53ちいさい身体とちいさな中身
「……少し、考えさせてはくれぬか?」
”ファクトリー”の見学を終えて、第二魔術師団の団員たちへの挨拶を一通り済ませたナタリアは、心揺らされていた。
「それはもちろん!答えを急かすつもりは、我々にはありませんからね」
ナタリアが二重属性ではなく、四重属性である、という事実はどうやら本当に気が付かれていないようだった。のみならず、懸念事項の一つだった新式魔法陣についても第二魔術師団は何の情報も掴んでないらしい。
正直、ホッとした。フワワを軸とした第二魔術師団の諜報能力は高く、隠しておきたいことの多くがバレているかもしれないという懸念は拭い去れなかった。だがどうやら音無しの鈴のような特別な目印が無い限り、彼女の情報収集能力は限定されてしまうらしい。
全ての事情が向こうに筒抜け、なんてことになっていたら、彼らがナタリアを大人しく返してくれることなど、あり得なかっただろうから。
それは東方朔の真剣味を帯びた姿勢を思い返せば分かる。あれは、冗談などではなかったのではないか。その疑念が、消せない。
――翌日早朝。ナタリアたちの姿は川を下る駆動船の上にあった。
背後を振り返れば、森と滝を従えた雄大な”ファクトリー”の姿がよく見える。
結局、ナタリアは答えを保留することにした。第二魔術師団に入団するつもりはなかったが、さりとて彼らと完全に関係を切ってしまうことは難しい。この国で魔術を磨いていく上で、魔術の頂にいる彼らを無視することは出来ない。
今後どのような距離感で付き合って行くべきなのか。頭の痛い問題ではある。
今のところは、勾留されて自由を奪われなかっただけでも、よしとするべきだろう。
「実りはありましたか?」
きっとレヴィが守っていてくれなければ、彼らとの交渉はもっと不利なものになっていただろう。川面から視線を上げたレヴィが、ナタリアに問う。
偉容を誇る”ファクトリー”に目を奪われていると思ったのだろうか。首を左右に振る。
「術式の開発に流用できそうな部分は、正直あまりなかったな。まあ、彼らもそうやすやすとは技術漏洩などせんじゃろう。わかっていたこと、じゃが」
だが、彼らの底力を知るという意味では成果があった。デュアルに拘る理由も知れた。敵情視察としては、申し分のない結果ではないだろうか。
なにより、フワワという少女の規格外の能力の一端を知れたことも大きい。こんな離れた場所から、帝都の情報を収集するなんて、ある意味東方朔の地形変動魔術よりも凄い。フワワが善性の子供だったからこそ、悪用されてはいなかったが、あの能力はやりようによっては帝国を転覆させることだって出来る凶悪な力だ。
大きな力には、大きな災厄が伴う。
道化師の言葉が思い出される。
デュアルには欠落がある。精神的なもの、肉体的なもの、あるいは他者との絆。失われた分、彼らは強い。欠けたものを補う為に、貪欲になっているとでも言うのだろうか。
翻って、己の身を振り返る。
二重属性を越える四重属性の副作用は如何程のものか。
師父様に引き取られた時に、聞かされたことだが、当時ナタリアの身体は不安定だったらしい。属性が互いに互いを殺そうと噛み合って、今にも溢れようとしている所だったという。それはまさに第二魔術師団の言う所の”災厄”というものなのだろう。災厄が未然に防がれたのは、師父様の尽力のお陰であることは、間違いない。
ならば、防がれた災厄というものは跡形もなく消滅してしまったのか?
