EXレヴィの一日
故郷の森が燃えていた。
高く舞い上がった紅い光は薄明の空を照らし、まるで真昼間のような明るさを空に映し出している。
既に手綱の外れた旋風は、何もかもを巻き込みながら燻る火種を大火へと成長させていく。
木々が、命が。
燃えて焦げて溶けて。
赤と黒へと。
一体となっていく。
視界にある全てが同じ色に染められていた。
世界を終わらせる原初の恐怖。
炎は燃え盛る。燃料が尽きぬ限り、延々と。
まさか森に潜む数多の魔獣を、広大な森林ごと火葬するつもりなのか。
景色が暗転する。次の情景も赤々としたものだ。
口から止め処無く血液を垂れ流す少女が、ゴボゴボと何か喋っている。
その言葉――糾弾の声を聞きたくなくて両手で耳を塞いだ。
べチャリ。粘着質の水音が鼓膜に直接届く。反射的に手を見れば血濡れた己の手のひらがそこにはある。
切り捨てたはずの過去がどこまでも追い掛けてくる。
悪夢を終わらせたくて、親友の血に汚れた両手で剣を握った。
一呼吸の後、いささかのためらいもなく、振り抜く。瀕死の状態だった親友の少女は頸を断たれ、即死した。
鍛え上げた剣速。恨み言を呟く暇もなかったはずだ。
胴体から離れて行く少女の顔。苦悶に歪むそれは地獄の悪鬼に似た恐ろしい形相だった。
けれど、その顔も薄れていく。
殺したものは消え去るのが道理だ。
悪夢を切り裂き、レヴィは目覚めた。じとりとした寝汗が寝具までも湿らせてしまっている。
嫌な汗だ。
昨晩床に就くのが遅かったのがいけなかったか。
あるいは枕が変わったせいか。いや、それほど柔な神経ではないはず。
窓の外は薄暗い。まだ朝日は昇る前の時間らしい。
夜風で汗を乾かそうと、締め切っていた木窓を押し開ける。開いた隙間につっかえ棒を差し込んで固定。
流れ込む冷えた夜風が気持ちよかった。
今まではレヴィ率いる紅雀隊は、民間の宿を徴用して拠点としていた。
今年設立されたばかりの小隊には、軍用宿舎の割り当てが回ってこなかったのだ。みそっかすの小隊とはいえ、仮にも禁軍なのにおかしな話だ。
見え見えのその冷遇が決定的に好転したのが、幽議会の時だった。
あの日以来、無茶な仕事の押し付けや嫌がらせは綺麗さっぱりなくなって、まともな宿舎が割り当てられることになった。紅雀隊が別段功績を挙げたわけでもないから、全てはナタリアと関わったことが原因だろう。関係者の多くはナタリアが挙げると約束した魔術的成果を虎視眈々と狙っている。少女一人へと集中した視線が横に佇むレヴィにも向かったのは自然な流れだった――
「確かに報告書は預かった。……で、君の所見として従士の動向について、何かあるかね?」
「報告書にも記載されていますが、新術式の開発は順調なようです。次の中間発表会では面白いものをお見せできるかと」
「あぁ、いや、違う違う。そういう事務的なことではなく、君の印象だよ。なにしろ従士の一人も持たなかった君の目にかなった最初の従士だ。それがあんな幼子だというのだから、気になるのが心情だろう?」
朗らかに笑う皺の深いロマンスグレーの中年はレヴィの上官。禁軍上十二衛を取り仕切る将で、皇帝派と軍部の意見調整に奔走する苦労人でもある。
「……よい子供だと思います。一生懸命で、ひたむきで。しかもその頑張りが成果に結びつくといのは、得難い成功体験です。羨ましくさえ思いました」
いつも難しい表情をしている少女の顔を思い浮かべた。
険しい眉間のシワがとれれば、もっと可愛らしくなるだろうに。
「仲良くなれているなら、結構なことだよ。個人的にはその娘を応援してやりたいのは山々なんだが、立場があるからね。せめて言葉だけでも伝えておいてくれるかい?」
