49未知の魔法陣
”ファクトリー”に赴く。それは決定事項だが、出来る限りの用意はしていくつもりだ。
レヴィのスケジュールに合わせて、音無しの鈴を鳴らすのは、二日後と決まっている。
それまでの時間、やりたいことは沢山ある。
早朝。浅い眠りのナタリアは、階下から聞こえるオデオンの仕事の音で、目が覚めた。
窓からは白み始める空の曙光が柔らかく差し込んでいる。キラキラと埃が舞う。街はまだひっそり眠っているが、それももう間も無く目覚める時刻だろう。
ナタリアはここ一ヶ月続いている日課を行う。寝台の下に隠してある魔法陣の確認である。
「……まだ力は残されておる。これで累計二十五日。消える気配はない……か」
人目に触れぬように隠された魔法陣は、赤い血線をドクドクと光らせている。。一ヶ月前、暗殺事件を解決する為に現地で描いた魔法陣である。道化師と共に作成し、腐り清水の効果を試す試作品でもあった。
腐り清水は、魔法陣の持続時間を長くする。これは道化師に聞いた話だが、彼が言ったのはあくまで数十分の延長だ。日をまたいで魔力が残存する魔法陣など、聞いたことがない。師父様でさえ、そんなものは作れない。
事実、道化師の作成した味のある筆遣いの魔法陣は、突入作戦の最中にその効力を失っていた。事件を解決したのは<吸魔>のミックであったから、良かったようなものの、道化師が<吸魔>対策に魔法陣を使おうとしていれば、致命的な隙になっていたかもしれない。
事件が終わった後、道化師はやはり魔法陣は頼りにならない、と言って血の乾いた魔法陣を破り捨ててしまった。裏腹に、その状況でもナタリアの魔法陣は輝き続けていた。これは一体どうしたことだろうか。もちろん道化師には見られていない。
打ち明ける相手もおらず、ナタリアは持続し続ける魔法陣のことを誰にも話せなかった。自室で保管し、誰の目にも見せなかった。
レヴィとミックでさえこの魔法陣の存在を知ったのは、ごく最近のことである。
『腐り清水の効果……と、単純に考えることはできねーな。デュアルの道化師の血で贅沢にも対照実験させてもらったんだ。違いは――』
作成手順はまったく同じ。違いがあるとすれば、作成者。ナタリアと道化師、二人の間の差異が、奇跡の魔法陣を生み出したはずだ。
「属性の数。あるいは……年齢か?」
『難しいな。相談相手が少ないのが何より難しい。一番詳しい奴は魔術ギルドの人間か、東方朔の所の誰かだろうが……』
それぞれ王国と帝国を代表する魔術研究機関である。帝国には魔導研究所もあるにはあるが、デュアルの能力の高さを見てしまった後だと、あそこの研究は如何にも小手先だ。
「王国のユニソルシエールか、帝国の魔導研究所という線もあるぞ。わし個人ではコンラとのコネしかないが」
『そしてその全てが相談相手としては失格ってのが、頭の痛い話だ。<循環盾>のような純粋な未発表術式ならばまだいい。が、お前の血の秘密だけはダメだ。絶対に明かすべきじゃない』
あるいはこれこそが、師父様がナタリアに軍への接触を禁じていた理由の一端なのだろうか。
”声”の意見はもっともで、ナタリアも無闇に魔法陣のことを他言するつもりはなかった。
当分の間、秘密は三人だけで共有する。魔法陣は見つかってはならないし、その製造方法は秘中の秘である。
腐り清水の補充はしていない。そんな所からでも足が着いてしまいそうで、怖かったのだ。
「しかし、強力なカードを手に入れたのは確かじゃろ?」
『劇薬みたいな切り札だけどな』
抜けばナタリアの身に危険が迫る。持続力の高い新式魔法陣は諸刃の剣だ。
朝から嫌なことを考えてしまった。顔を洗って、従士の正装に着替えたナタリアは、姿勢正しく机に向かった。
レヴィに用立ててもらったこの衣装は、式典用のものであり、着るための手間が効率度外視という側面がある。
一手間もふた手間もかかる分だけ、この従士服を着ていると身の引き締まる思いである。
