20休日2
「ねえ、鉄塔に登ってみない?」
子供三人。ナタリアたちは賑やかな街を散策する。所詮子供の足だ。移動範囲は非常に狭い。彼らの行動範囲に目指すべきスポットなど、ひとつふたつしか存在しない。
老若男女で賑わう噴水広場と、見晴らしのいい鉄塔ぐらいだろう。
幸い今日は天気が良い。鉄塔からの景色はさぞかし素晴らしい物になることだろう。
ダリウス少年の提案は二人の少女にも妥当なものだと思えた。
「いいわね、行きましょ」
ナタリアとの確執は置いておくことにしたのか、終始笑顔の少女がナタリアの手を引いた。
あれからお互い自己紹介をしたのだが、サイドポニーの少女の名前はステラというらしい。
思った通り、彼女は突如現れた恋敵の幻に警戒心を露わにしていただけだった。
誤解を解けば少なくとも表面上は和解することができた。
ステラはナタリアと同い年。帝都生まれの少女は街の名所を見せびらかすのが楽しくてしかないようだ。
鉄塔は遠くからでもよく見える。青空に向かって伸びる鈍色の針のようなタワーである。
『スチールの建造物は初めて見るな。なかなか壮観じゃねーか』
”声”ですらも物珍しげにしている。
それも仕方のないことだろう。一般的な2階建ての建物の三倍の高さはある。
地形の高低差があるから帝城よりも遥かに下方に位置するが、純粋な高さを比較すれば帝城に勝るとも劣らない筈だ。
元々は物見の塔だったらしいが、帝国に挑む敵国などいるはずがない。一般に解放された鉄塔は見物料さえ払えば、庶民でも自由に利用することのできる観光施設になっている。
ダリウスとステラの案内で鉄塔の足元まで辿り着く。近くで見ると、その高さが際立って見える。てっぺんを見ようとすれば首が痛くなるほどだ。
『あー。なるほど。比較する物がないからアレだったが。タワーというよりビルだな。どっちにせよやるじゃねーか。これも魔術でできているのか?それにしては錆だらけだが』
”声”の質問を代弁してやる。けれど子供たちは鉄塔の来歴を知らなかった。どうやってできているかなど興味がないのだろう。彼らはランドマークとしての鉄塔の高さに憧れていただけなのだから。
鉄塔の足元の柱は針のようなてっぺんと比べると、ずいぶんと太いように思える。最近見たもので言えば、”翁”の工房の炉と同じくらいの太さである。大人三人が手を伸ばしても抱えきれない位の大樹の幹である。
赤錆の浮かぶ表面からは年月の経過が伺える。普通であれば頼りなさや哀愁を感じるのだろうが、そもそも鉄製品を見慣れないこの世界の人々はこの錆に頼もしさを感じるのだ。
長い年月を生きてきたということは、その長い時間風に耐え、雨を凌ぎ、戦火を躱してきたという強さの証明に他ならない。帝国の盤石さを感じざるをえないのだ。
これだけの塔を造り、維持する。ただその一事だけで帝国が世界に名だたる国家だと確信できるのだ。
鉄塔の周りには不審者が近づかないように簡易的な木の柵と詰め所がある。管理している役人に見物料を支払えば上に登らせてくれるらしい。
ちょうど見ていると一組の親子が見物料を支払っているところだった。
木組みの階段をゆっくり慎重に登っていく親子たちを見て、なんとなく目をそらす。
逸らした視線の先にはキラキラと目を輝かせる少年少女がいた。
「すごいすごい!あんな高い場所まで……!」
「危なくないのかな!?でも手すりがあるから大丈夫だよね!」
小声だったが二人とも興奮を隠しきれていない。やはり仲が良いのだろう。二人の距離は家族のように近い。
別段嫉妬しているわけでもないが、疎外感を覚えたのは確かだ。
蚊帳の外になってしまったナタリアはさらに視線を彷徨わせる。
鉄塔広場は露店が禁止されているらしく、猥雑な空気は感じられない。その代わりに帝都には珍しく植樹がなされている。枝振りの良い木々があるために、広場には気持ちのよい風が吹いている。ちょっとした木陰には休日を満喫する人々の姿がある。草のソファーに寝そべる者もいてなんとも気持ちよさそうだ。見ているだけで欠伸が出そうになる。
灰色の尖塔と緑の広場は石造りの帝都にあって異質な空間だ。けれどその異質さがこの空間をやすらぎの物へと変えている。風にざわざわと揺れる木々の葉音がここが休憩の為に用意された空間なのだと明確に主張する。
