35第二魔術師団(上)
ゼン・ジャガー・タスケは資料を前にして唸った。
禁軍の雇い主から手渡された極秘資料には、第二魔術師団の構成が詳らかに記されていた。
ゼンにはその構成員六名全てを除染する任務が課せられていた。地上から不死の病を撲滅する――そういう任務。何の事は無い、暗殺の依頼だ。
敵は桁外れに強い帝国軍人である。後方で富を蓄える政治屋、不正に私腹を肥やす悪徳商人とは訳が違う。正真正銘の強敵だ。
渡された資料には彼ら一人ひとりの属性から得意魔術、軍歴、家族構成趣味嗜好。あらゆる個人情報が調べ上げられていた。帝国内でも謎に包まれた組織の第二魔術師団相手に良くやったと言うべきだ。
しかし、これだけのアドバンテージを得て、なおゼンにはゼンは確信が持てなかった。計画が成功するか失敗するかは五分五分というところだろう。
ゼンはその弱気な内心を誰にも話さなかった。いや、話せる相手がいなかった。部下たちに不安を見せるなど、上に立つものが一番やってはならない行為だし、依頼主の軍人――クラックスに弱音は吐けない。ゼンは孤独だった。
けれど心情は別として仕事には全力を尽くす。
それは悩む必要すらない唯一の真実。
標的は六人。露出の多い人物は、それだけ詳細に記されている。反対に、ほとんど表に出てこない人物の紹介は簡素だ。
アルトタス。軍部では道化師カリオストロの名で忌み嫌われる一人目の魔人。ここ数年で頭角を現した新顔だけあって、もっとも情報量の多い標的だった。
地属性を主体とした攻防自在の変幻攻撃。切り札は日属性<発雷>の上位魔術と思われる雷の魔術。その雷電は肉焦がし、骨を焼くほどの威力であり、人間がそんな技を受ければ即死は免れない。
人を食った言動をするが、その分油断というか遊びも多く、標的の中では比較的楽な相手だ。
バーニア。彼も露出の多い人物で、その由来は主に彼の悪行にある。帝国傘下の村々、特に植民地を狙って人さらいをしているらしいのだ。記録にあるだけでも十数人が行方知れずになっているから、驚きだ。彼の犯行の目撃証言もあるのだが、どうして今まで逮捕されなかったのだろうか。
日と空の二重属性であり、飛翔魔術を並々ならぬ領域に昇華させた天才、とある。十年前の竜退治に参戦しており、その実力は折り紙つき。九年前に空軍の設立を目指して軍上層部に働き掛けた事実があるが、適性者の少なさに絶望。以降は己の空戦技能をひたすらに磨き続けているという。
標的に対するアプローチとしては、とにかく飛ばせないことだ。うるさい羽虫も地面に足をつけている時は必ずある。その瞬間、刹那の油断につけ込んで、叩き潰す。それだけ。
アンシャリーア。奇怪なる絡繰を幾つも保有する術者であり、その幼い外見はよく目立つ。しかし彼女は組織の中でも古株で、十年前の竜退治はおろか、四十年以上前の王国との小競り合いにも参戦していたらしい。単なる若作りか、それとも幻想の血を色濃く継いだ怪物か。
前者二人と比較すると、生産部門の人間らしく、表に出てくることは少ない。直接的な戦闘力も有名な逸話はない。
だがその未知が大きな障壁になりかねないことを、ゼンは経験でよく知っている。彼女は要注意人物の一人だ。
異貌の僧。ここからは情報量が極端に少なくなる。前者三人に比べて、戦場での活躍とかが見当たらないかららしい。
彼についてはその名前さえも知られていない。前科者であり、収容所にいれらていた彼は、そこで他の囚人を皆殺しにした。そのことを団長に見込まれてスカウトされたという戦慄的な経歴のようだ。
筋骨の発達した偉丈夫であり、全身の体毛が一本たりとも存在しないという異貌だ。
魔術を用いずとも直接的な戦闘力は十分あるだろう。ある意味、一番危険度は高い。可能ならば避けて通るつもりだ。
東方朔の側付きのメイド。彼女は団長の世話係として、彼の行くところどこにでも控えていた。凡人であるはずはなく、おそらくはデュアル。日属性と地属性の可能性大。団長殺害の折に、もっとも強固に抵抗すると思われ、排除の優先順位は高い。
東方朔。不死の魔人。