軍人らしからぬ繊細な気遣い。派閥闘争の妥協案としてこの立場にいる彼は、レヴィにナタリアの監視を命じる立場でありながら、彼女に好意的だった。
たとえ損得勘定だけの関係でもナタリアの味方は多ければ多いほど良い。
「わかりました」
軽く頭を下げる。
「さて、じゃあ、これくらいでいいかな。午後の会合に遅れるといけないし。君も早めに来たまえよ。末席の君も今の帝都では重要人物の一人なんだから、自覚を持って」
温和でもの分かりのいい上官のもとを辞す。
彼が言うように、午後からは会合がある。親衛隊としての性格が強い上十二衛は、現在の半数以上が蛮族討伐に向かった皇帝の供として、帝都を不在にしている。
ナタリアの後見人としての立場が無かったとしても、相対的に居残り組のレヴィの発言権は強くなっていたことだろう。
会合の内容は経験の浅いレヴィには検討もつかない。
どうせ彼から上十二衛の小隊長たちに発表があるのなら、この場で言ってもらえれば、手間を省けたろうに。あれで公私混同の線引きはしっかりする人なのだ。
「会合なんて私が紅雀隊隊長に任命された歓迎会の時以来ですね……」
若輩者の自分。
積み重ねてきた年月の重みがないから、会合というものがどの程度の重要さを持っているのか想像がつかない。
レヴィにとって極端に不利な審問会のようなものではないと思うが、断言はできない。
僅かばかりの不安を心中に抱きつつ、レヴィは午後の会合に備えて腹ごしらえに街へ出た。
帝都の中でも帝城周辺の空気は異質なものがある。多くの人間が出入りする分活気はあるのだが、皇族の住まう城の周辺だけあって、住人の平均レベルは非常に高い。警備の兵士でさえも多くが貴族子弟で構成される上十二衛が勤めているから、暴力の中にもどこか雅な雰囲気を纏ったものが多い。
門をくぐるときも今週の当番の衛兵がレヴィを見て優雅な一礼を見せた。彼は確か塩の交易に絡むエドモンド卿の派閥の末端貴族子弟だったはず。教養を発揮する時と場所を間違えている気がしないでもない。
しめやかな華やかさの香る高級住宅街を抜けて、レヴィは雑多な街並みに身を投じた。向かう先は宿舎に借り上げていた民間宿のある地区である。数ヶ月間あそこで生活してきたのだから、自然と生活圏もあの辺りを中心としたものになっている。
遠くからでも見える鉄塔が目印だ。
時間を潰す意味合いもあって、ゆっくりとレヴィは通りを進む。道路の両脇からは活気のある商売の声が次々に聞こえる。風に乗って肉の香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。
そうやってぶらぶらしていると、いつの間にか、胃の重くなるような緊張感は消えていた。
適当に昼食を見繕い、噴水前広場の一角に陣取る。昼時は結構込み合う場所だから場所を確保できたのは幸運という他ない。周囲から一段高い場所から、広場を通り過ぎる大勢の人々を眺めれば、自分の守るべきものを再認識できる。
レヴィはこのなんてことのない景色が気に入っていた。
もしゃもしゃと包み焼きをかじっていると、ふと人混みの中のとある人物に目が止まった。彼の方でもこちらを認識したようで、片手を挙げて走り寄って来る。印象に残っている男だから、見間違えようがない。
「どもッス。奇遇ッスね。えぇっと……」
「――ヘイルダムです。仰々しい名であまり好きではないので。好きなように呼んでください」
「じゃ、姐御ッスね」
いきなり馬鹿をかましてきたミックはにこやかに笑った。人の懐に潜り込むのは天才的にうまい。これが各国を旅して五体満足で生きている男の貫禄だろうか。
前回会った時も馴れ馴れしく声をかけてきたし、性格的なものなのかもしれない。
