表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
師父慕う少女、果てに至る物語  作者: 犬山
肉食獣の遠吠え
20/64

19休日1

 

『知識は持っているだけじゃ、意味がねぇ。使わねぇ手はないからな』


 本当に”声”は凄い。純粋にそう思う。

 今となっては比べようのないことだが、師父様の次くらいに賢いのではないか。


 デュアルソロスの数学塾を辞したあとナタリアの姿は魔導研究所にあった。

 

 休暇中なのに熱心なことだ。

 休みは取っているし、あくまでも外部の人間である彼女が律義に休日出勤する必要はない。

 それどころか、幾ら休もうとも文句一つ言われない。上層部に対して成果さえ出せれば、かなり自由な立場である。首輪付きなのが欠点だが、それ以外には非の打ち所がない好待遇だった。


『にしても、数学的概念よりも記号の方が喜ばれるとは意外だったな。微積分とか、線形行列とか頑張って捻り出したんだが、な。まさか小数点とか、分数とか四則演算とか、常識的なものが広まっていないとは』


 異世界の悪魔がもたらした知識だが、意外にもデュアルソロスはその大半を概要だけならば知っていた。

 使う文字や数字、表記法こそ違えど、根底にある思考法は同一のもの。

 極めて先進的な数学概念は、声が期待していたほどには彼に感銘を与えられなかった。

 ところが一転。合理性の粋ともいえる数学記号を見ると、デュアルソロスの目の色が変わった。

 

 学者という人種自体が、碩学院が出来てようやく公式に認められたようなものである。それまでの時代では、知的好奇心の豊富過ぎる探求者は食費を削り、心身を生贄に捧げてようやく研究の時間が取れるという乞食同然の様相だった。

 学者=乞食という等式が成り立つくらいには、経済的な不利益を被っていたのが、この時代の学者である。

 碩学院の登場で、教育者という新しい形の分業化が成され、彼らの社会的地位も向上していくことになる。

 専門化、専業化。それらの近代化は比較的最近に起こった変化である。

 それ以前の乞食のような学者たちにとって、自分たちの知識はまさしく生命線であった。

 魔術師たちが、己の術式を頑なに秘匿し、利益を独占したのと同じこと。学者たちはそれぞれの学派に別れ、”知識の共有”という学問の進歩への貢献を意図的に怠っていた。


 それでも僅かずつ学問は進展を見せていた。けれどそれは、それぞれ別の学派が思い思いの方向に進んで、結果的に進む道が重なったような偶然の結果である。

 記号や思考法といった出発点の共有などは、夢のまた夢だった。


 知識の共有なくしては、いかなる天才性も編み出した記号も世間に広めることなどできはしない。広く使われるということが、共有という言葉そのものと同一の意味を持つからだ。

 製紙業が発展途上だったこともマイナスに働くだろう。

 数々の悪条件が重なり、この世界の記号などの技法、方法論は非常に遅れたものとなっていた。

 

 ”声”の知る異世界の洗練された代数記号などは、デュアルソロスの眼鏡にかなったらしい。根掘り葉掘り聞かれ洗いざらいぶちまけたのは記憶に新しい。


アレ(・・)のことを頼めたのも大きい。あの熱の入りようだ。早いか遅いかはあるにせよ、きっと仕上げてくれるだろうさ』


 ”声”の言葉に首肯する。良心的なデュアルソロスだが己の得意分野となると、ちょっと引いてしまうくらいにのめり込んでしまう。魔道研究所の先輩であるコンラとよく似た性格である。

 数学に関するあの依頼はきっと彼なりにやり遂げてくれることだろう。

 