ナタリアは己の胸を抑えた。
ドクドク。
心臓の鼓動を感じる。
災い……それが、終わったことならばいい。何の心配もない。けれど、現実問題、ナタリアの前途には困難な問題が山積している。災厄が終わったのではなく、まだ始まっていないだけだとすれば……。
己の歩みが、周囲に不幸をもたらすかもしれない。それに気付くと身体が震えていた。
『この世界を見返してやるんだろう?』
首を左右にする。あの時は、全てに見捨てられたと早合点していた。世界は敵だと、そう強く自分に言い聞かせていた。けれど、出会いがあった。仲間がいた。同族がいた。大切なものが出来てしまった。
「……歩みを止めるつもりはない。が」
絞り出すように結論する。目に見えぬ災厄に怯えても、どうしようもない。せめて目に見える不幸だけは止める。その上で、前に進み続ける。天国の師父様が、己の弟子を誇らしく思えるよう、胸を張って生きていく。
駆動船は風を切ってぐんぐん進む。強い向かい風が、ナタリアの目尻に浮かんだ水滴を後方に弾き飛ばしていた。泣いている暇はない。
レヴィとミックと、他にも沢山。巻き込んだ人の為にも、師父様の為にも。ナタリアの戦いはまだまだこれからだった。
伏魔殿。
魔性に近い存在が跋扈する帝国の闇。
”ファクトリー”の最上層。無数の歯車が、大動力を供給しているせいで、床が微振動を続けている。神経質な人間がここに暮らせば、一晩で精神を病んでしまうだろう。ここは、辺境と同じだ。人の領域ではなく、魔の領域。居住に適さない不便な環境を、思うがままに書き換えられるような常識の埒外の存在のための空間だ。
双眸を麻布で隠した魔人は、そんな魔の者の一人だった。
「大賢者の忘れ形見……か。あの時無理を通してでも回収しろ、と命じた僕が浅はかだったということか。もしアルトタスが僕の命令を言葉通りに実行していれば、彼女の僕達に対する印象は最悪の物になっていたかもしれない。いや、間違いなくそうなっていた。結果的にアルトタスのファインプレーに助けられた形になるのかな?」
「団長、あまり甘やかすものではありません。ただでさえアルトタスは独断専行が過ぎるのです。後始末をする身からすれば、盲撃ちの弾丸が、たまたま雁を仕留めたからといって素直に褒める気にはなれませんね。普段の失態と合わせて、ようやくトントンです」
東方朔とアノーラ、そして道化師――アルトタス。三人のデュアルがそこにはいた。紫煙の立ち込める室内で東方朔は気怠げに、アノーラは平然と、そして道化師は顰め面で、去ってしまったナタリアについて話し合っていた。
「そんな邪険にしないでくださいよぅ」
口を尖らせた道化師は、拗ねたふりをしていた。大の大人がやる仕草ではない。
いつものように道化師に煽られていると感じたアノーラは、額に青筋を浮かべた。
「黙りなさい。団長も!何か仰ってやってください」
怒声も皮肉も、柳に風と受け流す道化師にアノーラは常々やり辛さを感じていた。根が真面目なのだ。彼にまともに相手することは堅物のアノーラでは出来ない。力を借りようと、団長の東方朔を促すのだが、
「ふむ。アルトタス。君の見立てはどうかな?ナタリア嬢は第二魔術師団に加わってくれるだろうか?」
信頼する団長は、彼女の話を全く知らんぷりしていた。
「五分五分ですねぇ。まあパパがお望みなら、もうすこしアプローチを考えてみますよ」
「頼んだよ。僕たちは助け合わなければならない。それに、大賢者の生前に、僕は彼のために何もしてやることが出来なかった」
「罪滅ぼし、ですか」
「……ああ。そういう気持ちが無いわけではない。ともかく、彼女の身に危険が及べば、君は全力で彼女を支援するように。分かったね?」
「御心のままに。ふふ。万が一私が心変わりして彼女の側に寝返ってしまっても恨まないでくださいね、パパ」
「お前を信用しているよ」
紫煙が揺らぐ。煙がかき乱され、次の瞬間には道化師の姿は消えていた。
東方朔は大きく嘆息して目隠しを取り払った。宝石のように美しい瞳は、胡乱げに細められていた。
自らが東方朔の側近であると辞任するアノーラは、悔しそうに唇を噛み締めて、
「なぜ、アルトタスを特別扱いするのですか?奴の態度は目に余るものがあります。団長が命じてくれさえすれば、内々に粛清を――」
「だからこそ、僕はアルトタスを重用しているんだけどねぇ。ま、君は分からなくてもいいことだよ。それとも、まさか僕の決定に異を唱えるつもりかな?命令を不服として、反旗を翻すとでも?」
