51デュアルたち
それは住居ではなかった。ただの工場でもない。
機械。そう呼ぶのが一番相応しいだろう。巨大な機械。中に人が住めるくらいの、機械。機能のために構造が存在し、形態は機能に従う。
”ファクトリー”の中心にあるのは、巨大な金属シャフトだ。水車から伝わる動力によって、片時も停止することなく回転し続けている。不眠不休で運動する金属シャフトは、”ファクトリー”の存在そのものである。シャフトの回転エネルギーは膨大であり、余波で建物は常時微振動している。これでは快適な住環境など望むべくもなく、”ファクトリー”では、この回転を維持するためだけに、他の全てが犠牲にされている。
シャフトには無数のクランクが接続されており、莫大なエネルギーを小分けにして、各所に分配している。”ファクトリー”内部では、多くのものが自動化されている。特に多くの人力が必要となる力仕事は、その殆どをシャフトの動力が代行している。
”ファクトリー”に住まう人々の生命線である地下水の汲み上げから、汚水排水の処理、資材や煉瓦を砕く粉砕機まで。
多くのシステムが自動化されている”ファクトリー”では、適正な人口を保つ限り、エネルギーを無尽蔵に使い放題なのだ。それだけのわがままを許すだけの膨大なエネルギーが、”ファクトリー”には存在する。生み出され続けている。
自動化された温風機を前にして、ナタリアは嘆息した。第二魔術師団の作り上げた”ファクトリー”は、おそらく世界で唯一のもので、最も先進的な機構なのだろう。
「空気の圧縮によって、暖かい空気を吐き出す……のが、理想なのですがねぇ。圧縮の際に気密を保つのが、どうにも難しいらしく、あんまり効果はないんですよねぇ、それ。吹き出し口の前に立てば分かりますが、逆に涼しく感じるぐらいなんですよ」
たとえ、失敗作だとしても。これだけの機械は、帝国には作ることが出来ないだろう。大量の鋼、大量の留め金、大量の歯車。地属性の職人を何人集めれば、何年働かせればこれだけの量が製造出来るのだろうか。呆れる他ない。
『……どうやら、ここにあるのはアイディアばかりが先行した試作品のようだが……。これで精度が上がれば、手が付けられないな』
”声”は口数が少なくなっていたが、”ファクトリー”を恐れていることは伝わってきた。
ナタリアは案内役の道化師に、先に進むように言った。
「すまぬ。あんまりにも珍しいものじゃから、見惚れておった。アンシャリーア殿の所に挨拶しに行くのじゃったな、急ごう。あまり待たせたくはない」
「外では見られないものばかりですからねぇ。仕方のないことです」
”ファクトリー”は広大だが、構造そのものは単純だ。全体としては円柱の形状をしており、中心には巨大なシャフトが四層分の吹き抜けを貫通している。そのシャフトの動力を利用するべく、空中にはクランクシャフトとギアが、無数に存在している。大木から伸びる枝葉のように。ならばそこをちょこまかと動きまわる職人たちは、大樹の恩恵に預かる昆虫たちか。いきいきと働く彼らの姿を見ていると、”ファクトリー”というものも、存外悪くないもののように思える。
シャフトを囲むリング状の外壁部分には、各部屋が均等に配置されている。それはちょうど、大樹に実った果実のよう。ナタリアたちが向かっているアンシャリーアの私室も、そんな外壁部屋群の中の一つだ。
道化師の案内で、ナタリアたちはアンシャリーアの部屋に招かれた。扉を見た感じ、特別なところは何もなく、ここから一望できる他の部屋と何も違いがない。ここがあのわがまま娘の部屋だと言われても、にわかには信じられない。
道化師はノックもせずに扉を押し開く。