彼に関して表の歴史は沈黙しているが、過去を知る帝国人のなかには精彩を放つ少年のことを記憶しているものもいた。彼らからの聞き取りが、主な情報源だ。なにせ不老不死の秘法使いだ。権力者たちは彼とのコネクションを血眼になって求めた。その際の逸話が多くあるのだ。一定以上の権力者、資産家は彼の噂くらいは知っているのだ。
百年以上も少年の姿のまま。老いを知らない肉体と明晰な頭脳を持っている。第二魔術師団の団長であり、上記の魔人たちを統率している。
空地の二重属性であり、彼の手の届く範囲で彼の自由にならないものはないという万能の術者だ。
最優先の標的である。仮に他の標的を逃したとしても、東方朔だけは仕留めなければならないと厳命されている。
彼の持つ不死の秘術。陰陽和合の存在こそが吸魔の一族に依頼がやってきた最大の理由なのだから。
クラックスはとにかく陰陽和合を憎んでいた。個人的には老いをなくす魔術なら是非学んで見たいとも思うのだが。もちろんそんな気持ちはおくびにも出さない。クラックスに内心を勘付かれれば、人質は殺されるだろう。彼は陰陽和合についてはヒステリックなところがある。娘を危険に晒す訳にはいかない。
計六人。異貌の僧は後回しにするとしても五人。
標的の名前と特徴を頭に叩き込む。
救いは彼らの誰にも慢心があることだ。二重属性を人類の上位種と信じる彼らにとって、クラックスの企みなどは脅威にすらならない、と考えているだろう。
その慢心の隙を突く。
幸い吸魔の術式は、不意を打つことさえできれば、絶大な効力を発揮できる。存在が露見していなければ、一方的に優位な状況に立てるのだ。
地属性の術者は日常的に筋力を強化し、身体能力を上げ、しかも頑強にしている。
空属性の術者は風の声に耳を傾け、わずかな風の変化で周囲の状況を知り、手足の動作も風に頼っている。体内の血流の正常化を行っている術者もいる。
日属性の術者は体内の熱活動を魔術込みで調整していて、基礎体温は低く、高い身体能力も魔力に由来している。
夜属性の術者は、脳の回転を魔法で加速しており、夜属性の切れ者だって元は暗愚だという者も少なくない。
突然重力が消えたとして、転ばずにいられる人間がどれほど居るだろうか。どこまで平静でいられるだろう。覚悟も持たず、そんな常識外に放り込まれれば、普通は取り乱す。
勝機はそこにあるのだ。
魔術を使わない戦闘技術に長けた人間は世界中にいる。しかし、低濃度のエーテル下での活動の困難を知る者はいない。
吸魔の一族だけが、その辛さを知り、克服しているのだ。
標的一人あたり八人を付ける。隙を見て一斉に吸魔を発動。訓練を積んだ一族の者が標的に止めを刺す。
言葉にすればそれだけのこと。実行までには大小様々な困難が予想される。それら全てを打ち払い、標的を始末する。
難しい。難しいが勝算はあるとゼンは踏んでいた。その勝算が五割と言ったところか。
手段を選ばない雇い主の顔を思い出し、肩を落とす。
彼の狂気じみた熱意は本物で、必ずや第二魔術師団を撃滅するという意思を持って行動していた。意思があれば高い壁を越えるための原動力になる。彼は不可能を可能にするために日々奔走していた。ゼンの一族は彼が見つけた短刀の一つだ。魔人にも届きうる必殺を持つ暗殺者たち。
評価されたことは嬉しい。しかしクラックスの依頼は脅迫混じりのものであり、到底好きになれる人物では無い。
人質になったゼンの一人娘。あるいはミックが出奔しなければ、ゼンも非情でいられたのに。跡継ぎは一人いればいい。娘の命と里の者の命を天秤に掛けるような苦悶を味わうことはなかったろう。それもこれもミックが悪い。全ての歯車はあの時に狂ったのだ。
ゼンは部下たちをどのように配備するかを熟考し、自分自身の武装も用意する。クラックスに与えられた偽装用の装備。それに加えて携帯可能な短刀の先端には呼吸を停止させる猛毒が塗布してある。傷口から入り込んだ劇薬は人型の生物の命を例外なく摘み取る。
磨き上げた刀身に映る己の顔。いつもは鏡のように映りが良いのだが、表面に付着した液のせいで反射率が変化してしまったらしい。映る己の顔は酷く歪んで見えていた。
平原に佇立する尖塔が一つ。ねじくれた枝のように腕が伸びるその塔は非常に目立つ。そんな建造物の存在が今まで知られて居なかったということは、最近建設されたということだ。
