54暗雲
「最近、戦勝の発表ないなぁ。酒が安くなるから、楽しみにしてたんだが」
「負けてるって知らせも聞かないぜ。そろそろ勝つだろ」
「はぁ。しっかし、さっさと戦は終わらせてもらいたいもんだ。戦時税で財布は軽くなるばかりで、このごろ酒も飲めてねえ」
「そうだな。酒の値段はともかく、いい加減税がきつい」
帝都の川下り。沿岸にいた二人の労働者の愚痴が聞こえてきた。
ナタリアたちの乗る駆動船は、特殊な動力を使わずに、川の流れに身を任せていた。スクリューのやかましい回転音が無い分、他の音がよく聞こえるのだ。
舳先に立つナタリアが珍しかったのか、労働者がこちらを指差していた。しかし何を思ったのが、二人は突然顔を真っ青にして、いずこかへ走り去ってしまった。
労働者たちの奇態に首を傾げる。
ナタリアの些細な疑問に構わずに船は進む。
「一雨来そうじゃな……」
帰路のナタリアたちを追いかけるかのように、ファクトリーの方角からやってきた黒雲が、帝都の空を覆おうとしていた。案外先程の労働者たちも、雨の気配を感じて、屋根のある場所に退避しただけかもしれない。
「ナタリア、そこにいては濡れてしまいますよ。こちらに」
船上には小さいながら、雨除け風除けが備え付けられていた。そこの椅子で休憩していたレヴィが手招きしている。ナタリアが屋根の下に入ると、程無くしてポツポツと雨音が聞こえてきた。
「……そろそろ雨の季節ですね」
帝国に季節は二つしかない。雨季か乾季か。どちらもそれほど極端ではなく、比較的過ごしやすい気候である。
とはいえ、雨季にわざわざ外仕事を好んでやる者は少ない。雨季に備えてこなさなければならない仕事を、思い出させるような雨だった。
やらなければならないこと。ナタリアは思索する。
当初の計画であった、幽議会を利用した売名は半分失敗に終わった。全てをご破算にしてしまった、軍部のクラックスを恨む気持ちがないと言えば嘘になる。けれどナタリアは彼の尋問に立ち会い、彼の顔を見て彼の言葉を聞いてしまっている。情が移ったわけではないが、彼一人を責めたところで、何一つ解決しない。それならば、せめて建設的な方向に意識を向けた方がよほど上等ではないか。
師父様の弟子であると証明すること。以前と比べて状況は格段に良くなっている。レヴィとミックは秘密を共有した仲間だし、皇太子もナタリアの身分を非公式にだが保障してくれた。あの第二魔術師団さえ、ナタリアに対して好意的反応を示している。
「入団……するつもりですか?」
薄暗さと雨霞にぼやけて、レヴィの表情は読み取れない。空が晴れていれば、あるいは見えたかもしれない。
第二魔術師団に与すること。一度は東方朔の誘いをきっぱり断ったはずだった。けれどフワワに懇願されて、考えておく、と前言を翻してしまった。我ながら意志の弱い。
いや――
『あの連中に、惹かれるものがあることは、別におかしなことじゃない。人には短所と長所が同時に存在する。片方だけだなんて、分かりやすいやつはいない。だから、お前がどういう選択をするにせよ、俺は否定しない』
”声”は慰めるような声色で、ナタリアの決断を求めた。第二魔術師団、あるいはインペリアルガード。なんらかの後ろ盾が必要なのは明白で……。
「……もし、貴女が第二魔術師団ともインペリアルガードとも距離を取るつもりなら、一つ私に心当たりがあります。うまくいく、と確約は出来ませんが、手応えは感じています」
「第三の選択肢……?」
「ええ、独立独歩です。軍部全体としては著しくまとまりを欠いている状況ですが、部分部分を見れば組織として機能している部署もあります。例えば上十二衛とか……今までの私でしたら、彼らに話を通すことさえ難しかったでしょうが、状況は変わりました。彼らを糾合して、一つの勢力とするのです。インペリアルガードや第二魔術師団と比べると見劣りしますが、反面手綱を取るのは楽になるでしょう」
「それは……」
「大きくこちらのスタンスを変える必要はなくなります。貴女さえ良ければ、この方向で話を進めてみようと思うのですが、如何でしょう?」
悪くない。いや、悪くないどころか、願ったり叶ったりの話だった。現状、ナタリアはレヴィの従士として立場を保証されている。上十二衛が後押ししてくれる、というのは今の延長に近い。