扉の隙間から、薄暗く狭い室内が見えた。そして見つけてしまう。ばさりと広げられた銀扇。ガラス細工のように透明感のある艶かしい素肌。枯れ木のように病的に細い手足。床にうつ伏せで倒れていた銀髪の少女を。アンシャリーアを。
その光景を見て、思わず息を呑んだ。
アンシャリーア。銀髪の美しい少女。デュアルの彼女は、年齢と外見の差異を筆頭として、さまざまな点で常人とは異なっている。
まさかどこか身体が悪いのだろうか。病気か、何かで意識を失って、倒れているのだろうか。だとすれば一刻も早く治療せねば。
しかし、道化師は寝そべるアンシャリーアの脇腹を足先で小突いていた。いくら彼が常識知らずだと言っても。とても病人に対する扱いではない。あんまりにも非道な行いに、ヒッ、と息を呑む。
「起きなさい。客人が来られましたよ」
道化師はそのままつま先で器用にアンシャリーアを転がした。うにゃ、と奇声を発しながら仰向けになったアンシャリーアは、寝ぼけ眼をこする。
「う~ん、なによー、乱暴しないでよ、アルトタス!」
「お客様です。昼間からだらけるのは止めてください」
少女は絡まった長髪を手櫛で解きほぐしながら、欠伸をしていた。道化師の言葉が堪えた様子はまるでない。
「あっ!ナタリアちゃんじゃーん!来てくれたんだ!」
こちらを見つけたアンシャリーアは髪をいじるのをやめて、元気良く手を振ってくれた。反射的に頷く。
「”ファクトリー”の中はもう見学した?何処のセクターで働きたいか、決まった?私的にオススメは、炸裂榴弾の試作品かなっ!今一番アツイのは、あの部署だから!」
立ち上がったアンシャリーアは、とてとてと駆け寄って来た。つい先ほどまで地べたに寝転んでいた為に、服の皺や付着した塵や埃が、彼女の美貌を損ねている。
「待ちなさい!」
そんなアンシャリーアの首根っこを捕まえた道化師は、親が子供を叱るように銀少女の暴走を食い止めた。宙ぶらりんにされたアンシャリーアは、手足をばたばたと動かす。
「彼女らは、貴女だけの客人ではありませんよ?私はもちろん、パパの客人でもあります。何が何でも強制労働させようとするのはやめなさい。一ヶ月前に叱られたのは、どなたでしたっけ?物忘れが酷いのは一人で十分です」
一ヶ月前というと、ナタリアの誘拐未遂のことだろう。とかくアンシャリーアの行動はトラブルを招く。
痛いところを突かれたのか、アンシャリーアの抵抗は弱くなり、しおらしい声で謝罪した。
「う……。わ、悪かったわよ……。ナタリアちゃん、驚かせてごめんね」
「ああ、気にしておらぬよ」
本当は嫌味か文句の一つでも言ってやりたいところだが。
「でも、もし”ファクトリー”で働きたくなったら、何時でも言ってね!ナタリアちゃんの席は空けておくからっ!」
「それより身なりをなんとかしなさい。見苦しいですよ」
道化師は、掴んでいた首を手放す。床に落とされたアンシャリーアは、道化師の横暴に半目になりながらも、自己の姿を省みる。
「はいはい。お風呂入ってくるわ。あ、それからアルトタスは後で制裁ね。足蹴にしたこと、どさくさ紛れにしてんじゃないわよ」
すれ違いざま、鋭い爪先の一撃が道化師の脛を襲った。激痛に悶える道化師と、ポカンとしたナタリアたちを置き去りにして、銀少女は室外に出て行った。宣言通り、身を清めに行くのだろう。
「ぐ……今っ、制裁してるじゃないですかっ!」
『もっと酷いのが、この先待ってるんだろうな。ご愁傷様だ』
道化師は患部を抱えてうずくまってしまった。
終始彼らのペースに乗せられっぱなしも悔しい。アンシャリーアが居ない間に出来ることは無いだろうか。