道化師が地属性の魔術を駆使して組み上げた土塊の塔は、その存在感だけで周囲を威圧し、野生動物の接近を妨げていた。
獣が避ける人工の塔。代わりに寄ってくるのは怖いもの知らずの人間だ。
ナタリアがこの塔で休息した次の日。すぐに出かけると思っていたナタリアの予想は外れた。竜退治に向かうはずの道化師やアンシャリーアは塔の中でくつろいでいる。当然、ナタリアもそれに付き合わされる。荒野を一人で徒歩移動するのは論外だし、そもそも道もよく分かっていない。
街道沿いに移動するだけならば、ナタリアにだってできる。しかし駆動車は街道の敷設されていない悪路の走破のために作られた機械だ。ここまで道無き道を進んできており、その道筋をナタリアが覚えているはずもなかった。
幽閉されていると言ってよかった。
彼らはナタリアに何も求めず、何も強制しない。けれどナタリアに選択権はないのだ。
塔の中を探索して構造は把握していた。六階層あり、そのうち四層が地上部である。地下には浴場、地上部は宿泊所があり、疲れを取る以外の機能は存在しない。荒野にポツンと立っている違和感を除けば、宿泊所としては上等の部類ではなかろうか。
彼らはそこでくつろいでいる。持ち込んだ食料品を適当に調理した朝食を食べたあとは何もしないのだ。
「ふわぁ、ひまー」
寝そべったアンシャリーアがバタバタと足を動かして、アピールしていた。ゴロゴロと転がり回って遊んでいる。彼女は土埃が服につくのも気にしない。だらけにだらけていた。
「でしたら、駆動車の整備でもなさったらいかがです?」
「そんな面倒なこといやー。それに私使い方しか分かんないよ?整備ってなにするのさ」
「そんなに難しいことではありません。いつも通りの挙動が出来るかどうか、それを確かめておくだけです。騎士が己の剣の握りを確認するように」
「へぇー。それくらいなら簡単ね。でも面倒だからやだ。あんたがやってよ」
「脚部の整備はやりましたよ?ただ機関部については私には動かせませんので、チェックができません」
ナタリアは耳をそば立たせた。あの謎の車の手掛かりが手に入るかもしれないと思った。
「仕方ないなぁ。じゃ、ちょっと出てくるよぅ。ナタリアちゃん、見る?気になるんでしょ?」
そしてナタリアのそんな内心は分かり易すぎたらしい。腹を伏せた姿勢のまま頭だけナタリアの方に振り返り、銀少女はそう問い掛けた。
願ってもない申し出だ。ここに至って罠など警戒しても始まらない。
ナタリアの返事を聞いて、気だるそうに立ち上がったアンシャリーアは柔軟体操をしながら屋外にでた。
晴天の空の下、駆動車は昨日と変わらぬ姿、忠犬のように塔の横に控えていた。
貨物車との連結は解除されている。貨物車の荷台には食料品から雑貨まで様々なものが積まれていて、一部は塔の中に運び込まれた。その残滓が辺りには散らばっていた。
ひょいひょいと身軽にそれらを避けながら、アンシャリーアは銀髪を靡かせて駆動車に近付いた。ナタリアも真似してついて行く。
「機関部には触らないように。熱くなるから、火傷するよ」
ナタリアを地面で待たせ、上部の運転席にすぽりと入り込んだアンシャリーアの忠告。”声”もその通りだと言っている。
少し距離を置いて何が起こるか眺めることにする。
アンシャリーアの入った運転席はナタリアの乗っていた客室よりもなお狭い。子供でなければ入り込めないような狭小の空間だ。わがままの激しいアンシャリーアがどうして改善を提案しないのか、不思議ではあった。
運転席のアンシャリーアが様々なレバーやコックを一定の手順で操作していく。時折蒸気を吹かせながら、駆動車の巨体は何度か身震いをしていた。まさしく鉄の獣である。
そして――離れていても伝わる振動。それが地面を伝わってナタリアを襲った。ブルブルと猪の鳴き声のような唸り声を上げて巨体が鳴動する。
高く伸びた排気筒からは白い蒸気が断続的に噴き上がる。
しばらくそうしていたろうか。突然駆動車の動き唸り、その他一切の挙動が停止。さっぱりした顔のアンシャリーアが降りてくる。