「……まあ、自分の言を曲げるつもりはありません。――どうでしょう、帝都は?」
両手を広げて自慢するように景観を魅せつける。彼は他国人らしいから、これほどの都会は目にしたことがないだろう。上京してきたばかりの頃はレヴィにも全てが驚嘆を伴った景色ばかりに感じられた。
センチメンタルになっていたこともあって、レヴィは改めて帝都の偉大さを実感している。
「うーん。まあ綺麗な街ッスよね。あんまりゴミも落ちていないし、スラムは遠くに追いやられてる。街路は整備されていて、交通の便は最上。さすがは計画都市ッス」
「そうでしょうそうでしょう。ところで、計画都市とは?」
「自然発生的に生まれた街じゃなくて、権力者なんかの肝いりで完成形を目指して計画的に造られていった人工の街のことッスよ」
「なるほど、勉強になります」
「真面目に反応されても困るス。全部ファーレーンさんの受け入りなんスけど。でもまあ、百年も前どうやって帝都が造られたか、なんて知ってるほうがおかしいッスよね」
歴史書の類のほとんどは帝国のプロパガンダで編纂されたものだ。恣意的なバイアスの書かれた一次資料を読み解くには相応の訓練が必要となる。人生の大半を戦うことに費やしてきたレヴィにとって読解のための教養なんてものは、無縁のシロモノだった。
半分は純粋な尊敬の念。半分は無関心な他人事で、
「本当にあなたは大賢者様の知己なのですね」
あまり親しく話したことはないが、病床の大賢者の警護をしていたのは大概レヴィである。本来であれば、国家の重要人物の警護を新参のレヴィが任されることがおかしいのだが、まさにそれこそが帝国内で死期の見えてきた大賢者が軽んじられていることの証左だったのだろう。
「姐御もファーレーンさんとは仲が良かったんスか?というか、そもそもお弟子さんとの関係はなんなんでしょう?親戚にしては似ていないし、単なる知人というには違う気もするッス」
口調は軽いが瞳は真剣。手足の筋肉の微妙な収縮を透し見たレヴィは、ミックが最大限緊張していることが察せられた。
「私は……なんなのでしょうか。――後見人のようなものですかね」
「なる、ほど。もしかして、と思っていましたけど、やっぱりそうなんスね。薄々気づいていたッスけど、冗談キツイッスよ……」
天を仰いだミックは手すりに体重を預け、両目を手で覆い隠した。何も見えない何かを隠す暗闇から、白日の下に晒されてしまった人のように、目を閉ざす。
「一体何を……」
「なんでもないッス。そういえば贈り物の紙の出来はどうッスか?中々の品質でペンが滑りやすいと思うんス」
「ああ。それならばナタリアに全部渡してしまいました。大変喜んでいましたよ」
いつの間にか張り詰めた空気は消えていた。レヴィはその事をミックの筋肉の強張りが取れていることから察することができた。
「そッスか。……あー。うまそうな串焼きッスね。どこて売ってるんスか?」
レヴィは角の売店を指し示してやる。書き入れ時らしく、大層な繁盛っぷりだ。
「おーおー。やってるスね!ちょっと買って来るッス」
人混みを縫うように器用に走るミックはあっという間に目的の物を手に入れて戻ってきた。
あまりの早業にレヴィは驚くというより、気分を害した。ルールを守れない無頼漢は好きではないのだ。
「列を抜かしたのですか?あまり褒められたことではありませんね」
口調も刺々しく、突き放すように言う。
「いや、あの人だかりは並んでる客じゃないッス。遠巻きにして見学していたり、匂いを楽しんだり。そのせいで交通は詰まってるス。順番は抜かしてないッスよ?」
「そ、そうなのですか……?」
自分が買った時は結構待たされたのに。
「道理で列の進みが遅々としていると思いました……」