主の居ない部屋を見渡す。窓から差し込む光は細く、ごちゃごちゃした部屋を照らし上げるには光量が足りていなかった。
貴重な紙が所構わず落ちている。足の踏み場も無いくらいだ。目についた一枚を手に取る。
「帝国産の紙ッスね。高価なもんをこうも無造作に扱える位に、金が唸ってるんスかね?」
「いえいえ、こんな阿呆は彼女一人ですよ」
道化師が患部をさすりながら弁解した。軍属であり、公金を支給される立場としては、無駄遣いと思われるのは心外なのだろう。ミックとしては、ただ王国産の紙との比較をしてみただけだろうが。
道化師がミックとの会話に気を取られている隙に、ナタリアは書かれた内容に目を通した。殴り書きが多いが、設計図やアイディアの原型が描かれている。空想の類にしか見えない飛翔する鉄の鳥のようなものまである。こんなものが、本当に作れるのだろうか。
夢想家の妄言とバカに出来ないのは、駆動車という実績があるからだ。
『……大したもんだ』
何がすごいのかは分からないが、”声”も認めるということはきっと立派なものなのだろう。
手に取った資料を元あった場所に戻す。
走り書きやメモの他にも、色々なガラクタが部屋の中にはあった。
子供の好みそうな柔らかそうなふわふわクッションに混じり、歯車仕掛の鉄塊がゴロゴロ転がっているのだ。かなり異質だった。
「水でも飲みましょうか」
どうやら本気で蹴られたわけでも無いらしい。治癒の魔術を使わずに、痛みから復活した道化師が、部屋の隅に設置されていた怪しげな機器の前に立った。
「川の水ではありませんよ?地下水を汲み上げたものです。美味しいので、是非」
道化師が機械を操作すると、細長い管からとぷとぷと清涼な水が流れ出した。予め用意されていた人数分の器に水を湛えると、道化師は全員に水杯を配った。
「……。カリオストロ、貴方は空属性も持っていたのですか?」
レヴィが食ってかかる。水流を操作するのは、空属性の特徴だ。レヴィは彼が密かに魔術を行使したと思ったのだろう。敵地とはいえ、ピリピリしているのが、ナタリアにさえ分かるほどに余裕がない。
「いえいえ、私は地と日のデュアルですよ。ふふ、帝都にはこんな設備はないですよね?地下水をわざわざ汲みに行かなくても、ここで飲めるんです。魔術なんて使わなくても、ね」
「馬鹿な……!ここは三階、いや純粋な高さだけで言えば、四階相当ですよ!?空属性なしに、どうやって……」
「滝の上ッスね。あそこから水を引いているんスよ。確かに魔術は使ってないみたいッスけど、人を謀るのはやめるッスよ」
「だから地下水を汲み上げたと言ったでしょうに。つくづく頭の固い大人たちですねぇ。ナタリアさんは信じてくれますよねぇ?」
道化師に渡された杯を一息に飲み干す。毒だなんだと疑っていたら、何をしに虎口に飛び込んだか分からない。
それに無味無臭の水は、異物を混ぜるのに最も向かない飲料だ。手渡したのが、道化師ということもあり、ナタリアは殆ど心配していなかった。
「帝都で導水管を見ておるからな。じゃが、空属性でないとあの魔具は扱えぬはず。ならば、その装置の仕組みは別物ということじゃな」
「ええ!ええ!流石です」
遠回しに馬鹿にされたレヴィとミックは、ムッとしていた。人の神経を逆撫ですることにかけては、道化師には天性のものがある。純粋に人を褒める時でさえ、周囲に諍いの種をばら撒いていくのだから。
「中身は別物ですが、地上から伸びる管は、導水管のものと同一です。これも彼女の考案したものなのですよ。属性の色を問わずに、この装置は取水することが出来る。実に画期的発明ですが、”ファクトリー”の外では機能しないのが玉に瑕です。野営の時に使えると、便利なのですがねぇ」