その力強い主張に安心して人々はここに集まるのだ。
木陰で休む人たちは、鉄塔目当てにやってきた人たちの平和な光景を見て、身体だけでなく心も休ませることができる。
”声”がナタリアの肩を優しく叩く。
その合図だけで分かる。
ナタリアは常時張り巡らせている<超感覚>の魔術を解除した。
鋭敏になっていた五感が鈍くなり、飲酒した時のような暖かくぼんやりとした何かに全身が包まれていく。
陽光を一身に浴びつつ深呼吸をする。
ここは空気が違う。せわしない帝都の中でここだけが時が止まったようだ。
忙しい日常を送る人こそ、ここでは張り詰めていた自分を解放することができる。
リラックスしたナタリアは久々に魔術のことも、試練のことも考えず無垢な心に還る。
「ふたりとも、どうせなら上まで登ってみない?子供三人分の代金なら今持ってるから!」
肩肘張ることなく、背伸びすること無く、歳相応に振る舞うことを咎める者はここにはいない。
「やった!行きましょ!!」
「え、でも悪いよ……」
登りたくてうずうずしていたようで、遠慮するダリウスでさえも表情が緩んでいるのを隠せてはいなかった。
それでも二人の少女に促されて、顔を赤くしながら少年は小さく頷く。
了承が得られたところで、三人は料金ナタリア持ちで見学料を支払い木の階段を登り始めた。
遠くから見ていた時に思った通り、階段はあまりしっかりした造りではなかった。軽量化を優先しているためか、見た目はすこぶる頼りない。子供だからいいようなものの、太っている大人などが乗ったら壊れてしまいそうだ。
手すりに掴まりながら少しづつ前進していく。
気を抜いてはいけない。けれど必要以上に心配することはなかった。
頂上まで半分ほどのところで休憩所があった。十人程度用の腰掛けが用意されていて、一息つくことができる。
ここにも塔の管理をしている役人が一人いる。残り半分の道程ははしごなどを使った急斜面になる。一度に大勢が登ると事故が起こりかねない。その役人は常に塔の上の人数が一定以下になるように人の流れを整理しているのだ。
頂上部分には先ほど登っていった親子がいる。管理人はナタリア達三人が息を切らしながら休憩所に辿り着いたのを見て、気さくに声をかけた。
「ほぉ、小さいのによく頑張ったね。ここまで登ってくるのは大変だったろう。どうだい、少し休んでから引き返すかい?」
確かに子供の足ではきつい階段だった。そもそもの歩幅が大人向きに造られている。蹴上部の高さもかなりあり、大の大人でさえ苦労する階段なのだ。まだ小さいナタリアたちにとっては、楽な道のりではなかった。
誰もが息を切らしていた。
「きゅ、休憩」
ダリウスがへたり込んだのをきっかけに、ナタリアとステラもスカートの裾を気にしながらしゃがみ込む。
風が強い。しばしばステラの結んだ髪がふわふわと宙に流れる。
中間地点でこれならば、頂上はもっと強い風が吹いているだろう。
吹き付ける風は額の汗を乾かして心地よかった。
腰掛けの足元にもたれかかりながら休んでいると、頂上から親子が降りてきた。ハシゴのようなきつい傾斜を慎重に降りてくる。なるほど、これは確かに人数制限をしなければ危険だ。
その慎重な足取りを見守っていると、不意に強風が吹いた。
ぐらりと塔が揺れる。
金属が軋み、悲鳴のような音が大空に響き渡る。
管理人はしっかりと姿勢を固定していた。揺れには慣れっこなのだろう。過酷な職場だ。
腰を下ろしていたナタリア達もなんともない。怖がったダリウスが手すりを掴んだくらいだ。
危なかったのは、はしごを降りる途中だった親子だ。筋力の強い父親は咄嗟に掴まって堪えた。しかし子供は。
落ちる。
足を踏み外したか。するりとその小さな身体は滑り落ちる。
気づいた父親が、咄嗟に魔術で風の手を伸ばす。我が子を掴むその幻想の腕は、しかし強度が足りない。落下の勢いは減じたが、子供一人の体重を実体のない風が支えきれるはずもない。
落ちる。
父親の咄嗟の反応に遅れて、管理人が落下地点に走る。そのまま落ちれば、地上ではなく休憩所に落ちる。抱きとめるつもりだ。
けれどそれでも足りない。彼は全力で走っている。しかしそれよりも子供が落ちる速さのほうが上だ。