「め、滅相もございません!出すぎた真似を申しました……ご容赦を……」
アノーラにとって、東方朔に反することなど想像の埒外だ。世界全てが敵に回っても、そんなことはあり得ない。低頭して、許しを請うのは彼女にとって当然過ぎる行動だった。
頭を下げた彼女に、東方朔の表情は窺い知れない。
「はぁ……。もういいよ。君に求める役割はアルトタスとは違うしね。君には君だけの役割があるし、アルトタスにはアルトタスの役割がある。そう割り切ったらどうかな?」
「わ、分かりました。……あっ、団長!そろそろあのお時間です!」
「ナタリア嬢の来訪の為に延期していたね、そういえば。今週の分、お願いするよ」
寝そべった東方朔は無防備な腹を晒して、だらりと脱力した。紅い瞳は全くブレることなく天井の一点を見つめている。アノーラは術式に魔力を通しながら、施術の準備をする。
第二魔術師団の軍医としてアノーラは、団員全員の体調管理を任されている。
現在療養中のバーニアはもちろんだが、本質的に不安定な力である二重属性たちの世話をしているのもアノーラである。個人差はあるものの、デュアルという莫大な力には副作用が存在する。
副作用によって悪影響が出過ぎないようにするのも、アノーラの大切な仕事だった。
その中でも団長の体調管理は、優先順位の高い仕事である。アノーラはいそいそと東方朔の上に馬乗りになった。紅い瞳をじっと見つめる。瞳に映る自分の姿を見て、アノーラは感動する。今この瞬間だけは、団長を独り占めしているのだと。
目線が絡みあう。
アノーラの属性は日と地である。薬物の投与や、傷口の縫合が得意な地属性は治癒術者として最もポピュラーな属性だ。他の属性でも医療行為が出来ない訳ではないが、やはり人体という”もの”を変質せしめることにおいて、地属性の右に出る属性は存在しない。
怪我の状態を健常状態へ。疾病を消し去り健康状態へ。
精密操作ゆえにある程度の才能を要求されるものの、地属性の術者であれば大抵の者は擦り傷を治すことくらいは出来る。
だが、アノーラに求められている役割は、そんな誰にでもできるような医療行為ではなかった。
アノーラは自身の体内で二つの属性を練り合わせていた。その比率は一対一ではなく、日属性の方が三割ほど多い。
東方朔は地と空の二重属性。たいていの傷は自分で治してしまうし、人の怪我を治すことも得意なのだ。なにしろ彼の肉体は既に人間を超越している。
アノーラは知っている。陰陽和合という究極術式について、研究に研究を重ねた東方朔は自身の肉体を実験材料にしていたことを。彼の肉体は老いを知らず、衰えを知らない。彼の身体は既に人間のものではない。元が人間であったというだけで。やろうと思えばいかなる生物にも身体を変化させることが出来るだろう。二色の魔力を操り、己の身体をスライム状に溶かして、別の形に変わる。そのような常識はずれの肉体が、今更怪我の一つや二つでアノーラの治療を必要とするはずがないのだ。
「頼むよ」
アノーラを見上げる紅い瞳は幼い少年のものだ。けれど彼の”形”は仮のものにすぎない。
両手を伸ばす。少年の頬にそっと掌をあてる。
「団長……」
吐息混じりの艶声は、自分のものではないように聞こえた。感情のままに、このまま情事にもつれ込みたくなる。ああ、ダメなのに。
その気配を敏感に察知した東方朔は、
「早く」
冷たい声で、アノーラの誘いをすげなく断った。我に返ったアノーラは、目を瞬かせる。
「し、失礼しました……。では、始めさせていただきます」
どうしてこんな馬鹿なことをしてしまったのだろうか。
アノーラの身体は熱く火照っていた。肉体の状態とは裏腹に彼女の中の冷静な部分が、持て余した感情に理屈を付けてくれた。
術式を発動させながら、思わず、
「あの子に言ったこと……冗談じゃあないんですよね?」
そう。口走っていた。
東方朔の瞳は見開かれたまま。当たり前だ。今は施術中。東方朔は絶対に逃げられない。たとえ上司であり、団長であっても、だ。
「まあ、ね。大賢者の遺児ならば相応しいと思ったし」
「あの子がこの団に入らなくても”そうする”おつもりですか?」
「やけに食いついて来るね。シャーリーの時以来だ」
「シャーリーのことは……」
