21式典に向けて
ナタリアは心残りに思っていたダリウスへの返礼を終えた。
一日遊びまわり、別れ際には「また遊ぼう」という当てのない約束まで交わしてしまった。縁が切れると思っていたのに。それを断らなかったということは、きっと今日一日を楽しめたということなのだろう。
「また」がいつになるかは分からないが、いつかになればいいと思う。
時刻は夕暮れ。彼らと別れたナタリアにはまだ用事がある。朝方交わしたレヴィとの約束である。
ナタリアがなにやら式典に参加しなければならないという。その説明は纏まった時間のある夜に行われるとのことだった。
レヴィを待つ間、それとなく”声”に呼びかけてみる。眠ると言っていたから疲れているのだろう。けれどどうにも嫌な予感が拭えず、あえて呼びかける。
一言でいい。ただそれだけで安心できるのだ。
返事はない。虚空に呼びかけているかのような手応えのなさ。ならば彼が消えてしまったのかというと、そうでもない。微かに気配は感じられる。確かに彼は居る。けれど姿を見せない。
心が剣山で削られるように、もどかしい。
悶々とした時間は長くは続かなかった。
約束通りレヴィがやってきたのだ。<超感覚>を使い、彼女の接近を感じ取ると、心細さやなにやらで、待ちきれなくなり自室から飛び出した。
玄関に向かう途中、階段を降りたところで帰ってきたレヴィに出くわした。
「おかえりなさい!」
「あ、ああ。待っていてくれたのですか。悪いですね」
既に閉店していて明かりを落としていたから、玄関は暗い。ナタリアの存在に気づかなかったのだろう。急に声をかけられてレヴィは驚いていた。
「叔父さんはどうしていますか?」
「もう眠ってるかの?部屋から音がせぬし」
「そうですか。起こしてしまうのも悪いですから、そうっと二階に行きましょう」
明かりは付けず、二人は忍び足でナタリアの部屋へ。
適当に話せる場所を作って、机に向かい合う。ナタリアはミックにもらった紙をメモにしようと何枚か持ちだしている。
「式典について、説明しましょうか。上十二衛の新人の歓迎会なのです。士官学校の成績優秀を叙勲して迎え入れる……主役は彼らであり、私たちがやらなければならないことは特にありません。本当にただ出席しているだけでいいのです。ただ、式の間立ちっぱなしになるので、疲れるかもしれません。どうしても、という時は言ってください、休憩できる場所を探しますので」
日取りと開始時間。細々とした段取りを詰めていく。
レヴィの言うように、ナタリアがしなければならないことなど何もない。会議というのも馬鹿らしい話し合いは僅かな時間でつつがなく終わった。
ふと生まれた沈默の間。ナタリアは机上を照らす光源を見上げた。
ナタリアが創りだした<発光>魔術。孤児院の院長が夜中にこれを使っているのを見て羨ましく思ったものだ。懐かしく思いながら、その光量を調節。辺りの暗がりに合わせて一段階暗めにしておく。
「ところで、今日は休みだったようですが、街には出ましたか?」
今日は一日遊び疲れた。眠たい目をこすりながら、その質問に、
「ああ、子どもたちと、な。市場を見て回ったわ」
「こどもたち……。いえ、それは関係ないですね。街で何か変わったことに巻き込まれませんでしたか?昼前頃でしょうか、郊外の一軒の商家の蔵が爆発したのです。幸い負傷者は居ませんでしたが、結構な騒ぎになりました。巻き込まれたりはしませんでした?」
「爆発……?巻き込まれては、いや、待て。爆発で強風が吹くということはあるかの?具体的には鉄塔のところまでその爆風が」
騒ぎと聞いて真っ先に思い出すのは、鉄塔で親子を助けたことだ。”声”が謎の力を発揮して、なんとか誰もが無事に事を収めることが出来た。
その事故の原因といえば、季節外れの強風である。あれが、爆発の影響によるものだとすれば――
「空には風を遮るものがありません。おおいに有り得る話です」
「あの不自然な風はそういうわけじゃったのか……」