「はい、おしまい。なんにも問題なかったね。面白いこと何にも起きなくてごめんよー」
彼女の発言はいちいち不穏当だ。曖昧に頷くしか出来ない。
『原始的なエンジンが搭載されているな。車体の大きさはそれゆえだろう。燃料は石炭。貨物車に大量に積んであったから間違いない』
”声”は早くも駆動車の正体を看破したらしい。彼にかかれば第二魔術師団の秘密兵器も形無しだ。
『これは言うべきか迷ったが、言っておこう。貨物車には砲弾も積んであった。竜退治とやらに使うつもりだろう』
避けられない決戦の気配。彼らはこんなにもリラックスしているのに。本当にドラゴンとやりあうつもりなのだろうか。
駆動車の整備点検は済んだ。アンシャリーアとナタリアは塔に戻ることにした。澄み切った青空に浮遊していた蒸気の白が散り散り薄れていき、背景の雲と見分けがつかなくなる。
その空に一つのシミが生まれた。黒いシミは鳥影だろうか。ぐんぐん大きくなるその影は、彗星のような尾を引きながら、飛翔していた。近づいてくるにつれて、それが鳥影などではなく、人影だということがわかる。
空の一点を注視していたナタリアに気付いたアンシャリーアは、同じ方向に目をやりその存在に気付いた。
「やっと一人目がきたよ。待ちくたびれちゃった」
<飛翔>術式は空属性の術式の中でも高位のものであり、使用者は少ない。戦略的に極めて有用な人的資源であることから、<飛翔>できる魔術師については全員の所在が帝国に登録されている。
帝都上空の<飛翔>は禁止されているくらいに、飛行魔術への監視の目は強い。
極めて希少な人材。けれどアンシャリーアが非凡な事くらいは重々承知しているから、彼女の知人が<飛翔>術式を使っていると知っても、大きな驚きはなかった。
「もしや、アンシャリーア殿も<飛翔>術式を使えるのか?」
「そうだよー。でもあれって、速いのはいんだけど重い荷物は運べないんだよねぇ。私は兵站担当だし、プライベート以外で使うことは少ないかな」
第二魔術師団が化け物ぞろいだということを再認識。
そうこうするうち、飛翔してきた赤髪の男が、塔の外壁に両足を叩きつけるようにして垂直面に着陸した。減速はしていたようだが、急停止に近い急制動。衝撃を受けた塔がグラグラと揺れて、中に残っていた道化師が慌てて飛び出してきた。
垂直壁面に直立する男は、重力の影響を無視するかのように腕組みの姿勢のまま、一向に落ちてくる気配がなかった。よく見ると彼の両足は土壁の中に埋まってしまっている。いや、だとしても全身がピンと伸びているのはおかしい。足が固定されていたとしても、それ以外の身体部分を支えるものは無い。まさか全身の体重を足の筋肉だけで支えているとでも言うのだろうか。
「よう、シャーリー!元気してたか?」
燃えるような赤髪の男は、見た目通りの快活さで話しかけてきた。
好青年に見える。少なくとも壁に立っているという異常に目を瞑れば。
「もちろん元気。バーニアにしては遅かったね、体調悪いの?」
「は?俺が遅いだと?馬鹿言うな。俺より速い奴なんて見たことねぇ。俺が最速だ。煽ってるのか?」
犬歯を剥き出しにして声を荒げるバーニアは、しかし目は笑っている。この荒っぽさも彼らなりのコミュニケーションなのだ。
「御機嫌よう、バーニア。私は今、怒っています。理由はおわかりですか?」
「お、アルトタスの坊主じゃねーか。久し振り。どうだ、少しくらいは精進したか?俺の速さに少しくらいは近付けたか?」
「ぼちぼちやっていますよ。それよりも、どうしてわざわざ宿舎を破壊するような真似をしたのですか?これはパパが使うかもしれない大切な施設なのですよ?もし壊れたらどうするつもりだったのですか?」
「壊れてねーだろうがよ。過ぎたことぐちぐち言うなや、みみっちい。そんなだからお前はいつまで経っても坊主なんだよ」
あわや塔は倒壊するところだった。その事故を悪びれもしないバーニア。道化師はため息をついた。
「反省の色がありませんねぇ。仕方ない。降ろしてあげようと思っていましたが、やめにします。決してこれ以上壁は壊さないでくださいね。くれぐれも。もし穴を開けでもしたら、パパに告げ口させてもらうことにします」
「はぁ!?ざっけんなよ!」