ナタリアと道化師が和気藹々と水を飲んでいるのを見て、レヴィは心配するのも馬鹿らしくなったのか、男らしく一息に杯を空にした。
「自分たちは凄い、と改めてアピールされなくても分かっていますよ。あの戦いで、その片鱗は嫌という程見せつけられましたからね」
地形を変化せしめるほどの大魔術。<吸魔>という魔術師に対する究極の一矢さえも跳ね除ける状況対応力。上十二衛や、インペリアルガードを差し置いて、彼らの実力は帝国一を主張できる。今更教えられるまでもないことだ。
「今を時めく女騎士殿に評価されるとは、光栄の極み。ですが、それは邪推ですよ。私は全く別の目的で、この設備の説明をしています。勘の良い方は、薄々勘付いているかもしれませんがねぇ」
道化師の意味深な流し目がナタリアに送られた。意識して目を逸らす。
居心地が悪い。ナタリアは歓待され、歓迎されている。だが、同行者に過ぎないレヴィたちはそうではない。扱いの差が感じられて、落ち着かない。
アンシャリーアの部屋に散らばる書類を片付けていると、部屋主がようやく戻ってきた。柑橘系の香りを湯気と共に漂わせる銀少女は、まだ湿り気の残る長髪を一纏めに結んでいた。子供の癖に妙な色気を匂わせるアンシャリーアは、道化師の用意した水を飲んで火照った身体を冷ました。
「改めて、”ファクトリー”にようこそ。滞在中は、中の施設やら工房の見学は自由だから。皆にも言ってあるから、多分トラブルもないんじゃないかな。好きなだけ居てくれて構わないから。なんならずっとでも、ね」
改まった態度でアンシャリーアは、ナタリアたち三人に向かい合った。態度は慇懃だが、服装はラフであり、彼女のいい加減さがうかがえる。
ナタリアにとっても、”ファクトリー”の技術力を探るというのは、当初の目的の一つだ。思う存分見学させてもらおう。
「感謝する」
「あ、階段の上り下りが面倒だったら、試作品の昇降籠があるんだ!楽に階を移動できるから、よかったら使ってね!」
アンシャリーアからの言葉からは、歓迎の意思しか感じられず、未熟なナタリアでは発言の裏を読むことは出来ない。ナタリアは素直に感謝を表明するしかなかった。
道化師が横から補足する。
「施設見学以外にも、貴女に会って欲しい人がいます。気が向いたらお付き合いください」
「ナタリアさん、直接お会いできると嬉しいです」
前触れなくフワワの声が聞こえた。レヴィとミックは、まだ慣れないのか、キョロキョロと辺りを見回した。
二人を差し置いて、さも当然という風に答える。
「フワワ殿も”ファクトリー”に住んでおるようじゃな」
「ええ、外に出るのに不都合がありまして……。”ファクトリー”の中でも一番深い場所にお部屋を用意してもらっています。こちらからお迎えに出向けないのは、残念ですが、もしよろしければ私の部屋まで来ていただけると嬉しいです」
「ああ、楽しみにしておるよ」
「うふふ、私もです!」
フワワとの会話は相手の姿が見えない状況で行われている。レヴィなどは未だに首を傾げている有様だ。ナタリアだって、”声”との相談事に慣れていなければ、レヴィと同じような醜態を晒していたかもしれない。
アンシャリーアはそれ以上何か言ってくることはなかった。解放されたナタリアたちは、道化師の案内で施設を見て回ることになった。
「上から順番に見ていきますか」
最上層。広くはないが、見た限りでは二、三の個室があるようだ。天井には下層から伸び上がっている管が何本も突き刺さっている。
ゴウンゴウンとやかましいくらいの音が、頭上から重く響いてくる。メインシャフトから伝わる動力によって巨大なプロペラが回転し、外気を取り込み、同時に排気を行っているのだ。