手を伸ばす。だが、伸ばしたところでどうなる。この身に宿るは四属性の魔術。しかしそのどれもが、この状況を打開するには足りていない。辛うじて望みがありそうなのは<風弾>によって勢いを殺すか、あるいは<加速>で自らの機敏性を上げるくらい。
足りない。届かない。
<風弾>は攻撃魔術だ。むしろ落下よりもダメージが増える。精密な狙いが付けられればまた話は別だろうが、今のナタリアでは無理だ。照準を合わせるのにも才能が要る。魔術の才がいくらあったところで、今この状況では何の足しにもならない。
必死にひた走る管理人。絶望に染まる父親の顔。
ナタリアには何も出来ない。けれど――
「助けてッッ!」
『ちくしょうが!!』
縋る手は掴み上げられた。
”声”が咆哮する。
その瞬間、空間そのものが震え、時の流れはひどく緩慢になる。ガタガタと振動で塔が揺れるが、刹那の時間ではそれさえも気にならない。
時が止まったような空間で、ナタリアは走る。ネバネバとした空気が全身を押しつぶそうと圧力をかけてくる。無茶をしている。そのことが分かる。
外側から押されているのに、悲鳴を上げるのは体の内側だ。内蔵がぎりぎりと痛み、激しい頭痛が頭蓋の裏で暴れまわる。
一歩踏み出すのも億劫で、けれど魔力で無理矢理に身体を動かす。不思議と魔力を通した部位からは痛みが消えていた。
のろのろと走り、手を伸ばす。
今度は届く、届かせてみせる。
”声”の咆哮がやんだ途端、世界の時は元の時間を刻み始める。魔力でごまかしていた痛みがぶり返し、ナタリアの全身を蝕む。
けれど、あぁ。ナタリアは滑りこむように落ちる子供と床の間に入り込んだ。
姿勢が悪い。関節のクッションもない。殆ど身体で受け止めたようなものだ。
それでもなんとか抱きとめて、子供の首には衝撃がいかないようにした。多分無事だ。
「だ!大丈夫か!?」
駆け寄ってきた管理人は顔を真っ青にしている。
全身の痛みをこらえて、ナタリアは拳の親指を天に上げた。もぞもぞと子供が身動ぎする。子供といってもナタリアよりも身体は大きい。伸し掛かられているようなものだ。僅かな動きが未だ痛み続ける身体にダイレクトに伝わる。
「の、のいてくれぬか……?」
微かなうめき声を聞き届けた管理人が、優しく子供を抱き起こした。そのまま身体を調べて異常がないかを確認する。
「痛むところはないか?そこの勇敢な彼女も、良ければ簡単な<治癒>なら使えるぞ」
「ああ、そうじゃな……」
ナタリアの献身は報われたようだ。落ちてきた子供に怪我はなく、慌てて降りてきた父親は何度もナタリアに頭を下げた。
「本当に!ありがとうございます!!なんとお礼を言っていいのやら。ほら、お前もちゃんと!!」
怪我は無かったようだが、まだ茫然自失の子供は父親に促されるままに礼を述べる。
お礼の言葉を聞いている間に、いつの間にか身体の痛みは消えていた。
夜の魔力が全身を精査し、異常を探し求める。
夜の属性は人の感覚や情報を司る。夜属性の人間は意識すれば、自分自身でさえ気づかないような肉体の異常さえ感知できるのだ。
あれだけの激痛、苦しみ。それらは全て跡形もなく消えていた。もちろん身体に傷ひとつ無い。
「お主、あんなことができたのじゃな。本当に助かったわ」
そして繰り返し礼を述べる親子に気付かれないように、”声”に耳打ちする。
『……ん、あぁ。なんだって?悪い、少し眠らせてくれないか?死ぬほど眠い、マジで』
”声”のはぐらかしたい話なのだろうか。
問い質そうにも、ひっきりなしに話しかけてくる親子の前では難しい。
遠巻きにして成り行きを見守っていたダリウスとステラも寄ってきて、ナタリアの周りは俄然騒がしくなってくる。
「す、すごい……!これが魔術師……!!」
「やっぱり只者じゃないと思ってたのよね。変な喋り方だし、綺麗すぎるし」
ナタリアにも目立った怪我がないとわかると、ダリウスたちは口々にナタリアを褒め称える。
「ま、魔術師様でしたか、本当に我が子を救って頂き有り難うございます!出来るお礼ならなんでも致します」
「怪我がなくて、なにより。それにしても、あの風は何事なんだ?確かに塔の上は風が強いが、塔そのものがこれほど揺れるなんてただごとじゃないぞ!?」
確かに妙な風だった。空は眩しいくらいの晴天である。雲ひとつ見えない。
帝都の環境は温暖でおだやかな気候が続く。もう少し海に近づけば海風で風も強くなるだろうが、内陸の帝都にはそれもない。