帝都で暮らしてきてまだ一年未満。根が田舎者のレヴィは、世俗的な所では要領が悪かった。
「あはは。今度からは待たなくても済むッスね――」
手に持った串焼きをミックが頬張ろうとする直前、その動きが止まる。人目も気にせず開いた大口が、垂涎の獲物を前にゆっくりと閉ざされていく。
何かがあったのはすぐに分かった。彼の全身の筋肉は、まるでここが戦場であるかのように緊張している。美味しそうな空気さえもいつの間にか刺激臭にすり替わっている気さえしてくる。
ミックは無言で食い損ねた串焼きをレヴィに突き出した。
「――野暮用ができたッス。これ、貰ってくれるッスか?」
押し付けるように出された肉を思わず受け取ってしまう。
ミックは袖口から黒い布をするすると抜き出し、両手の拳に巻きつけていく。
「何があったのですか」
「すまねッス。デートはまた今度で」
「んなッッ!?」
身体を屈めた彼は放たれた矢のような勢いで、飛び上がり視界から消えた。瞬間的な初速に限ってはレヴィの目でさえ追い切れないほどだった。
(もう少し……あと二馬身貰えれば、余裕で視線に捉えられましたが。至近では目と首の動きが間に合いませんね)
耳を澄ませば、街中で出せる限界ギリギリの速度で機動するミックの風切音が遠ざかっていく。
「見過ごすという選択肢はありませんね」
何しろ慌て方が尋常ではない。彼ほどの者がこれほど緊張する事態とは一体何事なのか。プライベートな問題なら完全なおじゃま虫だが、帝都の安全を預かる衛兵として危険の種は見過ごせない。
ミックが大賢者の知り合いだったとしても、彼が外国人であることに変わりはない。
「揉め事を起こすようならば、止めねば」
<加速>魔術を発動。ふわりと軽くなった身体を、勢いを付けて屋根の上まで持ち上げる。誰にでもできることではない。筋肉質の重い肉体が軽々と宙に浮かぶ。
風から伝わる音を頼りに、屋根を走る。
レヴィの通った跡。
積もった土埃が、吹き蹴散らされて足あとのように滞空していた。
ミックの身のこなしは野生動物のように軽やか。だがしかし、魔術によって強化されたレヴィを置き去りにする程ではなかった。
初動の遅れを取り戻し、先行するミックを発見したレヴィは周囲に目を配りながら声をかける。
「お節介かと思いましたが、尋常ではない様子でしたので、付いて来ました」
「はぁっ!?姐御!?どうして、いやそれよりも……」
レヴィの神速に驚いたのか、足を踏み外したミックは屋根を駆ける勢いのまま落下していく。
咄嗟に片手を伸ばし、掴もうと差し伸べる。
しかし無用の心配だった。
ミックは空中で身体を器用に折り曲げ、くねらせて猫のように四肢での着地を果たす。目立った怪我は無いように見える。
無事で何より。
所在なげに伸ばされた腕を引っ込めて、レヴィは改めてミックに問いかける。
「どうにも身体が柔らかいのですね。……それにしても一体何事なのですか」
「いいからッ!逃げ――ああ、いや遅いッスね」
ざわりと空気が波打つ。風の中に微かな腐臭が混じり鼻についた。
レヴィの立つ屋根よりも一段高い周囲の屋根から突如として五、六人の黒い影が現れる。黒尽くめの彼らは市中では禁止されているはずの鋭利な刃物を堂々と構えていた。
戦いの気配に、ぶるりと無意識に身体が震えた。
「なんか、巻き込んでしまって申し訳ないッス。かくなる上は拙者が血路を開くから――」
「数は八。伏兵が二人。暗器持ち多数。練度はそこそこ。なるほど、歯ごたえのあるタスクですね」
「へ?」
どこに隠し持っていたのやら、黒尽くめたちのものと似ている小剣を袖から抜き出していたミックは状況にそぐわぬ気の抜けた声を上げた。