「実はその爆発事故。事故ではなく事件だと考えられています。というのも、犯人から犯行声明が届いていたからです」
レヴィは機密事項だと断ってから、事件について語り始めた。
どうやらカルトな宗教家が帝都で何件かボヤ騒ぎを起こしていたらしい。犯行声明を出して街の治安を脅かす犯人は目下、街の衛兵が全力をあげて捜索中、とのことだ。
「ですから少々今の帝都は物々しいのです。必要がないのならば、出来る限り外出は控えたほうが賢明ですね。もちろん我々が犯人を捕まえて一刻も早く治安を回復するつもりですが」
今までは秘密捜査をしていたらしいが、今回の件は被害規模も大きく到底隠しおおせるものではない。直に帝都中に放火の噂が駆け巡ることだろう。
皇帝の不在に帝都を跋扈する不届き者の存在に、レヴィは顔を歪めた。
「情けないことです。それに帝都では――いや、なんでもありません。とにかく帝都は今、安全とは言い切れない状況です。何かトラブルに巻き込まれないとも限りません。あるいは騒ぎに乗じて刺客が来ることも考えられるでしょう。私の目の届く範囲で乱暴狼藉は許しませんが、万全とは言いがたいです。貴方も十分に注意してください」
『火事の原因で一番多いのが不審火らしいぜ。とっとと捕まえて欲しいもんだ』
「ッッ!!」
目を見開くのを抑えることは出来なかった。声には出さなかったものの、息が止まったような気さえする。
”声”が帰ってきた。
もしかしたら――そういう懸念があったからこそ、何事も無く戻ってきてくれたことが嬉しい。きっと心配のし過ぎだったのだろう。
『ふぁ~ぁ、ああよく寝た。もう夜中じゃねーか、不味い寝過ぎたな』
呆れ返るほどに呑気な思念を受信して、安堵の息を漏らしたくなる。
今すぐ心配かけたことをとっちめてやりたいが、そうもいかない。
レヴィが訝しんでいる。
「まさか、既に巻き込まれたということは……?どうにも貴方はトラブルを誘引しやすい体質のようですし……」
”声”の存在に気付いたのではなかったが、レヴィの言葉はなぜか正鵠を射ていた。
あの爆風がなければ親子は危険な目に遭うことはなかったろうし、ナタリアも無理に助ける必要はなかった。巻き込まれたといえば、まさにその通り。
「いや、そうではない。そうではないが……。わしも騒ぎを起こした者が捕縛されることを祈っておるよ」
「それはもちろんです」
力強く彼女は頷く。
「ともかく、一週間後の式典を覚えておいてください。私はそれまで準備で忙しく、あまり顔を出せないと思うので。次に会うのは前日になるでしょうから」
帰り支度を始めながらレヴィが言う。外は真っ暗で夜道は危ないだろうが、生粋の戦士である彼女に対して心配は無用だ。それよりも今は”声”と話がしたい。
レヴィが出て行った後、待っていたかのようにナタリアは”声”に話しかけた。
「まったく、今まで何をしておったのじゃ。まさか本当に寝ていたというわけでもあるまいに」
厳しい言葉に反して口調は軽やか。誰が聞いても”声”の無事を喜んでいるのは明白だった。
『不眠不休で働けってか?そりゃ悪魔だって寝るさ。そこのとこは勘弁してくれや。それよりも、間違っても犯人を捕まえようとか考えんじゃねーぞ』
「何故じゃ?全くそのようなことは考えておらなんだが」
『ならいい。気にすんな。忠告だ。――ところで話変わるが、魔力って一体何なんだ?<転写>の知識はどうにも小難しい言葉が多くてなぁ。わからんことも多いんだ』
「む、すまぬな。<転写>で写した知識は、師父様に頂いた教本の一部じゃ。あれが一番手っ取り早く理解できると思ったのじゃが……。よし、わしも未熟じゃが答えられることには答えてみせよう」
魔力とはなんなのか。そのようなこと考えたことがなかった。
魔力の性質を列挙することは出来る。けれどその存在の意味や理由を説明するとなると、それはもはや哲学の領域に入ってしまう。
ただ在るモノに存在を理由を求めるというのは無茶な話。
