50”ファクトリー”
音無しの鈴は、外見だけなら何の変哲もない鈴だ。魔力も感じられないそれは、ガラクタ置き場に落ちていそうなくらいにあり触れたアイテムだ。
車座になったナタリアたちは、その鈴に視線を注いでいた。
「では、鳴らすぞ」
ナタリアが囁くような小声で宣言する。レヴィとミックは首肯を返した。
――チリンチリン。
鈴音はナタリアの耳には聞こえなかった。もちろん、”声”にも。
けれど、手応えはあるのだ。有るはずのものが聞こえず、存在しないはずのものが見える。
その声は何処からともなく響いた。
「……初めまして、ナタリアさん。”ファクトリー”に来てくれるんですね。嬉しいです。これから言う指示に従ってください。道案内をしますので」
ナタリアを除いた二人は、ビクリと身を震わせた。キョロキョロと落ち着きなく視線を彷徨わせ、声の出処を探っているらしい。ナタリアは彼らに同調せず、
「わしがナタリアじゃ。お主は案内人か?」
と、まったくの虚空目掛けて喋った。
レヴィがギョッとしたようにナタリアを凝視した。
「ナタリア、貴女には何か見えているのですか?その……声の主が」
「いいや?さっぱり見えておらぬが。そも、ここにおらぬ者を見ることは出来まいて」
響く声は念話とはまったく原理が異なる。言語化寸前の思索と想いを伝える念話は、音として鼓膜を震わせることはない。異質な聞こえ方をするものだ。けれど、今聞こえている声は、何処か遠くから呼び掛けられているようなくぐもった音。念話でなく、”声”とも違う。ナタリアが知る中で、一番近いのは伝声管を通った声の響きだった。
伝声管は、アンシャーリア謹製の駆動車の内部設備として備えられていたものを、使ったことがある。駆動車もファクトリーの産だとすれば、おそらくは……。
「ええ、私はフワワと申します。実はかなり離れた場所から、ナタリアさんたちに話し掛けています。そちらの姿は見えませんが、声は拾っていますので、安心して喋ってください。あ、二人同時に喋られると、聞き取りにくいので、片方ずつ順番に話してもらえるちありがたいです」
フワワと名乗った案内人は、とある住所をすらすらと述べた。帝都の外縁部で、鉄塔の東側だ。
「道は分かりますか?」
「大丈夫、わかるッスよ」
何が気に入らないのか、ミックらしからぬ苛立った声色だった。
「では、よろしくお願いします。何か質問があれば、遠慮なく」
案内人の声が聞こえなくなった。元からここにはいないのだから、唯一の存在証明である声が聞こえなくなると、消えてしまったように錯覚する。
「一体、あの声は何だったのでしょうか……?女性の声に聞こえましたが」
レヴィはしきりに首を捻っている。日常的に”声”と会話しているナタリアと違って、二人とも姿の見えない相手と会話することになれていないのだ。
「おそらくは地下からの声じゃろう。他に声を通せる場所がない」
「ご明察です。さすがはナタリアさん。”ファクトリー”に招聘されるだけはありますね。帝都地下に伝声管を這わせているのです。そこを通して、音が伝わっているのですよ」
消えたと思っていたフワワが、即座にネタバラシをしてくれた。ナタリアの予想は当たっていて、フワワの声は地下の管を通って伝わっていたのだ。
「不思議なこともあるものです。このような魔術は見たことも聞いたこともありません」
レヴィが感心したように唸った。ナタリアだって、事前知識が無ければこうもあっさりとフワワの声の仕組みを看破することは出来なかった。”声”の知識と、魔導研究所所員のコンラによる音の伝達に関する資料を読み込んでいなければ、とてもとても。
魔導研究所の最新鋭の研究が、第二魔術師団では既に実用化までされている。やはり、帝国の魔術の大家は、軍でも研究所でなく、彼らデュアルたちなのだ。