「厳密に言えばあなたは帝国の人間ではありませんが……。帝都の治安を守るのは我々の責務です。下がっていてください」
レヴィは腰のベルトをナイフで切断し、提げていた宝剣を鞘ごと真下に落とす。
包囲をしかけている連中はいきなり武装解除をしたレヴィの言動不一致を見て、僅かに狼狽した。
「……命乞いでもするつもりか。残念だが我らの存在を知ったからには生かして帰すつもりはない。せめて安らかに逝け」
「同じ言葉を返しましょう。あなたたち、何処の誰かは存じませんが、帝都で大きな顔をしてそのまま帰れるとは思わないことですねッ!」
交渉するつもりなどない。ぶちのめしてから、話を聞けばいいだけだ。
気迫を込めて、手近な所に設置されていた雨樋を引きちぎる。長さはレヴィの身長ほどもある長柄武器がインスタントに完成する。
「まさか宝剣を壊す訳にも行きませんからね」
頭上で軽々と即席の長槍を振り回し、レヴィは不敵に笑った。
彼らはレヴィの準備が整うのを悠長に待ったりはしなかった。
前触れ無く真後ろから頭を狙ってきた飛刀を首を傾けて回避。
「挨拶もなしに攻撃とは。やはり野盗崩れは躾がなっていないです」
「黙れ小娘!!」
安い挑発に乗ってのこととはいえ、数人で連携しながら飛びかかってきたのは流石だった。互いの隙を補い合うような見事な位置取り。その連携を強引に突破することも不可能ではないが、そうすると残る敵への対処が追いつかない。
手出しはできず、後退しながら間合いを取り直す。
「はっ!口先だけか!小娘!」
刀身さえ黒塗りにされた小刀による連続する閃撃。今のところは危なげなく躱せているが、足場が悪い。狭い屋根の上ではそうそう逃げ場がなくなってしまうだろう。
彼らの思惑もそこにあるようで、レヴィの動きの自由を封じるような巧みな連携で追い詰めてくる。
「姐御ッ!!」
援護に入ろうとしたミックは待機している一人に食い止められ、近づけない。彼もなかなかやるようだが、短時間で打破できるほど相手との実力差は空いていない。
格好を付けた手前。ミックの身を危険に晒すのは心苦しいが、彼が一人でも十分連中と渡り合えるというのは朗報でもある。少しは大胆に動いても良いということなのだから。
「ふんッッ!!」
気合一閃。
<加速>させてカウンター気味に突き出した槍が、軌道上に飛び出した一人の喉に食い込む。飛びかかる勢いは彼自身を殺す毒となって跳ね返り、喉をグイグイと押しつぶしていく。
そのまま棒を振り回し、二三人を纏めて振り払う。
吹き荒れる暴風のように魔術の風で全身を覆いながら、隙を見て屋根の下に飛び降りる。
高さのアドバンテージの喪失。
悪手。
しかし竜巻のような暴風魔術は通常の戦の術理を容易く覆す。
着地と同時。
石畳の隙間に堆積した砂塵が、妖怪に舐め取られたように欠片も残さず吸い上げられ、宙に舞散らばった。煙幕として展開する土煙はレヴィの視界と姿を隠し、身を守る。
その死角の最中、空気を引き裂きながら長い槍をぶんぶんと振り回す。一瞬前に手にしたばかりとは思えないほどにこの武器はレヴィの手に馴染んでいた。
目は見えなくとも、音は聞こえる。
砂塵の結界の向こう側では、頭目らしき一名がレヴィの結界を遠巻きに包囲するように指示を出しているのがわかった。暴風に紛れる微かなささやき声を聞き取るのは至難の業だったが、風の魔術を扱うレヴィは慣れたものだ。さして集中もせず、その難行を片手間でやってのけている。
突然レヴィは動く。
常人では見切れないほどの微細な前兆。予知能力じみた直感が勝機を掴むための最善の一手を半自動的に選び出していた。
砂塵の壁を突き破り、目に留まった一人を刺殺。風の助力を借りて、大した助走もなく棒高跳びのように跳ね上がり、一番高い屋根より更に上空にその身を投げ出す。