「じゃが、今まで黙っていたということは、それなりに問題点があるのじゃな?」
「まず単純に皇室の権威持ちのインペリアルガードや、かの第二魔術師団と比べれば組織として一段落ちます。デュアルたちからの干渉を跳ね除けるのは、難しい、そう考えていましたから、貴女に黙っていました」
「なるほど。彼らと実際に会ってみて……」
「ええ、印象が変わりました。彼らの貴女に対する執着がどれほどの物かも見れましたから。上十二衛でもなんとかやっていけそうだ、と思ったのです」
デュアルで構成される第二魔術師団は、無理やりデュアルを集めているものと想像していた。しかし東方朔や他の団員と言葉を交わし、実態を目の当たりにした。彼らの主張を鵜呑みするのならば、第二魔術師団は互助組織である。嫌がるナタリアを無理に勧誘することは、まあ無いだろう。
無論、方針はそのようなものだとしても、アンシャリーアのような例外はいるし、油断は出来ない。新式魔法陣のことは絶対に知られるわけにはいかないし、四重属性のことも機密だ。
「お主の判断を信じても良いのか?」
「そう言われると、答えに窮しますね。少なくとも、全力を尽くすと約束します」
最初にレヴィに庇護を求めた時、彼女は何時でも見捨てる、と念押ししてきた。それは非情さではなく、むしろ彼女の優しさの表れだったのだ、と今では分かる。
「頼もしいな」
「しかしまだ現時点では絵に描いた餅です。<循環盾>のデモンストレーションを麒麟隊や、青龍隊に向けて行っても良いでしょうか?勝算はあります」
帝都に残っている上十二衛は、三小隊。皇帝と共に戦地に赴いた小隊は九つ。そちらとの接触は難しいから、居残り組を一つにまとめるのは、目標のための第一歩になるだろう。
基本的な方針は幽議会のものを引き継ぐ形となる。軍部全体の後押しが、上十二衛の後押しに、スケールダウンした形だ。
「あの魔術は素晴らしい、傑作です。あれから何度か使わせてもらいましたが、発動しても相手に視認されにくく、しかも常時発動できるというのは、幾つかの欠点に目をつぶっていいくらいに強力です。貴女が<循環盾>の開発者というだけで、何人かの隊長格は引き込めると思いますよ」
レヴィには光明が見えているらしい。軍に近づくな、という師父様の言付けを守るために、軍の後ろ盾を必要とする矛盾。二律背反を成立させるためには、類稀なバランス感が必要になるだろう。近づき過ぎず、けれども離れ過ぎず。
ナタリアはそっと虚空に呟いた。
「協力してくれるな?」
『……そう、だな……。いざとなればレヴィを頼れ。あいつならお前を助けてくれるはずだ。それがお前の紡いだ絆の力だ』
「はあ?似合わぬことを言う」
『いいか、忘れるなよ。レヴィを頼れ、いいな?』
「むぅ……分かっておるわ」
別に”声”の言うことが間違っているとは思わない。
だがナタリアは”声”に応援して貰いたかったのだ。励ましの言葉が欲しかったのだ。彼はナタリアが重要な決断を下す時、いつも側にいてくれた。ぶっきらぼうながら、親身な彼の言葉があったから、ここまで来れた。
「いぢわる」
”声”にさえ聞こえないように、無意識のうちに唇だけが動いていた。
駆動船を元の場所に戻したナタリアたちは、鉄塔広場で休憩していた。
いつもは多くの人々で賑わう広場は、閑散としていた。しとしとと降り続く雨のせいだ。露店の主が大急ぎで商品を屋根の下に運んでいるのが見える。
「ここでしばらく雨宿りするか」
「……この会話も彼女は聞き取っているのでしょうか?」
レヴィが不安そうに周囲を見渡した。フワワの姿を探しているのかもしれないが、彼女はここにはいない。気を配ったところで無意味だろう。
「さてな。この雨で聞き取りにくくはなっておるのではないか?わしらの話し声も雨音に紛れるじゃろう」
「そう……ですね。……姿の見えない相手はどうにも苦手です」
余程苦手意識を植え付けられたようだ。”声”との交流で免疫のあったナタリアと違って、レヴィは不可視の相手と会話する趣味はない。彼女の困惑は人として当然のものだった。
空を見上げる。暗雲は深く大空を覆い尽くしている。しばらく止むことはないだろう。
「この雨も、<循環盾>があれば防げますね」
雨粒に比較して、はるかにずっしりとした矢を跳ね除ける出力があるのだ。レヴィの言う通り、たとえ雨季の豪雨を浴びたところで、風の盾は小動もしないだろう。