ナタリアたちは、指定されたポイントへ移動する。迷うことは無かった。道を逸れそうになっても、随時案内人が正しい道を教えてくれるのだ。どこまでも付いてくるフワワの声は、味方であれば心強いが、敵であれば恐ろしい。どこまで走っても、決して逃れられない呪縛の声。常に監視されているという不安と疑心。
『ふむ……』
”声”でさえ、不用意に発言することを遠慮しているようだ。フワワの空間では、一つの独り言さえ許されない。どんな内密の会話にだって、彼女が参加している。この空間にいる人間は否応無くフワワの存在を意識せざるを得ない。
「お主も……デュアルなのか?」
「ええ。空と夜の属性を持っています。このように遠方でもお話ができるのは、魔術の使い方を教えてくれた団長のお陰なんです」
彼女もまた、第二魔術師団の一員であり、生半可な相手ではない。そのことがよくわかった。
フワワを無視することもできず、開き直って彼女との歓談を楽しみながら移動する。ナタリアと違って、レヴィやミックは姿の見えない相手と会話するのにまだ抵抗があるらしい。道中はむっつりと黙ったままだった。
指定された住所にあったのは、川沿いの小さな家だった。何の変哲もない家。人の住んでいる気配はないのに、荒れ果てているという風ではない。
「その家です。鍵はかかっていませんから、正面玄関からお入りください」
「ふむ。何も知らぬ浮浪者が入り込んだりはしないのか?」
「偶にそんなこともありますね。その時は穏便に警告して追い返しています。セキュリティは万全なので、安心して招かれてください」
前庭を通りぬけ、扉の前に三人は立っていた。感知の魔術を使っても、魔力の気配は全く感じられない。魔術を利用した防犯設備ならば、なんらかの痕跡が絶対に残っているはずなのに。
フワワたち第二魔術師団の持つ技術力は、凡百の魔術を超越しているとでも言うのだろうか。
扉を押し開くと、埃っぽい空気が鼻についた。反射的に口と鼻を覆う。
「いらっしゃいませ。地下に小舟が用意してあります。それに乗って帝都を出てください。”ファクトリー”にご案内します」
窓の締め切られた室内の空気は淀んでいた。しかし、不快に感じるほどではない。ナタリアたちは顔を見合わせた後、フワワの指示に従って下に降りる階段を見つけた。
外観は普通の家ではあるが、地下室の設えは立派だった。内壁は磨き上げた鏡のようにつるつるとした光沢を持っていた。地下に入ると、埃の匂いよりも水の匂いの方が強く感じられた。
「地下室は、川の水位と一致するように作られています。船置き場から直接川に出られますよ」
方形の地下室の中央には川の水が流れ込んできていた。水面に浮かぶのは、見たこともない光沢を持つ小型の船だ。外へと続く穴からは、さらさらと水の流れる音が絶え間なく響いてくる。
船体はもやいロープでしっかりと固定されており、川の流れに流されるということは万が一にもなさそうだ。
「では、隅の方に渡し板が置いてあるはずです。それを使って皆さん搭乗してください。念の為に尋ねますが、おふた方も”ファクトリー”に来るのですよね?私、初めからそのつもりで案内しちゃってましたけど……」
「ナタリアは私の従士です。もちろん、同行するつもりでしたよ」
「ッス」
「それは良かったです。船の操縦はナタリアちゃん一人だと、もしかしたら難しかったかもしれないですから。船の中では、私の声は届きません。そちらからの音を拾うことも出来なくなるので、注意してください。何かあっても助けられませんから」
地下に張り巡らされた伝声管を使って遠方から声を届けているのだとすれば、水上を進む船に連絡がつかないのもよく分かる。
フワワがあまりにもあっさりと彼らの技術を暴露する物だから、感覚が麻痺してきているが、これはひょっとして罠ではないだろうか。