とある一室に招かれる。中にいたのは寝台で横たわる一人の男。燃えるような赤い髪は、炎のように逆だっていたはずだが、元気なく萎れてしまっている。
バーニア。飛翔する魔術師。彼の肩と腹には包帯が幾重にも巻かれている。地に堕ちた魔術師は、ナタリアたちを見て微笑んだ。
「おっ、よく来たな!まぁ俺は歓迎できねーけど、他の連中が歓迎してくれるだろ。ようこそ」
「バーニア殿……」
「なんだなんだ、いっちょまえに心配してんのか?そんなに俺は情けなく見えるかねー。ドラゴンと戦えなかったのは心残りだがよ。なんだかんだ、あれは悪くない戦いだったぜ」
バーニアの傷は既に塞がっている。アノーラの強力な治癒の術が傷口を塞いだのだ。けれど、即完治というわけにはいかなかった。<吸魔>の一族秘伝の毒薬は、彼の身体の奥深くに潜ってしまっていた。異物であるならば、除去すればいいだけの話だが、あいにく入り口出口は塞いでしまっている。戦場での応急処置ということもあって、術後の経過は芳しいものではなく、バーニアは復調とは程遠い状態にあった。
上半身を起こしたバーニアは、立てかけてあった杖を引き寄せ、おっかなびっくり立ち上がった。
「やっぱ地に足つけて歩くのは違和感あるぜ」
杖に体重を預けつつ、バーニアは苦笑した。
一歩、二歩。震える足取りで彼の衰弱具合を感じ取ったナタリアは目を背けた。元気だった人が病で身体を弱らせている光景は、見たくない。快方に向かいつつあるならまだしも、弱っていく様など、絶対に見たくない。
「あー、早く空に戻りてー!」
冗談ぽく叫んだバーニアは、杖を手放し、力尽きたようにどうと後ろに倒れた。寝台のクッションを全面的に信頼して、バタリ、と。道化師の顔色を伺うが、慌てている様子はない。つまり、これは日常なのだろう。
「け、怪我の方が治るにはどれくらいかかるのじゃ?」
「さあ?一年か、二年か。見えないところがやばいらしい。いや、傷は塞がってるからこんな包帯いらねーんだけどよ。見る?」
バーニアが襟元を包帯ごとはだけさせると、道化師が素早く彼の頭を叩いた。
「馬鹿な事を言わないでください。お巫山戯が過ぎますよ」
「ふざけたつもりはないんだがなぁ」
道化師に諌められたバーニアはおとなしく寝具の中に潜り込んだ。退屈そうなのが、見ているだけでありありと伝わってくる。
「そんで、そっちの人は見たことねーな」
バーニアの目が後方で控えていたミックを捉えた。顎で促され、ミックは一歩前に出た。
「ミック……ミック・ジャガー・タスケ、ッス。あの……うちの者が迷惑をかけたッス」
<吸魔>の里に伝わる毒薬がなければ、バーニアの負傷がこうも長引くことはなかっただろう。恨まれても仕方のない状態である。炎を体現するようなデュアルの魔術師であるバーニアが暴れれば、周囲に甚大な被害を及ぼしかねない。ミックは謝罪しつつも警戒は解かなかった。
「そうか、話に聞いていたが、あんたがミックか。くそっ、戦功第一位だろ?羨ましい」
しかし予想に反してバーニアの顔には恨みつらみといったものは皆無だった。
「敵の首領の手柄首をとったらしいじゃんか」
「ありがとうございます、ッス。一刻も早く、身体が治るように祈ってるッス」
なんとか穏便に済んだようだ。最初の印象通り、というべきか、バーニアは細かいことに拘らず、さっぱりとした性格の持ち主のようだ。
もちろん、ミックの努力が好影響を及ぼしていたことは言うまでもない。ミックは第二魔術師団側に立って、命をかけて戦い、勝利した。その実績をもってミックは遺恨をなくすことに成功したのだ。