 ”声”の発案であるそれは、今のところどのように将来の布石になっているかは想像もできない。けれど、彼のことだからきっと必要なことなのだ。そういう確かな信頼がある。

 そしてなによりタダというのが嬉しい。

 当初ナタリアは亜人の数学者に依頼するに当たり、依頼料というか、なんらかの対価を出すつもりだったのだが、優しい巨人はそれを固辞した。

 興味深い課題を教えてくれたのが一番の謝礼だ、と。柔らかな笑顔で言ったのだ。もし彼が亜人でなければ、惚れていたかもしれない。


 ともあれ、依頼も快諾してもらい、当初の目的であった最先端の数学にも触れることが出来た。首尾は上々というところだろう。


 机上の黄金色の正方形の枠を片手で弄びながら、ナタリアは回想を締めくくった。


『さて、じゃあ、そろそろ行くか?』


 まるで湧き水のように”声”の智謀は枯れるということがない。こんこんと湧き出る水のように、次から次へと画期的なアイディアが生み出されて行く。

 

 金枠を掴み、ナタリアは魔道研究所のある有名人のもとへ向かった。

 ”翁”という土小人は地属性の熟達した職人であり、通常の道具や実験器具にとどまらず、制作困難な魔法の道具さえ作ってしまう腕前である。

 彼の工房には休日なんてものはない。常に仕事の予定が詰まっているのだ。


 研究所の地下道を通って、初めて訪れる工房の敷居をくぐる。

 入る者を真っ先に出迎えるは、威圧感たっぷりの巨大な炉。今現在は稼働していないようだが、天井を貫き、なお上方へと伸びるその威容。まるで巨木のように太い幹を持つ。

 元々の農家の壁をぶち抜き、設置されたであろう巨大炉は、柱のように家屋そのものと一体化しているようだ。

 丸く広がる空間の外縁部には戸棚や工具箱がぎゅうぎゅうに詰められている。

 

 そのごちゃごちゃした区域の一角。

 下半分が棚になった大机の前には細い指先で銀細工を作る職人の姿があった。

 一心不乱という言葉が似つかわしいだろう。ナタリアが入ってきたのに、振り返ることもなく黙々と作業に没頭している。

 彼が”翁”。亜人でありながら、研究所内で重要なポジションを占める職人だ。


 邪魔をしないように静かに近付く。持ってきた金枠を、広い机の端の方に邪魔にならないようちょこんと乗せる。


「申請は通っているじゃろうか。加工を依頼したい。魔銀加工で、並大抵の腕では成功せぬものじゃ」


 話し掛けても作業を止めない”翁”は、話しかけても視線をちらりと動かしただけだった。


「……」


 立ち去るようにと、無言のオーラを出している。その強さたるや。まるで<念話>による感情思念波のような具体性を秘めている気さえする。

 しかし、地属性の職人である彼が<念話>を使えるはずがなく、全ては錯覚に過ぎない。


「……確かに頼んだぞ」


 強烈なプレッシャーに耐えうるほどの強心臓を持ち合わせていないナタリアは、逃げるように退散するしかなかった。

 最後に念押ししたのが、彼女なりに健闘したといえる。


『こっちの案件は時間に追われているわけでも無し。デュアルソロスの野郎がうまくやってくれて初めて結実する発明品だ。ま、いつかはやってくれることを祈るばかりだな』


 ナタリアの上司とも言えるコンラが言っていたように、”翁”は常に多くの案件を抱えている。ナタリアの依頼が優先されるような特別な理由が無いのだから、時間がかかるのは仕方のないことだった。


 忙しくなってきた。素直にそう思う。

 幽議会で定められた期限は三ヶ月後。あれから三週間は経っているから、実質的には二ヶ月と少し。<循環盾>を完成させているから、期限なんてもうあってないようなものだ。開発した新術式が既に実用域にある、そのことは軍属のレヴィも保証してくれている。

 知り合いもこの短い期間で随分と増えた。

 師父様の弟子として、城内にこもっていた頃は、レヴィや一部の洗濯婦としか知り合えなかった。非常に狭い人間関係だといえる。

 しかし、今は違う。

 多くの大人に出会い、助けられてナタリアはここにいる。

 その感謝の気持ちは片時も忘れたことはない。







 開発は順風満帆。けれど政治的問題も絡んでいる以上、突発的トラブルはいつ舞い込んでくるか知れたものではない。

 参謀の”声”の助言である。

 