机上には一通の書状が置いてある。ナタリアにとって最も大切な人が遺した言葉が記された書状だ。いい加減な態度で向かい合いたくはなかった。
――ナタリアへ。
――独り立ちするまで、面倒を見てやれなくて済まぬ。
――稀有な才覚を持つお主に残せるものはあまりに少ないが、わしから一つだけ忠告を送ろう。
――”根源”を探ってはならぬ。
遺された言葉は端的で、情緒に欠ける。でも、そんな些細な事は、遺言の価値を貶めるものでは断じてない。ナタリアにとって唯一無二の遺言であり、これ以上、師父様の言葉を聞ける機会なんて存在しないのだ。震える手で書いたのだろう。普段の筆跡と似ていない一文字一文字が愛おしい。見つめているだけで、文字の輪郭がぼやけてくる。
天井を仰いで涙を堪え、ナタリアは呟いた。
「……”根源”とは一体なんなのじゃ」
ナタリアが知っているのは、師父様が”根源”から生還した唯一の人間だということだけだ。誰も彼もが、”根源”という言葉の意味さえ知らず、そう認識している。思えば不思議なものだ。なぜ誰も、師父様にそれを尋ねなかったのか。
「”根源”を探ってはならない、って言われたんスよね?あんまり考え過ぎないほうがいいと思うッスよ。爺さんは誰にも”根源”について生涯語ることはなかった。それは愛弟子であっても例外ではない……それでいいじゃないッスか。それとも、禁止されるとかえって気になっちゃう性格ッスか」
いつもならば、ナタリアの独言に答えるのは、見えない”声”だ。しかし今答えた声は”声”ではない。
ミックがふらりと現れた。ナタリアが周囲の人払いを頼んでいたのだ。彼がここにいるということは、下衆な聞き耳の類はなかったということだろう。
まだ涙が溢れる前でよかった。
「ミックか。お主、”根源”について、知っておるのじゃな」
「否定はしないッス。でも、話をするつもりもないッスよ。なにせ、爺さんの頼みッスからね」
「そうじゃな。師父様が知るべきではない、と判断したことじゃ。無神経だったな、許せ」
答えがあるとは最初から期待していなかった。ただ、溢れかけた涙は誤魔化すことができたらしい。ナタリアは目の前の遺言状を丁寧に畳んで、文机に戻した。
『……』
魔法陣の事は秘中の秘であり、絶対に表に出てはならない機密事項である。現物のセキュリティはきっちりしなければならない。敵の総本山である”ファクトリー”に持ち込むのは論外だし、さりとて家に置いておくのも感心できない。
「ところでミックよ。第二魔術師団との約束の期間は、この魔方陣を預かっていていてくれ。安心して託せる相手はお主くらいじゃ」
「分かったッス。そこまで言われちゃ、断れないッス」
その点、影に潜み続けるミックは持ち物が奪われる可能性も低い。本人が戦闘力も持っているから、力づくで奪われるということも無いだろう。
まだ脈々と赤い血液が巡り続ける魔法陣の板をミックに手渡した。これがどれほどの価値を持った代物なのか、彼も理解はしているはずだが、ミックはさして興味もなさそうに懐にしまい込む。ナタリアを裏切って、魔術ギルドにでも売り払えば一生遊んで暮らせるだろうに。
師父様の信じた者ならば、そんなことはしないと信じている。だからナタリアには、彼の無関心な態度は誠意の表れに見えていた。
「今日は、知人に会うつもりじゃ。帝都の中を動く予定じゃから、いつもどおり護衛を頼むぞ」
「うス」
「着替えるから、しばらく離れていてくれ。一刻ほど」
ミックは現れた時と同じように、音もなく影に溶け込み消えた。
夜の力で気配を探ってみるが、何処にいったのか、ナタリアにはまったくわからない。
「これがミック自慢の隠身か。やつがこの技術を悪用せぬようにわしがしっかり見ておかねばならぬな」