ナタリアが長居を好まなかったため、ほどなくして一行は療養室を出た。
バーニアの療養室から十分離れた後、ナタリアは道化師に尋ねた。
「実際のところ、具合はどうなのじゃ。治るのか?」
「ふむ。少しづつ快方に向かっていますよ。ミックさんの知識供与のお陰ですね。だからあなたはなんにも気に病む必要はないんですよ。ミックさんがあなたの配下として認められたのは、我々の総意でもあるのですから」
ミックが超法規的措置によって処罰を免れたのは、彼ら第二魔術師団の口添えがあればこそだった。道化師の言っていることは嘘ではないのだろう。どのような思惑があれ、ミックは赦されたのだ。
「まあ本来であれば死に至る重篤な怪我だったことは否定しません。陰陽和合の秘術であれば、どんな怪我も病も消し去ることができる、と慢心していた結果ですね。しばらくは――一、二年はおとなしくしていないといけないでしょうねぇ。我々の仕事はその分忙しくなるでしょうが……いや、なに。あの事件もそう悪いものではありませんでした。終わったからこそ言えることですがねぇ」
屈託なく笑う道化師を見て、ナタリアは羨望を禁じ得なかった。
彼らは強い。死にかけて、居場所さえ失いかけて、仲間を失いかけて、依って立つ矜持さえ失いかけて。それでも彼らは挫けないのだ。荒野の魔獣ごときを彼らが恐れるはずもなかった。彼らはもっと恐ろしい物と戦い、勝利し続けてきた集団なのだから。
「……あの程度の脅威は日常茶飯事、ということか」
思わず思考が言葉になって漏れてしまった。
何故か道化師は慌てたように言葉を重ねた。
「いえいえ!さすがにあれほどまでに追い詰められたのは、団創設以来だと思いますよ?少なくとも私が入団してから十五年間では最大の危機でした。ええ、それは確信を持って断言できます」
「そ、そうか」
予期せぬ道化師の剣幕に、少しばかり圧倒されつつ、ナタリアは曖昧に頷いた。
「そ、そんなに疑うなら、パパのところに行きましょう。当然のことながらパパは団の中でも一番年長です。第二魔術師団が生まれた時からずっと近くで見守ってきたのです。昔のことならば、一番詳しいですからね!」
東方朔。クラックスの口から、東方朔についての情報を手に入れたナタリアたちにとって、その名前は魔名でもあった。
百年の超える年月を生き、帝国建国当初から帝国を支え続けた影の功労者。陰陽和合という究極の魔術によって不死に至った究極の魔人。
クラックスが発狂するに至った最大の原因でもある。
その魔名が嘘や誇張ではないことは、実体験でよく知っている。ナタリアたちは彼の巨大な魔術行使をその目で確認しているのだから。地形を変化し、軍団一つを飲み込むほどの圧倒的な魔力と処理能力。人域を越えた魔人は、もはや幻想種に近い存在と言っても過言ではない。
そのような相手との面会である。緊張するのもやむを得ない。第二魔術師の団長として、東方朔は”ファクトリー”の総責任者でもある。施設見学にあたり、彼に挨拶をするというのはそうおかしな話ではないのだが……。
「わかった。行こうか」
避けられぬ出会いならば、せめてこちらでタイミングを決めたい。ナタリアは決断し、レヴィとミックは無言でそれに従った。
「おお!そうですか、聞いてくれますか!では、ご案内します。パパの部屋はこの最上層にあります。すぐそこですよ」
道化師が微笑む。
案内された部屋の扉は、やはり他の扉と寸分変わらないものだ。何も知らなければ、通り過ぎてしまうだろう。
責任者であれば区別のために、ある程度偉ぶるのも仕事のうちだと思うのだが。