「焦れて自棄になったか!待つことを知らぬ匹夫めが!!」
空中では身動きがとれない。人体のあらゆる基本的機動が作用反作用の法則に頼っているからだ。
空中に無防備に浮かぶレヴィの身体目掛けて殺意を持つ幾本もの飛刀が飛来する。
いかなる武道の達人でも、こればかりは躱せない。それが絶対の真理であるはずだった。
「馬鹿の一つ覚えみたいに飛び道具ばかり……。空属性相手の戦い方も知らないのかなッ!!」
膨大な魔力を消費する上級魔術<飛翔>術式が起動。レヴィの身体は最高到達点を越えて更に上方へと浮かんでいく。
目測を誤った飛刀は先ほどまでレヴィが存在していた空間を正確に貫くが、空を切るだけだ。
何もない空間を足場として、レヴィは更に<加速>する。
ただ回避しているばかりでは芸がない。
弾丸のような勢いで小銭を投擲。風の助力を得たそれらはあられのように辺りに降り注ぎ、彼らの反撃の意思を削ぎ落とし、上空への攻勢を弱めていく。
ミックすらも巻き込む広範囲の爆撃には耐えかねたのか、屋根に陣取っていた連中はたまらず軒下に避難した。
晴天のあられを屋根に浴びて、騒音に苛立った住人たちが何事かと窓から外を窺う。そして物騒な連中の争いを目撃し、すぐさま顔を引っ込める。
彼らに被害を出さないためにも、ずっとこのような戦法を続けるわけにはいかないだろう。なにより、このままでは懐が寂しい。
深呼吸一つ。
覚悟を決めて、迅雷のように急降下。
行き掛けの駄賃に一人を屠り、脳天から股間まで長槍で貫通。そのまま大地に串刺しにし、まるで百舌鳥の早贄である。
惨状。呑まれた敵たちは、手出しを躊躇ったようだ。
これで一番隙の大きい着地を安全に成功することができた。
「さあ、実力差はもうわかったでしょう?武器を捨て投降なさい。全員連行します」
ほとんどレヴィに手傷を負わせられないまま、賊のうち二人は既に再起不能の状態。少しでも頭が働く相手ならば、怯えてもおかしくないはずだが――
「――引くぞ。これ以上の犠牲は許容できん」
「まあ、そう来るでしょうね」
ある意味予想通り。賢明にも撤退を選択した賊は仲間の屍体の回収さえ行わず、引き潮のように一斉に後退していく。
背中を見せないように警戒している彼ら相手に、見え見えの<風弾>がどれほどの効果を上げるのかは不透明。けれど犯罪者をみすみす逃がす訳にはいかない。
効果はないと知りつつも、<風弾>を連打。同時に狙ったのとは別の一人を標的に定め一気に駆け出す。魔術による遠距離攻撃は彼らにも読まれ、対処されてしまったようだがまさか直接攻撃による追い打ちまでは予想できなかったらしい。
一人でも生け捕りにできれば、尋問して彼らの目的や素性を問いただすことが出来る。関係者らしいミックに聞くのも悪くはないが、複数の選択肢を保持しておくに越したことはない。
一人の男の腕を鷲掴みにする。いつも暴漢を撃退する時のように関節を捻り上げようとすると、思いもよらぬ方向に男の肘が曲がった。
躊躇なく己の腕の関節を外した男は、レヴィの一瞬の隙を付いて逃げ出していく。
死に物狂いの逃走に不気味なものを直感的に感じ取ったレヴィは、冷静に魔弾を放ち、相手の足を止めようとする。
放たれた<風弾>は相手の膝関節を確かに撃ちぬいたはずだった。なのに――
まるで痛みを感じないかのように、撃たれた男は平然と走り去っていく。ミックの柔軟性に勝るとも劣らない機敏さ。
避けられることは想定しても、まったく攻撃が効かないなんてことは想像できていなかった。一瞬思考が真っ白になる。
気を取り直して追撃を再開したものの、距離は大きく稼がれてしまっている。