 ならば、今のうちにできることを先に片付けてしまった方がよいのではないか。

 

 翌日のこと。大勢の客の賑わいが階下から聞こえる中、申し訳無さそうに話すレヴィの顔を見つめながら、”声”の助言をなるほどもっともだと思いだしていた。


「――仕方ないじゃろう。そういう建前になっておるのじゃから。幽議会の枠組みの中でルールを守って戦うと決めたのはこちらじゃ。自分勝手にいいとこ取りをするような真似は出来ぬ。従者としての務めは果たそう」


「それは、そうなのですが……。ともかく面倒に付きあわせて申し訳ありません」


 少し懐かしい話になるが、ナタリアの現在の身分はレヴィの従者ということになっている。騎士のあらゆる任務に付き従い、身の回りの世話を行う騎士見習い。田舎の軍出身のレヴィは貴族子弟と違って、身の回りの細々したことを自分自身でこなすことが出来る。従者はいて困るものではないが、いなくても不自由しないものでもあった。

 ナタリアは名目上その地位を預かっているが、従者らしい仕事は何一つしたことがない。

 己の力を誇示するためにも、魔道研究所に通い続ける毎日だった。

 今回の案件は、どうしても従者の帯同が求められるタイプの公的な式典に関する仕事だった。

 レヴィの従者を名乗るならば、最低限こなしておかなければならない責任の一つ。

 術式開発がナタリアの生命線だと理解しているレヴィは、ナタリアの邪魔になるような負担を押し付けることは出来るだけ避けていた。しかしそれにも限度がある。


「レヴィは悪くないじゃろう。それにたった一日のこと。上十二衛紅雀隊長殿の太鼓判を貰った<循環盾>も完成しておる。それほど時間に追われてはおらぬよ」


 確かに面倒なイベントである。しかしそれ以上のものではない。

 時間的な猶予はあるのだし、ナタリアは式典への出席をそれほど嫌がってはいなかった。


「――有難うございます。一週間後に式は開かれるのですが、詳細は今日の晩にでも説明しましょう。特に何か特別な用意が必要というわけでもありません。服装も注目されるわけでもありませんから、適当な正装を用意します。ひどく退屈な行事だと思いますけれど、どうかお願いします。心安らかにしていて下さい」


 それだけ述べると、仕事の時間が迫っていると言い残したレヴィは一礼して退出する。

 その後姿は何かに焦っているようにも見えた。


 オデオンの店から出て行ったレヴィを窓から見送りながら、さて、とナタリアは思案する。


「今の内に出来ることは済ましておくかのぅ」


 野暮用ではあるが、式典の前に済ませておきたい用事があった。

 朝の喧騒をくぐり抜けて、ナタリアは街に繰り出す。

 向かう先は一度だけ訪れたことのある紅雀隊の宿舎である。

 レヴィの重要度が変化した現在では、もっとまともな公的宿舎が充てがわれたので、もうそこに紅雀隊の面々はいない。

 そこにあるのは大勢の人間が宿泊できるだけの規模を持つ平均より高めのグレードの宿だけだった。

 

 着いてみると、軍人たちが去った後の宿屋はそれなりに繁盛しているようだった。

 立地が良いのだろう。店構えが最大限に大きく見える角度で通りに面しているから、通行人の印象にも残りやすく、帝都の各所からたどり着くのも容易だ。

 