「一番付き合いが長い君だから、もうとっくに僕のことを分かっていてくれていると思っていたよ。僕はこういう人間なんだ。いや、もう人間かどうかも怪しいけど。とにかく、どうして僕を困らせるようなことを言うんだい?フワワの時は、何も言わなかったじゃないか」
「……」
それを言うのはずるい、とアノーラは思った。別にフワワと団長が結ばれるのを祝福したわけではない。むしろ心の底では呪ってさえいた。だが表面上抗議しなかったのは、半ば諦めていたからだ。団長の思いは知っていたし、気が多いことにはちゃんと理由がある。最初のアンシャリーアの時は随分駄々をこねたものだが、もうあの時の初な私ではない。理想と現実を知って、賢くなったはずだった。それなのに――
「アンシャリーアとフワワの時とは違います。彼女たちが加わっても――その、回数は減りましたがちゃんと平等に寵愛を頂きました。けれど――」
その先は言えない。アノーラは情人である以前に医者である。それを取り違えるわけには行かなかった。
「あぁ、そうだね。そのことは全部僕が悪いよ。不満を貯めさせちゃって、ごめん。でも――」
もう、どうしようもないのだろうか。陰陽和合が完成すれば、あるいは。そう思わないでもなかったが、アノーラでは陰陽和合完成のために役立つことはできない。
役に立たない。
努力や気合ではどうにもならぬこと。幾晩、枕を涙で濡らしただろうか。
役に立たない。
これもデュアルの宿命なのだろうか。
役に立たない。
諦めきれない。まだまだ自分はやれる。そう思いたかった。けれど、そもそものチャンスはとっくに時間制限が来ていて……。
「アノーラ、泣かないでくれよ。酷なこと言うけど、今は術に集中して」
「はいっ――はいっ――」
日属性と地属性の複合術式。<精神同調>。対象の精神を術者の精神の波長と同調させてしまう術式だ。感情の共有。瞳を長時間合わせる必要があり、相手の同意がなければそもそも術にかけることすら出来ない。戦闘には全く使えない、アノーラが東方朔のためだけに編み出した術式である。二重属性を必要とすることから、世界広しといえども<精神同調>の使い手はアノーラ一人しかいないだろう。
唯一無二の価値。あの小器用なナタリアという少女だって、この術式は扱えまい。そもそも属性が違う。
そうだ。嫉妬する必要など初めからなかったのだ。団長がいる限り。団長がこの術を必要とする限り、ずっと――
術式に没頭したアノーラは、東方朔の精神の内部を覗きこんでいた。
表面上いくら取り繕っていても。虚飾の仮面をかぶって、すまし顔をしていたとしても。精神を粉飾することは出来ない。精神の魔術に長けたアノーラの前では、あらゆる虚勢が無意味と化す。彼女の精神魔術に対抗できるものがあるとすれば、生命原初の呪いか幻想種の強固なる精神くらいなものだろう。東方朔でさえ、例外ではない。
心を読み取る。
そう、いくら取り繕っていたとしても彼の心は……。
アノーラの感情が、視線を通して東方朔の精神の中に塗り込められていく。どれだけ激情に突き動かされたとしても、アノーラの心の一部は常に冷静なままだ。その知性的で理性的な部分の波長だけを切り取って、東方朔の精神にコピーしていく。東方朔の感情は上書きされて、徐々に薄れ、消えていく。
理性と知性で、感情や思考も何もかもを塗りつぶしてしまう。
感情の起伏が消えたせいで、紅い瞳に力がなくなる。まるで人形のように大人しくなってしまった東方朔の身体を優しく労る。
「済みましたよ。これでまた、しばらく保つはずです」
「ありがとう。助かるよ」
東方朔の声はひび割れ、掠れていた。潤いをもたらしたくなる衝動を抑えこんで、アノーラは馬乗りの体勢をやめた。
東方朔がゆっくりと身体を起こした。膨大な魔力も、無尽蔵の生命力も、何一つ伺えないほどに、今の彼は平坦だった。一瞬でも目をそらせば、消えてしまいそうな儚い存在感。<精神同調>とはそれほどに危険な術式なのだ。けれど、これも団長を思ってのこと。アノーラは自分のしでかしたことの重大さを噛み締めながら、催眠香の補充を行った。
意識をぼんやりとさせるこの薬は、脳の半分を強制的に休息させる効果がある。睡眠することなく、脳と身体を休ませることが出来る秘薬である。半覚醒状態では、脳の働きは鈍くなるものの、意識だけは保っていられる。今年に入ってから、一日も眠れていない東方朔の体調を保つには、必須の薬物だった。
「団長……」
終わりは近い。
永遠なんて、ない。