ひとりごと。”声”の返事を期待して、間を作ったが”声”の答えは無かった。彼も気を遣って離れてくれたのだろうか。まぁ着替えをじっと覗かれるのも落ち着かないので、その心遣いは有り難く受け取っておこう。
袖口のボタンを外し、ぶかぶかの従士服を脱ぎ捨てた。窓を通して、目覚め始める街の音が心地よく耳朶を打つ。今日一日を頑張ろうと思える、活力と生命力のみなぎる雑音だ。
”声”はナタリアの近くにはいなかった。
ミックが消えるのと同時に、彼の背中を追いかけていたのだ。ミックの隠身は大したものだが、相手に気づかれないという一点においてならば、”声”だって負けてはいない。誰にも見えず、触れられない”声”を捕捉できる者などいないのだから。
「……お弟子さん、根源のこと、本当は知りたいでしょうに。本当に良く出来た子だ」
ミックは小声で呟く。誰も聞くものが居ないと確信していたからこそ、彼は油断していた。
「竜の渓谷の事は教えるつもりはないッスよ。爺さんとの約束ッスからね。約束と遺言。二重の誓約を、違えるつもりはないッスよ、ファーレーンさん」
彼とファーレーンの間にも、何がしかの絆があったのだろう。決意を固めるミックをよそに、
『竜の渓谷……?』
陽炎が、ふわりと揺れていた。
帝都の目覚めを待ってから、ナタリアは医務院に向かっていた。
一見、子供一人で街を歩いているように見える。けれど、彼女を影で守護する亜人の記者がいた。彼の腕は確かであり、並大抵の相手に後れを取ることはない。
護衛役に背中を預けて、堂々とナタリアは進んでいく。
医務院には以前一度来たことがある。今度はトラブルに巻き込まれることなどもなく、意中の相手に面会することができた。
「貴女は……」
「久方ぶりじゃなフッフール・エンダ・リーンリーン」
竜人の娘は、目を丸くしてナタリアの来訪に驚いていた。以前会った時は、とかく憔悴していて病弱な印象を受けたが、今の彼女には療養生活で蓄えた活力があった。
「あ、あの。ちゃんと覚えていますよ?ナタリア、さんですよね。お見舞いに来てくださった」
鬱鬱とした空気はなく、エンダはいそいそと歓待の準備をしてくれた。と言っても、病室では大したことは出来なかったようだ。
「あの……お水飲みます?」
おずおずと差し出された杯を受け取った。
「ありがとう。頂こう」
ナタリアが水を飲んだのを見て、エンダの顔色がぱあっと明るくなった。
彼女について、下調べは済んでいる。ミックの調査によると、彼女の実家ではかなりの面倒ごとが起こっていたらしい。彼女は政略結婚のために、地方から連れて来られた亜人であり、個人の意思なんてものは存在しない、駒として扱われていた。だがリーンリーン家の中枢に関われないエンダだからこそ、家の騒動などどこ吹く風という態度でいられるのだろう。
「ほれ、土産物も持ってきたぞ。口に合うかは分からぬが」
エンダはいつでも退院できる状態だった。一月以上ここにとどまっているのは、彼女の事情ではない。もっと複雑で醜悪な論理が働いているのだ。
ここにくるまでの商店で見つけた甘味と、玩具を机の上に並べた。
「わぁ!これ、もらってもいいの!?」
目を輝かせ、エンダが尋ねた。ギュッと握った拳で口元を隠しているが、緩む頬は隠し切れていない。
光を反射し、キラキラ光るガラス片。ありふれていて安っぽい玩具だ。
けれどエンダは予想以上に喜んでくれている。
「魔術は使えるのか?ほれ」
ナタリアは手のひらに、一掴みのガラス片を乗せて、日属性の魔術を発動させた。
手のひらがじんわりと暖かくなり、光を放ち始める。ガラス片の中に入り込んだ光は、内部で反射と屈折を繰り返し、様々に色を変える。
見る角度によって、まったく違う光彩を見せる玩具を、エンダはじっと見つめていた。彼女の瞳の黒目の形は、円ではなくギザギザで湾曲している。それは爬虫類の瞳孔に似ていた。人ではなく、亜人。彼女が純粋な人間ではない証左といえば、それくらいしかなかった。