バーニアの両足はくるぶしより深く壁面に埋まっている。無造作に足を引き抜けば、壁面の損傷は更に悪化するだろう。姿勢が姿勢だから、そうっと慎重に引き抜くなんてこともできない。
塔の製作者であり、地の魔術に優れる道化師の助力は、バーニアも欲しかったのだ。彼の属性では壁の穴の補修はできない。
「ふざけんな!ぶち抜くぞ、オラァ!」
「ご自由に。ですが、私は修復しませんよ。壁の大穴。パパになんて言い訳するつもりですかねぇ。あなたが謝らない限り、私は何一つ動くつもりはありませんから」
分かりやすく状況を説明して道化師はバーニアを追い詰めていた。切羽詰まったバーニアは、きょろきょろと辺りを見渡し、状況を好転させるキーを探す。
「シャーリー!すまねぇ、そこの馬鹿坊主をなんとか説教してやってくれ」
「やぁよ、めんどうー。一日ぐらいそこで反省してればー?夕方くらいにはみんな揃っているでしょ」
「夕方……だと……」
その言葉がよほどショックだったのか、バーニアの血の気が引く。
「ちくしょう!わかった!わかったから!すまねぇ、謝る。だから坊主、さっさと降ろせやボケ!」
「まったく、謝る時くらい殊勝にできないものですかねぇ」
ぼやきつつも、道化師は壁面に手を触れさせて、魔力を伝達させていく。バーニアの突き刺さった周辺の土壁が生き物のように蠢き、咀嚼出来なかった食べカスを吐き捨てるように、バーニアを壁の中から弾き飛ばした。
空中で二転三転。身体の回転で勢いを殺しながらバーニアは綺麗に着地した。あれだけの技術があるなら、壁に突っ込むなんて荒っぽいブレーキをしなくても着陸できたろうに。道化師の怒りがよく分かる。
「バーニア、あなた周辺を空から調べてよ。もしかしたらお父様が来てるかもしれないし」
「到着したばっかでそれかよ……」
「あら、飛び回るのが一番の楽しみと公言する子の言葉とは思えないわね」
「それとこれとは話が別……でも、ねーか。わかったよ、行ってくる」
道化師とアンシャリーアでは銀少女の方が立場が上だった。それはバーニア相手でも変わらないようだ。バーニアと道化師の力関係は互角と言ったところか。
理不尽な命令にげんなりしながらも従うバーニアは、飛び立つ直前になって、ふとナタリアを見た。
「見慣れない顔だけど、誰よ?」
「私のものだからね!渡さないわよ!」
ヒシッとナタリアを抱き締めたアンシャリーアは大袈裟なくらい声を大にした。
「いらんわ。質問に答えろよ……。まぁいいや、帰ってきたら教えてもらうぜ?」
バーニアは片足で軽く地面を蹴った。飛び上がる。その高さは重力の軛を解き放ち、ぐんぐん伸びていく。
彼の周囲には強風が吹き荒れ、景色が揺らぐほどだった。離れた場所にいたナタリアのところにまで熱波が届く。
「熱っ!!な、なんじゃこれは!?」
「バーニアの十八番の垂直離着陸。熱かった?ちょっとこっちにおいで」
言われるがまま彼女の近くまで行くと、途端に熱風を感じなくなった。風の障壁が熱風を逸らしていると気付くのにそう時間はかからなかった。<循環盾>でも同じようなことが、より効率的に出来るだろう。火事の現場に向かう時にナタリアがやったように、だ。
襟をゆるめて風を通しながら、
「ほら、涼しいでしょう?バーニアはパシリは得意だけど周りの迷惑考えないからねぇ。いつまでも子供みたいで、見てる分には退屈しないけど」
微笑むアンシャリーア。それは子供が大人ぶっているとか、そういう背伸びではなく、裏付けある年月を経てきたのだと感じさせる笑いだった。
他でもない、師父様の背を追うナタリアだからこそよくわかった。自分との違い。自分の借り物の言葉との重みの違いを。
「彼との付き合いは長いのか?」
「それなりよ、それなり」
言葉を選んだ。そうせざるをえないようなオーラがアンシャリーアにはあったのだ。
『ロリババアってやつか、見てくれだけはガキなのによ』
”声”でさえもアンシャリーアには一目を置いているようだ。ホースや駆動車などは”声”も驚嘆するほどの技術だった。彼女が開発者かどうかは分からないが、深く関わっているだろうことは分かる。知識と技術を武器にする”声”が彼女の事を認めるのは当たり前なのかもしれない。