撃退はできたものの、結局誰一人捕まえることは出来なかったのだ。
仕方なく追跡を諦めて、屍体を見つめ呆然としているミックの下へ戻る。
付近の住人はいまだとばっちりを恐れて通りには出てこない。微かな血臭と糞尿の酸っぱい臭いが辺りに立ち込めていた。確かにまっとうな神経を持っていれば、関わりたくないと思うのが普通だ。
こんな空間にずっといては気分まで塞ぎこんでしまう。屋外だから臭いは散らしやすい。風を操り、換気を行っておく。
片手間で魔術を行使しながら、佇むミックに声をかける。
「どういうことでしょうか。彼らは貴方を狙っていたようですが」
「……すいません。帝都にトラブルを持ち込んでしまって。この不始末の責任は必ず取るッス」
「いえ、それは司法の管轄です。私が知りたいのは治安を脅かす彼らが一体何処の誰なのか、ということです。再発防止の為にも協力願います」
うつむく彼の表情はうかがい知れない。問答を拒絶するような強い言葉だったが、レヴィはまったく怯まない。
彼の返答を待つ間も、屍体を検分して少しでも証拠を集めようとする。
串刺しにした屍体は損傷がひどく面貌さえ崩れている。反面喉を潰した男の方は比較的損壊が少なく見れるものだった。
ふたりとも身軽ななりで、持ち物は極端に少ない。共通して持っていたのは、帝国発行の硬貨と暗器として隠し持っていた小刀。黒装束は同じもののようだが、身分証のようなものは無く、得られた情報はそれくらいしかない。
他国の間諜だろうか。
自然と眉が険しくなった。
「彼らは……拙者の故郷の顔馴染みッス。もう縁を切ってるんスけど、その時揉め事があって、恨まれてるんスよ。それで襲撃されたんだと思うッス」
ようやく絞りだすようにミックが告白した。
「怨恨、ですか。街中で手段を選ばないというのはずいぶん穏やかではないのですね。何をやらかしたのやら」
彼の言葉を鵜呑みには出来ない。
疑いの気持ちはまだ濃い。
その内心が口に出てしまった。
「恥ずかしい話ッス。できれば、言いたくないッス」
「我儘が許される状況だとでも?」
「……」
ミックは俯くのをやめた。
表情は苦しそうではあるが、それ以外にいつもと変わった様子は見られない。
「どうしても、話さないとダメッスか?全て拙者が決着を付けて、もう迷惑をかけないと誓っても?」
「個人的には少しだけ貴方を信じてみたいと思っています。ですが今回の件は大事です。幾ら貴方が大賢者様の知人であったとしても、看過できるものではありません。迷惑をかけない、その言葉を素直に聞けません」
「……スよね。わかりました。話します」
渋るミックはついに観念して大きく嘆息した。
「――という訳ッス。だから拙者が襲われるのはある意味では当たり前なんス」
「裏切り者、と。そう思われているのでしょうね」
閉鎖社会での排斥の経験はレヴィにもある。故郷の村の美しい自然を思い出し、同時に醜い諍いも思い出したレヴィは実感の篭った嘆息を漏らした。
「そうッス。それ自体は個人の問題ッス。でも問題なのはどうしておやじたちがこの帝都にいるか?ってことッス。予想通りならば、近々帝都で大きな騒動が起こるかもしれないッス。例えば――クーデターとか」
外国人であるミックの言葉は、それなりの衝撃を伴って、レヴィの胸を打ちすえた。
クーデター。
外から見れば帝国はそれほど不安定に見えているのだろうか。
確かにほころびは見え始めている。
堕ちた巨竜というのは帝国を揶揄する言葉だが、真実の一端を捉えている比喩でもある。
軍部の中でも独立性の高い上十二衛にいるレヴィには、仲間内の情報さえ殆ど入ってこない。厳しく言えばレヴィはアンテナを張り巡らせる事もせず、日々の業務にかまけていた。その思考停止は一兵士としては褒められるべき行為だったが、仮にも五十人近くの兵卒の命を預かる指揮官としては怠慢である。