「敵の放つ殺意よりも、自然の猛威の方が恐ろしい。何しろ、戦意と殺意に身を晒すのは、一日のうちのほんの一瞬。対して、天候は四六時中付き合わなければならない危険な隣人です。ただの雨も馬鹿には出来ない。身体が濡れれば、体温が落ちます。様々な病魔に対する抵抗力が下がり、しかも精神状態も悪化する。出来ることなら、濡れずに済ませたいというのは、一兵卒に至るまで我々全員に共通する願いでしょうね」
レヴィが術式に魔力を込めた。彼女の頭上には天蓋のような盾が展開される。彼女の想定した通り、回転する盾は雨粒を弾き飛ばしていた。何度か試していたが、頭上からの雨は完全にシャットアウトしていた。
ナタリアもそれにならって<循環盾>を発動しようとした時、
『ところでよ。あの連中に四重属性のことを暴かれないようにする方針についてだがよ?その属性の術式を使った瞬間を見られて大丈夫なものなのか?』
”声”が危ぶむように言った。
ナタリアはレヴィたちに聞かれないように声を潜めて答える。
「構わぬ。疑惑はもたれるかもしれん。だが、発動した術式だけを見て、属性を断言することはできぬ。余程の手だれ……それも感知に特化した夜属性の術者でも難しいじゃろうな」
属性とは人が決めた区分に過ぎない。魔術とは技術であり、目的達成のための手段だ。
例えば川を渡ることを想定しよう。
空属性ならば、帆船を浮かべて気流や水流を操作することで川を越えようとするだろう。
地属性であれば、木材から船を作るもよし。石や土を集めて頑丈な橋をかけてもいいかもしれない。
夜属性は少し大変だ。聴力を強化して、渡し守を探すのが正攻法。気温が氷点下かつ、膨大な魔力を備えているのならば、部分的に水を凍らせて足場を作ることも出来るだろう。
日属性は更に難しい。莫大な魔力を用いて、川そのものを熱線で干上がらせるというのはどう見ても無謀だ。いっそ自力で泳いで渡った後、身体を乾かすのに魔術を使うくらいがいいのかもしれない。
このように一つの目的を達成するのに、属性には向き不向きがある。だが、どの属性を用いるとしても、川を渡ったという結果は変わらない。その結果を導き出すために必要とする労力や手間が変わるだけだ。
魔術というのはそういうものだ。風の盾を作り出すのは、普通に考えれば空属性の領分だ。だが、非効率的ながら他の属性で風の盾の再現が出来ない訳ではない。可視化された現象が魔術の結果に過ぎぬ以上、他人の魔術を見て属性を確定させることは出来ない。
確定させる方法は二つ。腐り清水を使用するか。あるいは、術者の母の属性を調べるか。そのどちらかしかない。
ナタリアの母は何処の誰ともわからない。四重属性がばれるとすれば、やはり一番危険なのは腐り清水を使われることだろう。
もしもう一度、第二魔術師団に腐り清水を使われたら……。その時は、ナタリアも言い逃れできる自信はなかった。
ゆえに<循環盾>が確定的な証拠になるということはない。真実に至るための疑念を抱く端緒にはなるかもしれないが、それ以上のものではない。
――そういう事情を”声”に伝えた。
『……ともかく、用心はしろよ』
びゅう、と一際強いか風が吹いた。雨の軌道がねじ曲がる。
黒雲を貫くように佇立する鉄塔は、風を受けてぎしぎしと軋みを上げた。
「うむ」
”声”の様子がいつもと違う。その違和感を口にだすのが怖かった。
降り続く雨は、身体は濡らさなくとも、路面を湿らせていく。一人だけ自前の傘を持っていなかったミックが寒さのためか、ぶるりと身体を震わせた。
それをきっかけにして、今日は解散することになった。
レヴィは明日から仕事。その上、上十二衛の同僚たちへのプレゼンテーションの準備までしなければならない。計画の最終段階では当人のナタリアも参加するが、初動段階ではレヴィが単独で動くことになっている。色々と準備が必要になるであろうことはナタリアも理解できる。
で、あればその間何をするか。レヴィが知り合いに渡りをつけてくれている間、ナタリアができる事は何なのか。
単独行動は危険だが、今のナタリアには頼もしい護衛がいる。帝都の中で危険があるとすれば、それこそ第二魔術師団の襲来ぐらいしかあり得ない。その恐ろしい第二魔術師団も半分味方のようなものだ。あまり気負いせずに、今の自分にできる事をやろう。