魔力や魔法について専門に研究しているようなユニ・ソルシエールの研究者ならば、そのような事にも一定の理解を得ているのかもしれないが――
「魔力。魔法が使われると消費される目に見えない力の源ではなかろうか。うまく言葉に出来ぬが」
『ようはエネルギーだ。それは理解できる。使った分は外界から補給されるんだろ?エーテルとか言ったか。遍在するエーテルは使った分の魔力を自動的に補給してくれる』
「その通りじゃな。人間などはそうでもないが、荒野の幻想種や魔獣などは生きるために絶えず魔力を消費しているそうじゃ。道具として魔術を扱う人間と異なり、彼らの行使する魔法は原始的で生命活動に組み込まれたもの。エーテルが補給されなければ、この大地に彼らの居場所はないじゃろうて」
『ならそのエネルギーはどうやって現象に変換される?意思によって?呪文によって?魔法の仕組みってなんだ?』
矢継ぎ早の質問にたじたじになる。ゆっくりと思考して自分の中から答えを探さなければ、難しい質問ばかりだった。
感覚という言葉に出来ない無明の世界から、手探りで新たな概念を見つけ出すようなものだ。
「それは――術式によって?じゃな。お主も<転写>で術式の例を見たじゃろうに」
『あぁ、あのめちゃくちゃ複雑怪奇な”方程式”ね。方程式を解けば魔術になるとか、どこの無貌の神だよ……。で、方程式を解かない限り魔法は使えないのか?』
「そんなことはない。確かに魔術の行使には術式が必要じゃ。だがそれは誰もが同じ結果を出すために必要な定式に過ぎぬ。現に、それっ」
ナタリアの伸ばした手の先。部屋の窓の支え棒が、ひとりでに動く。
もちろん自然に動いたのではなく、空属性の特性である流体操作による風の制御が行われたのだ。この程度の風ならば魔術師以外でも無意識に使えるだろう。
『術式の有無は魔法の発動と無関係、か。確かに魔”術”ってんなら再現性が必要だな。魔法には詳しくないが、魔術の根本の思考って結構科学と一致してるんだよな……』
”声”はナタリアの知らない単語をたびたび使用する。なんとなく文意は通じるので問題はないのだが。
『無意識で発動すると言ってもな、望めば叶うとでも言うつもりか?』
「そんなたいそうな話ではない。手を伸ばせば物が掴める。それと同じくらいに魔術というのは当たり前のことしか出来ぬよ」
『……根本的に、常識からして違うんだよな。術式の代替はあるのか?魔法陣らしきものが魔術ギルドで結構な値段で売れたよな」
「代替?魔法陣と術式はそもそも全く効果が違うぞ?術式は魔力を現象に転換する。魔法陣はその補助をする。具体的には一度に出しきれない量の魔力を要求する上級魔術の発動には、一時的に保有者の魔力を保存しておける貯蔵庫が必要となる。無論、一端の魔術師であれば、魔法陣の補助無くとも上級魔術を行使できるのじゃが、まあわしにはまだ無理じゃな」
『魔力の貯蔵庫、ねぇ。それじゃあ大量に魔法陣を携帯していれば、大魔術も自在に使えるようになるよな?』
”声”のアイディアは思いもしない観点からのものだった。そんな風にして魔法陣を持ち歩くなどと、考えたこともない。何故ならば――
「魔力を魔法陣に込めておける時間には制限があるのじゃ。血で刻まれた魔法陣、塗った血文字が乾ききってしまえば込められた魔力は霧散する。術行使の直前に造らねば魔法陣に意味は無いぞ」
『血が、乾くまで……?なんだよ、そんなの一瞬じゃねーか。一時間も保たないだろ。え、マジかよ。刻印をマントに刻んだ魔法の道具とかないのか』
”声”に<転写>した資料を隅々まで目を通せば、それくらいのことは察せるはずとナタリアは思う。
いまさらのように驚き、失望した様子の彼。何が彼の気を損ねたのか見当がつかない。
「魔具と魔法陣は何の関係も無いぞ。魔具は言ってみれば術式の代用品。魔法陣は術式の発動を補助するもの。師父様ほどのお方が魔法陣を必要とするはずないから、わしはひとつも教えてもらったことがないがな。魔法陣は持たざるものの武器なのじゃよ。女子供は保有魔力が少ない。魔法陣が使える機会は限定的じゃが、確かに存在する」