つまり、船上の音は拾えないと見せかけて、油断したナタリアたちの会話を盗聴したり。
とにかく、気を抜きすぎるのは、ダメだ。ここは敵地。例えば川の浅い場所ならばいいが、流れの速い難所で船を転覆させられれば、こちらも無傷では済まない。というより、ナタリア一人だけでは、間違いなく溺死してしまうだろう。レヴィとミックが助けてくれる状態だとは限らない。
ゆえに船の検分は念入りだった。帆の類は見当たらず、手漕ぎボートのようだが、オールがどこにも無い。どうやって進むのかといえば、”声”が推進機構のことを知っていた。船尾についた回転翼。それが高速回転し、水をかき続けることで、人力を使わずに船体を動かすことが出来るらしい。
真水や密封された保存食も見つかった。細工は無いようだ。
未知の推進機構にも興味があったが、ここいる三人は誰も船に詳しくない。ここでこれ以上調査するのは限界があるだろう。
フワワから操船方法をレクチャーされる。といっても航路については、予め決められた水路を進むように設定されているらしく、特別な操作は必要ない、とのことだ。
教えられたのは、主に緊急時の対応についてだった。刺客に襲われた場合、浸水が見られた場合。航路誘導が失敗した場合。可能性は低くとも、非常時に備えることは無駄にはならない。フワワは几帳面な性格らしく、飽きもせずに、各種事態への対応策を事細かに教えてくれた。質問にも淀みなく答えているところを見ると、彼女がただのメッセンジャーではないことが分かる。
彼女の誠実さ。堂々とした態度。未知の技術を惜しげも無く公開する度量は、認めざるを得ない。
短時間の間に、ナタリアたちに一定の信頼を植え付けたフワワは、乗船を促した。
川を遡上した所に”ファクトリー”はあるらしい。帝都内を流れるその川は、流れはたいしたことがない。緩やかな流れは、都市の動脈、水運として非常に役立っている。ナタリアたちは駆動船に乗り、川を遡上していった。小型の船は川を見下ろす人々の意識にも止まらない。しかし、船を見慣れている船頭たちは、間近で駆動船を目撃して目を白黒させていた。船尾から巻き上がる飛沫が、バシャバシャと音を上げ、低く唸る駆動音が水面を震わせる。
彼らが驚くのも、無理はなかった。
水中に張られた太い綱に導かれて、船は進む。導索との連結を解除しない限り、この船は定められた水路を進むことしかできないのだろう。
舵を取る必要はなかった。
流れに逆らってなお、快速で進む船は帝都の外までノンストップだった。川の上の交通が自由だったのは、ひとえに軍船マークのお陰だろう。民間の船はこちらの小舟のマークを見つけた瞬間慌てて道をよけてくれる。これならば、決められた道を進むだけでも問題ない。
川の流れに逆らうこと数十分。早くも船は帝都を出ようとしていた。
「いったいどこ迄、進むつもりじゃろうか」
「船で半日と言っていましたが、この船の船足を見誤っていました。思ったよりも帝都から離れた場所になりそうです。復路のことを考えると……。明日の仕事を休みにしておかなければ、危なかったです」
帝都の周りには、無許可に建築されたスラムが広がっている。けれど上流側の地形が険しいせいで、下流側に比べて家屋の数は少ない方だった。スラム住人の物珍しげな視線を総身に浴びつつ、ナタリアたちは更に遡上していく。
やがて両岸から人の気配が消える。帝都は遠い。人の代わりにこの地を支配するのは魔獣たちだ。危険度の低い、弱い魔獣の群れが水飲み場からじっと駆動船を観察しているのが見えた。魔術でも放てば、一二頭を屠り、群れを蹴散らすことも出来るだろう。水上を高速で進む駆動船に、彼らが追随できるとも思えない。
別に害になるわけでもなし。放置しても大丈夫だろう。予想通り、その群れは見慣れない駆動船を警戒しているだけだった。彼らに見守られながら、駆動船は上流へ。川幅がだんだんと狭くなっていき、川の流れが速くなる。