 ざっと表通りを往復して様子を観察してから、別の場所へ足を向けた。

 一地域ごとに掘られた生活用水を汲み上げる共同井戸である。

 井戸端会議という言葉があるくらいだから、ナタリアが着いた時も周辺住人五、六人が利用中だった。その中に探していた顔を見つけ、ナタリアは顔を綻ばせた。


「おう。久しぶりじゃな、少年」


「あ!!」


 呼びかけに驚いて顔を上げたのは、紅雀隊が宿舎に徴用していた宿屋の跡取り息子だ。以前案内を頼み、その報酬として一緒に遊ぶ約束をしていた。

 律儀にもナタリアはそのことを覚えていて、忙しさに紛れて忘れてしまう前にその用件を片付けようと考えていたのだ。


「約定を果たしにやってきたぞ。今日、時間はあるかの?」


「あ、あ、あ。で、でも。いやだいじょぶ。大丈夫ですっ!」


「その娘だれよ」


 井戸の周辺にいたのは年配の女性三人と遊び半分、手伝い半分の子どもたち。こどもたちの間で宿屋の息子は一緒になって遊んでいたようだ。

 少年の表情には喜び混じりの素直な驚きがあったが、彼の隣でままごとをしている最中だった少女の顔は苦虫を噛み潰したように不機嫌そのものだった。

 右耳に結わえた髪を垂れ下げた少女は、荒々しく立ち上がった。

 立ち上がりながら少年の服の裾を片手で掴み、近くに引き寄せる。

 

「あ、えと。ごめん」


 少女の咎めるような声色におそれをなした少年は、訳もわからず頭を下げる。それが更に事態を悪化させるとも知らずに。


「何謝ってんのよ。私は名前を聞いただけでしょう?何かやましいことでもあるの?悪いことしたと思っているからごめんなさいしたんでしょう?」


 裾がかなり強めに引っ張られた。少年は真っ直ぐ立っていられずに、僅かよろめく。

 その拍子に彼の立ち位置は自然にナタリアから離れ、少女のすぐ横に移動してしまう。


「馬鹿でごめんなさいね。こいつに何か用があるんでしょう?」


 至近で少年の顔を指差し、少女は不敵に笑った。

 ナタリアにもこの状況がどういうものか位は分かる。理解は出来るのだが、面倒なことに巻き込まれたという溜息しか出なかった。変な誤解をされて、しかも挑発までされている。甚だ不本意な状況だと言わざるをえない。

 ただ受けた恩を返そうと思っただけなのに。

 

 不甲斐ない少年はおろおろするだけ。離れて見ている大人たちも口出しするつもりはないようだ。いっそ面白がっている節さえある。


「遊びの邪魔をしたのは詫びよう。しかし、わしはその少年の都合を聞いたのじゃ」


 睨んでくる少女の目つきが一層険しくなった。


「あらそう?ねぇダリウス、知ってる娘なの?」


 彼女は少年の服の袖を更に引っ張り、囁くように少年の耳元に口を近づける。


「あ、うん。ちょっとね」


 何がちょっとなのかは皆目だが、ダリウス少年はその説明で十分だと思っているらしい。

 少女の拘束を振り解こうと必死にもがいている。根本的に力では少女が優っているのだろう。暴れれば暴れるほど、ますます強く締め付けられ抜け出せなくなってゆく。


「は、離してよ。前から約束してたんだ!」


「それはもう聞いたわ。私が聞きたいのはこいつが誰なのかってことよ?」


 苦しそうにする少年を見兼ねて口を出すことにする。その際には演出として日属性魔術で光を灯す。

 井戸のある広場は周囲の建物が影になっていて、日中でも暗かった。おかげで魔術の演出が活きる。


「待て待て、そう乱暴にするでない」



 ありきたりな諌める言葉よりも、突然の魔術の光はインパクトがあった。

 ナタリアが魔術師であることを知るダリウス少年はともかく、サイドポニーの少女や大人たちは目を丸くしている。


「不満に思う気持ちはよくわかる。わしはこの少年と一日付き合う約束をしておる。以前世話になってな、些細な礼というわけじゃ。お主も一緒に来るか?軽い魔術なら迷惑料代わりに見せてやれるぞ?」


 説得力はかなりのものだった。先制して繰り出した魔術が効いている。普通の子供には扱えず憧れるものだから、自然と少女の敵意も薄れる。


「さあさ、行こうぞ」


 敢えて親しさを装って少女の手を引いた。脱力していたのか存外抵抗もなく簡単に引っ張ることができた。

 一人を引っ張れば、彼女が掴んでいた少年も一緒に引きずられることになる。

 微笑ましく見守る大人たちの視線を背中に受け、ナタリアたちは街に繰り出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