事あるごとに噴出する軍部と貴族派の軋轢。
クーデターという言葉が現実味を帯びて聞こえるほどには、彼らの関係は険悪だった。
幽議会において、激しい利益誘導競争が行われたことは記憶に新しい。
あの議会の一番の勝利者はナタリアたちだろうが、直接的に利を手にしたのは魔導研究所を提供した軍部である。軍部の一部の過激派が一気呵成に勢力拡大を狙う。
そういうシナリオは十分に考えられる。
なんとなくの思考でレヴィはそう思う。
「軍事蜂起。そんなことが現実に起こるとでも?」
疑念はあった。けれどそれを言葉にしてしまえば、虚が真実になってしまうような気がして。
レヴィは疑惑を強く否定する。
「さあ?部外者にはそこまでは。あくまで一つの可能性ッス。拙者の里の者たちは金で雇われればどんな汚れ仕事だってこなすッス。自分でも言うのもなんスけど、結構優秀ッスから、これだけの人数が同時に動くということ自体が本来有り得ないことなんス。どうして大勢が動いているのか、といえばこれはもう、それだけの人数が必要な仕事を任されていると考えるのが自然ッス」
「優秀?あの程度の腕前で?」
ミックの出身の里は隠密任務を専門とした傭兵部族だったらしい。一族まるごと傭兵部隊であり、フェイクとして農業も営んでいるらしいが、外貨の主な獲得手段は傭兵。ミックはその里の当主の息子。後継者問題で揉めて、出奔。
当然、次期当主の責任を放棄したどら息子として恨まれているようだ。
里を出ても、幼少時から身に付けた技術は無駄にはならない。彼の卓越した身体技能は彼らの血統と厳しい鍛錬によって磨きぬかれたものだった。
「――姐御と較べたら大抵の相手はあの程度ッスよ……」
何かを本音を吐きそうになったミックは寸前で踏みとどまり、呆れを滲ませた声でそう言った。
「でも、あんまり自分の力を過信しないほうがいいッスよ。今回は圧勝できたッスけど、いつも勝てるとは限らないッスから。二人も殺したから姐御も目を付けられたかもしれないッス。彼らは闇討ちが本領ッスから、四六時中気を張ってるわけにもいかないでしょうし。……もちろん、責任はとるッス。拙者の都合に巻き込んで、本当に済まなく思ってるッス。必ず帝都に侵入した全員を見つけ出して駆逐するッス。だから時間を頂きたいんス。三ヶ月――いや、一ヶ月でなんとかやってやるッス」
決意の篭った眼差しをレヴィは一蹴する。
「その申し出は許可することが出来ませんね」
「え?なんでッスか!?命が狙われているかもしれないんスよ!?」
「理由を言わねば、わかりませんか?」
「……」
「それほど言わせたいのですね。いいでしょう。貴方がまだ隠し事をしているからです。その秘密を聞くまでは貴方に自由を与えることは出来ません」
「それは――」
「否定しないのですね」
レヴィにできることは、帝都のトラブルを最小限にとどめ、頑張っているナタリアの邪魔をさせないように努めることだけだ。そのためならば、大賢者の友人であっても特別扱いはしない。
午後からの会議の予定は動かすことが出来ない。自ら事情聴取に参加したかったが仕方ない。呼び寄せた当直の衛兵に後を託すしかない。
程なくして現場に駆けつけた衛兵に重要参考人だと言ってミックを引き渡す。レヴィの睨みが効いていたのか、はたまた罪悪感からかは定かではないが。連行される時、ミックは従容とレヴィの命令に従った。
簡単に口を割ることはないだろうが、彼が直接何か犯罪を犯したわけでもない。
出来る限り穏便に聞き取りを行うように命じて、レヴィは午後の会合へ急いだ。




