを尋ねてはみたが、一様に口を閉ざしてしまう。教える立場とはいえ、亜人のデュアルソロスの立場は彼らよりも上だとは決して言えない。強く聞き出すこともできず、日々が過ぎていった。

 何があったのか。

 契約が打ち切られて、処刑されてしまうのだろうか。

 あるいは、あの碩学院の学究者にも匹敵する学識を持った少女に関して――

 

 考えうる限りの、最悪の想定。頭のめぐりが良いデュアルソロスは考えたくないことまで想像してしまう。

 嫌な妄想を断ち切るために、別の問題に没頭することにした。

 

 依頼である。いくつかの興味をそそる数学上の問題を餌に頼まれたのは――

 

 ――万物の数学的解体である。

 

 

 

 

 

 

「ご依頼の品はこちらになるだ」


 デュアルソロスの大きな手に乗せられた紙束を受け取る。

 彼の使う紙は王国産の量産品でも、帝国産の高級品でもない。木簡を独自の地属性魔術で変質させた世界に一つだけの紙だった。

 記されているのは、無数の文字と数字の羅列。ナタリアの視線は流し読みをする時のようにするすると紙面を滑っていった。


「なかなかおもしろい問題だっただ。改めてお礼を言わせて――」


「デュアルソロス殿。これを誰か他の者に見せたかのぅ?」


 ナタリアが首を傾げた。デュアルソロスは目を瞬かせて、


「いんやぁ、誰にも。多分、普通の人は一見しただけじゃあ何のことかも分からん。……と、いうよりナタリアちゃんは一体何処で数学を学んだだ?切り口が斬新すぎて、こんなの何処の学派でも見たことがないだ」


 そう断言した。

 それを聞いて大きく頷いたナタリアは、脳内で一つの術式を思い描く。

 ”声”の作った外殻。中身の無い器に、中身を注ぎ込む。なに、暗記だけならばなんてことはない。デュアルソロスに渡された内容は全て記憶した。それをそのまま脳裏に書き写すだけの作業だ。


「<パズリング>」


 ここに新たな術式が誕生した。

 異次元の発想。まさしくこの世界のものではない者が生み出した新術式。アイディアを借りるとか、助言を与えるとか、そういう次元ではなく。

 ”声”がこの世に産み落とした最初で最後の術式が、これだ。

 

 ナタリアの視界が一瞬ブレた。間違いなく、認識が変化した。

 

 夜属性。夜――何もかもを吸い込む夜闇であると同時に、それは夢を見る眠りの時間でもある。

 思考の整理、記憶の固定化。

 眠っている間も脳は活発に活動している。情報の整理、統合、記憶。

 世界を認識し、世界を翻訳する。夜は認識というものについて、極めて重要な役割を果たしているといえる。

 

 夜属性魔術、<パズリング>。それは世界認識を解体し、再構成する魔術。

 万象を――あまねく万象をたったひとつの認識で染め上げる。つまり、この世界は数字で出来ているということを。

 有と無。その概念だけを何十、何百、何千、何万、何億、何兆と積み上げて、世界のすべてを解体する。情報を解体し、たったひとつの表記に統合する。

 (ゆう)()。それだけのルールを元に、万象を解体するのだ。

 それが<パズリング>の本質。

 この認識を介した情報は、高度に抽象化され、しかも暗号化が施されている。どれだけ傍受されたとしても、解析できなければ全ての情報はノイズにしかならないだろう。

 

 ナタリアの認識は確かに変容した。通常の視界とは別に、もう一つの異界がチラチラと見えている。物質世界とは異なるもう一つの世界。ありとあらゆる存在が、たった二つの文字で記述される数奇な世界。

 

「な、何をしてるだか!?」


 デュアルソロスの声が二重に重なって聞こえてきた。音が、声が、情報が。粉々に分解された後、再翻訳されて聞こえてくる。異界の言葉を理解できるのは、おそらくこの世界には”声”とナタリアの二人だけしかいないだろう。

 デュアルソロスの渡した紙束は、炎を上げて燃えていた。

 証拠を跡形なく消し去ったナタリアは、深々と頭を下げた。


「どうか誰にもこの紙の内容は話さないで欲しい。この術には、わしの命がかかっておるのじゃ」


 誇張でも何でもない。ナタリアは真摯に言葉を綴った。

 ナタリアは知られてはならない情報を多く抱えている。常識はずれの情報収集能力を有する第二魔術師団の目を欺くには、生半可の手段では到底太刀打ち出来ない。


 ”声”の考案した盗聴対策がこれだった。

 情報と通信の暗号化。第二魔術師がいかに優れた魔術師だとしても、それは所詮魔術の世界の話である。学問がさほど重視されていない帝国で高等数学を修めているとは考えづらい。しかも核となる暗号化の鍵に関しては、”声”の世界の知識が流用されている。

 ナタリアの会話、声、文字。あらゆるものは分解され再構成されている。

 術者による許可を与えられた人間でなければ、文字を読むことすら出来ないだろう。

 このデュアルソロスとの会話も、誰も聞き取ることが出来ない。近くに誰かがいたとしても、きっとノイズだけしか聴きとることが出来ないだろう。


「命……」


「そうじゃ、突拍子もない話だと思うかもしれぬが――」


「いや、分かっただ。誰にも言わない。約束するだ」


 デュアルソロスは大きく頷いた。何か得心したような顔だった。


「この国で何かが起こっていること。それは分かるだ。その大きな波に飲み込まれてしまわないよう、みんな頑張ってるだ」


 デュアルソロスは軍部と関わりがある。そこのラインを経由して、ある程度の情報を得ているのだろう。


「ああ、お互いに。生き残るために」


 ナタリアは小さな拳をつきだした。

 優しい巨人は、寸時躊躇したように見えたが、ゆっくりと拳を合わせてきた。

 

 こうして奇妙な会合は終わった。

 

 ”声”の開発した魔術は、今もナタリアの精神に宿り続けている。


『これで一安心だな……』


 ――そしてその日の晩に。

 ”声”はナタリアの耳に聞こえなくなった。

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