『……ん?てめーの保有魔力って少ないのか?』
何を当たり前のことを。馬鹿にされているかと思ったが、そういう訳でもないらしい。
”声”の言葉に首肯を返す。
『激レアの四重属性で魔術の天才が、魔力が少ない、ね』
「当たり前じゃ。未熟者の魔力は総じて少ない。わしも成長すればきっとより多くの魔力を扱えるはずじゃ……きっと」
声を荒らげかけたものの、途中でその未来が単なる願望でしか無いことに気付いて、声は勢いを失った。最後に小声で付け足したのが、ナタリアの自信のなさを如実に示していた。
どれほど虚勢を張ったところで。現実の彼女は未熟な少女でしかない。大賢者のようになりたいと思いつつも、その思いを遂げられるかどうかはわからない。
自信が持てない。
新術式<循環盾>を開発し、先行きは順調に思える。けれどナタリアが憧れたのは尊敬する師父の姿。術式の開発者と魔術師は同じものではない。
彼の弟子として、恥じない立場を手に入れるためならば、その手段がどのようなものであれ、挑むつもりだ。
ただ欲をかけば、理想を言わせてもらえるならば、師父のような偉大な魔術師としての人生の道を辿ってみたいと思うのもまた本心なのだ。
だから魔術師として大成できないのではないか。そういう想像はしていて気分の良いものではない。
落ち込みかけたナタリアの耳に、”声”の呟きが染み込んだ。
『魔力のストレージたる血文字。保有魔力。女子供。一人前の魔術師の魔力……。血、血、血。属性の遺伝は母親から。臍帯による体液循環』
ぶつぶつと”声”の思念は掴み所がない。意思がひとつに集中されていないのだろう。雑念は雑踏の騒音のように意味を持たず、ただ右から左へと流れていく。
どれくらい経っただろうか。突然自分一人の世界に入り込んでしまった”声”は、ようやく意思を統一できたようだ。
『血が魔術師にとって非常に重要な要素ってことは分かった。血族という意味でも、物理的な意味でも。その上での質問だが、もしかすると保有魔力ってのは魔術師の体の大きさに関係しているのか?いや、より厳密に言うならば体重が関係しているんじゃねーか?身体が大きいということは、その身体に含まれた血液量も多いということだろ。血が体外に出ても、魔力を保持する作用があるってのは、そういうことじゃねーのか!?』
確かに。子供が持つ魔力が少ないというのは、例外なく共通して知られている常識だ。 女性も男性に比べれば体重は軽い傾向がある。絶対的に体の大きさと魔力保有量が直結しているかは不明だが……。
”声”の知識が致命的に誤っていたことはなかった。つまりはそういうことなのだろう。
世界の真理に最も近いのが師父様だとしても、二番目くらいにはすごいのが彼だ。
魔術についての素人なのに、あっという間に法則らしきものを発見してしまう。本当にかなわない。
『肺呼吸による酸素循環に似ている?いや、待て。魔法陣の為の血は静脈のはずだ。そうすると……あー。いくつか実験してみないことには断言できねーか』
ナタリアも”声”も知らないこと。あの大賢者でさえ知らないこと。
王国の最先端魔術を扱うユニ・ソルシエールでは”声”の想像したような魔力を血液の相関関係についての議論がなされていた。成果を隠匿するのが魔術師の常であるからして、帝国の魔術師にその情報が伝わることはなかったが。帝国ではあまり盛んではない医術についての研究において、王国は三歩帝国に先んじている。
学問も、技術も。人口差と伝統の力の差を埋めるために、王国は必死に帝国の背を追いかけている。王国を軽視する帝国は、彼らが座る慢心の城が、ずいぶん古ぼけていることにまだ気づいていない。
帝国は滅びを待つばかりなのか。
腐敗が全身に至り、横死してしまうのか。
本人たちの知らないところで。ナタリアと悪魔は帝国の命運をいつの間にか担うことになっていた。この時点でそれに気付いているものは、まだ誰もいなかった。