道化師がノックすると、僅かに扉が開かれる。重い鉄扉が、重厚な響きを奏でる。中からアノーラが顔だけを突き出した。一行の顔ぶれを確認しただけで、用件を把握したようだ。
「あぁ、団長への面会ですね」
「ええ、取り次ぎよろしくお願いしますよ」
「そこの雌はダメです。娘は……まあ、仕方が無いですね。少々お待ちを」
アノーラが室内に引っ込んだ。東方朔にボソボソと話している声が漏れ聞こえる。ナタリアが聞き耳を立てるのを、道化師はごく自然に妨害する。
「すいません、炎剣殿にはここで待っていて頂きたい」
「何故です?騎士と従士は一心同体。片時も離れることはなく――」
「はいはい、建前はいいですから。それに、今は公務中ではありませんよねぇ?その理屈は使えないですよ」
「ぐっ!しかしっ!納得できません!私とナタリアを遠ざけようとするのは、疚しいことをするつもりなのでは!?ナタリアを害するつもりではないでしょうね!?私の従士を守るために、その目論見を阻む必要がある!」
「違いますよぉ。炎剣殿に色香がありすぎるのが、問題なんです。アノーラさんは嫉妬深い方ですからねぇ」
「んなっ!?」
予想外の返しを受けたレヴィは、硬直していた。何が何でも、ナタリアを守ると決心して敵地に飛び込んだレヴィは、己を一振りの刀だと思い定めていた。上十二衛という立場を捨てて、ただ良く切れる刃であれ、と決めていた。
なにしろここ最近は、レヴィにとってストレスの溜まる日々だった。交渉は苦手だし、阿諛追従はもっと苦手だ。軍部の同僚たちに認められた所までは、素直に喜ぶことができたが、まさか根も葉もない噂で名前を傷付けられるとは思わなかった。幸い、火消しはうまくいき、レヴィの名声は悪名を塗りつぶすほど帝国中に轟いていた。だが、別に名声のために自分は戦っているのではない。
望まぬ立場に、望まぬ待遇。
今日の旅路。積もり積もったプレッシャーから、一時的にでも解放されたレヴィは、身体が軽くなったように感じていた。ナタリアの守護者として、後ろでドンと構えておくのは楽なのだ。気を抜ける務めではないが、武威を放つくらいは造作もない。
百人の敵を切り伏せるのと、百人の群衆を説き伏せるのと、どちらかを選べと言われれば、レヴィは間違いなく戦いを選ぶ。そういう人種だったから、肌がピリピリするような虎口にあってもストレスという程のことはなかった。
それゆえにレヴィにとって道化師の言葉は予想外だったのだ。武力として声をかけられるのではなく、さりとて上十二衛の立場を見込まれたわけでもない。女としての己を認められたのは、彼女にとってあまりに不意打ちだった。
絶句するレヴィは二の句が継げない。
「大丈夫ですよ。扉の前でも、耳をすませば部屋の中の会話は聞こえるでしょう?ナタリアさんの嫌がるようなことはしない、と誓いますよ」
道化師の保証があてになるかどうかは、人によって判断の分かれる所だ。少なくともナタリアは信用した。レヴィの袖を引き、大丈夫だと暗に示す。
「……貴女が、大丈夫だと判断したのなら、私はそれに従います。貴女は私の従士ですが、奴婢ではありません。ここでは客人の貴女の判断が優先されるでしょう。所詮私達は付き添いですから」
レヴィは扉の横に置いてあった花瓶の台にもたれ掛かった。
丁度いい具合に休憩できる場所をレヴィは定位置と定めた。
ナタリアは道化師に念押しする。
「ミックは一緒でも良いのじゃな?」
「ええ、もちろん。ナタリアさんも一人では不安でしょうからねぇ」
「ならば、よい。レヴィ。少し待っていてくれるか?」
「はい。何かあれば、大きな声で叫んでください」
丁度その時、扉が開く。アノーラの顔が突き出し、
「お入りください。準備が整われました」