「……」
彼女の意識は、きらきら光る玩具に釘付けだった。手を右に動かせば、エンダの首がそれを追いかける。左に揺らせば、エンダの目が同方向に泳ぐ。
ナタリアは無言で玩具を差し出した。恐る恐る伸ばされたエンダの掌にすとんと落とす。
ナタリアの手を離れた途端、ガラスに入り込んだ光は消えてしまった。
一瞬、エンダの顔に悲しみの色が過る。
エンダは掌で感触を確かめている。苦心して魔力を練っているようだ。額には薄っすら汗が滲んでいて、しかめっ面になっている。ナタリアが実演してみせた魔術未満の手品を真似しようとしているようだ。
夜の過敏な感覚によって、エンダの体内を循環する魔力の流れを、薄ぼんやりと透かし見ることができた。拍動に合わせて、ドクドクと巡る魔力と血流。これほどはっきりと流れを認識したのは初めてだったから、少し戸惑う。きっと竜人の魔力が強力なせいだろう。
エンダは試行錯誤の末、ようやく体内の魔力を明確な形にまとめ上げていた。ナタリアはその様子を口出しせずに、じっと見つめていた。
「で、できた……っ!!」
エンダの掌でガラスが光りだす。ナタリアのやったような虹の色彩は再現できていなかったが、綺麗な橙色がガラスに灯っていた。
エンダの顔がほころぶ。つられてナタリアも笑った。
どちらともなく、笑声が弾けた。
エンダの笑い声に憂いの響きはなく、ナタリアの中にあった出会ったばかりの陰鬱とした第一印象を一掃してしまった。
「これもっ!いいの!?」
ひとしきりガラス片を光らせた後、エンダは甘味に手を伸ばした。ナタリアが返事をする前に、糖蜜を塗った焼き菓子を頬張り、相好を崩す。
「あ、あんまーい!今まで食べた中で!一番美味しいよ!!」
エンダは絶賛してくれる。ここに来るまでに見つけた露店で購入した甘味は、それほど高級なものではない。割高ではあるが、子供の小遣いで買える値段のものだ。
エンダは世辞を言っているようには見えない。過大な称賛に面映くなり、ナタリアは頬を掻いた。
「お屋敷では甘いものは食べさせてもらえなかったから、本当に嬉しい!」
「そうかそうか。わしも一口いいか?」
「もちろん!」
エンダの祖先にドラゴンがいたのだろう。辺境に生まれた彼女は、生まれながらにしてドラゴンの力を持ち合わせていた。彼女が故郷でどのような暮らしぶりだったのかは分からない。分かっているのは、リーンリーンという帝国の豪商に養女に迎え入れられたということだけ。言うまでもなく、リーンリーン家は貴重な竜の血脈を政略結婚の材料にするつもりだったのだ。
彼女の祖先は、かの太陽竜ではないかと噂されている。少なくとも、テロ組織の”太陽の使徒”はそれを信じていた。
第二魔術師団も半信半疑ながら、エンダの血を否定することは出来なかった。
はぐれドラゴンの出現というあからさまな罠に普段の彼らがやすやすと嵌るとは思えない。エンダという特異点があればこそ、彼らはドラゴンの訪れを予感していたのかもしれない。
そのあたりを探ることも、来訪の目的の一つである。
エンダは日属性の適性を持っている。太陽竜と同じ属性だ。
それだけでどうということはないが、竜人の数は少なく、日属性の竜人の数はもっと少ない。直接的な証拠にはならなくとも、確信を深める一因にはなる。
だが、彼女の出自がどんなものだったとしても、彼女に自覚がない事は確かだ。
世間ずれしていないエンダは、並べられたつまらない玩具をまるで宝石のように眺めていた。そんな微笑ましい光景に、ナタリアも自然と笑みが零れる。
打算的な考えで、見舞いやってきた自分を恥じる。
「前にも言ったと思うがな。もう一度言おう。何かあれば、言ってくれ。どこまで出来るかは分からぬが、助けになろう」
「うん、ありがとう」
エンダの満面の笑みを見て、それが最高の収穫だと自分に言い聞かせ、ナタリアは治療院を後にした。