心にちょっぴりの悔しさと嫉妬の影を落とす。
「私には風の障壁を展開してくれないのですか?」
道化師は熱風から身を守るために、土壁を地中から引っ張りあげていた。壁のように垂直に立ち上がった土は塔の素材と同じように圧縮され、半端なことでは変形を受けない。
余波に過ぎない熱風では小揺るぎもしていなかった。
抱きあうように身を寄せるナタリアとアンシャリーアを見た道化師は口を尖らせた。
「だってアルトタスもう可愛くないんだもーん。昔からこまっしゃくれて生意気だったけど、まさかこんな大人に成長するとはね。月日は残酷だわ……」
アンシャリーアはさめざめと泣きまねをしてみせる。それで何も言えなくなった道化師は頬を掻きながら、一時的な土壁を崩した。もう熱風は吹いていなかった。ナタリアもアンシャリーアのかいなの中から脱出する。もちろん一言お礼は言っている。
アンシャリーアが必要以上にボディタッチをしてくるのは、何か意図があってのことだろうか。探られれば痛いことを多く抱えていると、疑心暗鬼になってしまっていけない。
「姉さんは昔から変わり無いようで、なによりです」
道化師とアンシャリーアの間柄は決して蜜月というわけではない。しかし軽口を叩いていたとしても彼らの関係の根底には信頼がある。単なる友愛ではなく、分かち難い絆のような何かを感じるのだ。そしてナタリアの勘違いでなければ、道化師に限ってはその信頼をナタリアにも向けている気がする。何が彼の琴線に触れたのかはわからないが。
気に入られた。その言葉だけでは片付けきれない何かが、道化師の心にはあるということだろうか。
空を見上げる。既にバーニアの影は遥か遠く、指先よりも小さい豆粒だ。上空に飛び上がった黒点はその距離を感じさせない驚異的な速度で旋回している。あまりにも早すぎて、目の前で蝿が飛び回っているようにさえ感じられるほど。
『おいおい……。目算だが、ジェット機ぐらいの速さじゃないのか、あいつ。しかもそれで旋回運動とは。遠心力で身体がばらばらにならないのが不思議なくらいだ』
彼もまた、魔人ということだろう。ナタリアは<飛翔>術式を使えない。しかしたとえ使えたとしても、彼ほどに自由に飛行できるとは思えなかった。
バーニアをパシリ呼ばわりするアンシャリーアが彼の帰還をわざわざ待っているはずもなく、塔の中に戻っていく。道化師は壁に刻まれた穴の補修に向かっていた。
一人残されたナタリアは、空の黒点をじっと観察していた。
しばらくして偵察が終わったバーニアが戻ってくる。爆炎をまき散らし、垂直に下降してくるバーニアから距離を取り、熱を避ける。
着陸した彼に疲労の色は全くなかった。落下すれば命の保証はない高空飛行。精神的にも肉体的にも疲労が溜まっておかしくないのに、バーニアはむしろ元気いっぱいだった。
「ありゃ、シャーリーいねぇじゃん。ちょっと期待してたのによ」
待ち人が居らず、落胆した様子。バーニアは風圧でオールバックになった赤髪をガシガシ掻きながら周囲を見渡した。自然、彼を観察していたナタリアとも視線が交錯する。
「シャーリーは中か?」
多分アンシャリーアのことだろうと思い、頷く。
「そうか、ありがとよ。嬢ちゃん」
バーニアも塔の中に戻ってしまった。ナタリアを見張るものは誰も居らず、一人きり。
自分から牢獄にも見える塔に戻る気持ちにはなれず、ぼんやり空を見上げる。
一体自分は何をしているのか。無為な時間が過ぎていく。
『なぁ、こいつらが第二魔術師団……ってことでいいんだよな』
そういうことだろう。道化師と同格の術師がそんじょそこらにいては、たまったものではない。帝国の魔術師の中でも異色の部隊。師父様が彼らについて言及することは不自然な位、なにもなかった。今のナタリアの知識はレヴィから聞いた話ばかりだ。
極めて少数の精鋭たち。どれだけ戦技に優れた術師であろうとも、無条件に入団を許可することはない、厳しい基準。家柄や人格というありきたりな基準ならまだ良かった。道化師のようなキワモノがいる時点で、世間一般の道徳とか常識が入団の判断基準から外されていることは火を見るよりも明らかだった。