乾季と弱い雨季のようなものはあり、一年のうち一ヶ月ほどは雷雨の月があるのだが、季節外れだ。
塔に詳しい管理人の言ならば信用できると思う。
事故発生未遂に関して責任逃れするために、さも大げさに風に責任転嫁している可能性は否めないが。
ともかく、これ以上観光する気分ではなくなってしまった。一行は管理人も含めて休憩所から地上への階段をゆっくり降りていく。
今度は突風が吹くこともなく、無事に全員が地上に到着できた。
管理人は報告のためか、地上の管理人の小屋へと入っていく。人助けをしたのだから、別段調書のようなものを書くわけでもない。それでも事故が起きかけたのだから彼らはこれから忙しくなるのだろう。
できれば事故のことはあまり広めないでほしい、と管理人はナタリアと親子に頭を下げた。
”声”が聞けば、堂々と事故のもみ消しをはかる態度に驚愕していたかもしれない。
子を救われた親の再三に渡る歓待の申し出を断るので、ナタリアはだいぶ神経をすり減らした。
面倒くさくなって、最後には適当な金銭を要求することで、やっと解放された。潤沢な懐具合ではないけれど、お金が欲しくて助けたわけではない。
そのやりとりの間、空気を読んで向こうの子供と三人で遊んでくれていたダリウスたちには頭が上がらない。
親子に別れを告げ、ダリウスたちと合流する。
「ごめんね。鉄塔に登ってみたいなんて言い出さなければ……」
「その時はあの子供が助かったかは、わからぬ。終わったことじゃよ」
大人との長時間の対話で、外向きの仮面を付けざるを得なかったナタリアは疲れた口調で、ダリウスを慰める。
心身共に疲れきっていた。一日付き合うとは言ったが、どうしたものか。
「ねぇ。お腹空いてなーい?大通りに行ってみるのはどうかしら。何も買わなくても、見ているだけで楽しいものよ?それに小遣いで買えるパン屋を知っているのよ。そこでならお昼も済ませられるわ」
走り回るよりかは、疲れないだろうか。
人混みの凄さをまだ知らないナタリアは、ステラの提案に軽々しく乗っかった。
買い食いに憧れ、頬を紅潮させるステラは言わずもがな。落ち込んでいたダリウスは唯々諾々とナタリアの決定に従った。
新緑薫る鉄塔広場を後にして。雑多な生活臭が漂う大通りまで移動する。歩いているうちにナタリアの気分は快方へと向かっている。疲れていても、楽しいことさえあれば、はしゃげるのは子供の特権だ。
子供だけで訪れる市場は、ナタリアたちの心を踊らせた。
「あ、見て!あの石きれー!宝石かな?」
「いや、あれは魔石じゃな。薬効があるから、すり潰して飲めば病魔を払ってくれるのじゃ」
師父様の手伝いをしている時に見たことがある。水辺にぽつぽつ落ちているものだから、効果は弱いが極めて廉価。見た目が良いので、装飾にも使われているらしい。
魔石でできた安物の首飾りを並べる露店は、よく見ると他にも面白いものが売られている。値段が手頃なので、婦女子に人気がある。今も数人の姦しい女性たちが、商品を品定めしている。
何を買わずとも、品物の感想を言い合うだけで、確かに楽しかった。
ナタリアとステラの会話に、微妙に混れないダリウスをからかうのも楽しい。
気を張り詰めなくてもいい、というのはこれほど心が解放されるものなのか。
ステラオススメの店で買ったパンを買い食いしながら、大通りを歩く。
確かに美味しい。ナタリアが下宿先として世話になっているオデオンの無骨な味わいのものよりも、複雑で深みもある味わいだ。そして何よりも柔らかい。中に空気がたくさん含まれているせいだろう。ふわふわした食感は、城で食べていた食事にも劣らないものだった。
美味しいのだが、何か物足りない。歯応えが、小麦粉に混じる不純物の苦味が。
短い間に、舌がオデオンの作るパンに慣らされてしまったのだろうか。
無邪気にはしゃぎ、楽しそうに様々な店々に視線を動かす二人を見ながら、独言する。
問いかけに答えてくれる存在は、今も眠ったままだ。いなくなることはよくあることだから、心配はしていない。していないのだが、何か、嫌な予感があった。それを根拠のないものだと確認するためにも、彼には返事をしてもらいたかった。
結局。
一日遊び歩いて、彼は一度も顔を出すことはなかった。
あの鉄塔で時間停止じみた能力を使ってから、一度も。