駆動船の馬力がいくら凄くても、速度が落ちるのは仕方のないことだった。
操船の必要がないのだ。半日という移動時間は退屈というより他はなかった。
時たま出会う野生動物や魔獣は、物珍しげに、川を逆流する船を見ていた。
日が天頂に達した頃、ようやくフワワからの連絡があった。何処からともなく聞こえる声。
「この先に、”ファクトリー”はあります。迎えを寄越すので、待っていてください」
船は進み続ける。程なくして、壮大な景色がナタリアたちの視界に広がった。
おおよそ人間が作ったものとは思えない規模の巨大水車。瀑布から落ちる膨大な水を受けて、ゆっくりと回転を続けている。いや、あまりにも大きすぎるから、ゆっくりと錯覚しているだけで、本当は高速回転しているのかも。
水車の隣には、崖を背にして張り付くように積み上げられた人工物。高さでは、帝都の鉄塔にも匹敵し、見方によっては帝城よりも大きく見える。”ファクトリー”の脇腹から真横に飛び出た回転軸は、巨大水車に繋がっており、水車に連動してギコギコ回転している。
何てことはない。水力を利用した施設。そう思えないのは、ひとえにスケールが違い過ぎるからだった。
巨大水車は天を衝く高さで、その直径は帝都の鉄塔すら凌ぐ。回転軸の太さは、樹齢五百年の古木に匹敵する。それらと比べて遜色のない施設の規模も、想像を絶する。普通の家数十軒分を積み上げたかのような威容は、寄れば寄るほど、畏怖の念を抱かざるを得ない。
滝もそこそこの規模であるはずなのだが、横に並んだ人工物が巨大過ぎて、あまり印象に残らない。落ちていく水量は膨大で、その質量だけであらゆる魔獣を叩き潰せる威力があるだろう。
それだけのエネルギーを利用して、一体何をやらかすつもりなのか。
自然に挑む、人類。
視線を横にずらせば、両岸に森を切り拓いて作られた広いスペースがある。数を数えるのも馬鹿らしくなるほどの切り株と丸太の山が森林を侵食している。
今この場に限っては、完全勝利を宣言したくなるほどに、人工は自然を圧倒していた。
巨大建造物の足元には、船着場があった。そこから小舟がやってくる。船上の人影は、手を振りながらこちらに呼び掛ける。
「ようこそ!皆さん。ここがファクトリーです。投錨の準備をしてください。まもなく接岸しますよ」
出迎えというのは、彼――道化師のことらしい。船から船へと軽々飛び移ってきた道化師は、駆動船の操作を代わってくれた。
手慣れた感じで、船路を微調整。船着場に小舟を誘導していく。滝壺までの距離はかなりあるので、滝の影響は少ない。
駆動車の時もそうだったが、彼は第二魔術師団の雑用係のようだ。だが、それは彼の能力のなさを示すものではなく、その逆。彼の万能さ、器用さを指し示すものだった。
道化師は無事に船を着岸させてくれた。錨を下ろし、改めてナタリアたちに向かい合う。
「遂に来てくれたんですねぇ、ナタリアさん。歓迎しますよ」
「あ、あぁ。よろしく頼む。ところで、ここは一体なんなのじゃ?これが”ファクトリー”なのか?」
「えぇ、アンシャリーアはそう命名しました。ここは工房です。工房であると同時に、住処であり、隠れ家でもある。存外居心地のいい場所ですよ。……案内します、来てください。アンシャリーアが待ってますよ。バーニアの見舞いもしてやってください」
ファクトリーは家と呼べるほど可愛らいい代物ではない。箱型をした巨大な機械、あるいは建造物と呼ぶのが一番ふさわしい。
巨大建造物の材質は、基本的には石と土である。ただし、負担のかかる構造下部においては、鋼が使用されているようだ。帝城よりも巨大で、帝城よりも頑強な”ファクトリー”に、ナタリアたちは足を踏み入れた。




