一座
道踏みしめる音、駕籠業者の勇ましい掛け声、商人の調子のよい呼び声。
寒い寒いと手を摺合せ急ぎ足で過ぎ行く女人。昼間から体を温めようと杯を酌み交わす男性。
秋を過ぎて冬となりました。いよいよ冷え込む季節。
「だぁ」
背中のぬくもりが動いた。どうやら風があたって寒かったか。それとも保護者が離れていることに気づいたのでしょうか。
むずかり泣く前に何度か体をゆすってなだめてみます。
「はいはい、もーすぐ、御迎えが来られますからねぇ」
往来の真ん中で泣けば視線を集めてはかないません。今いる茶店でもいい顔はされないでしょう。拙い子守唄を口ずさめば余計に上がる悲鳴。
うぅ、歌は苦手です。手足をバタバタさせて今にも落ちそうです。
負ぶい紐を外して床几台の上に。
床几台、茶店にある腰掛け台です。数人座れるくらいの広さはあります。
近くに大傘も差されているのですが今の季節日陰より日向の方が良いです。寒いです、とりあえず。
「わ、ちょ、すとーっぷ、そんなところに」
傘に突進していく赤子。そういえば最近やっとはいはいできたって、言っていたような。慌てて赤子を止めようと前のめりに。
そんでもって、自分の勢いが良すぎまして。
ごん
「い…ったぁ」
傘の柄に、額が激突。私、撃沈。星が飛ぶって、このことですか。
「何をしておる」
涼やかな声が降ってきました。
緑がかった茶色を地とした格子柄の小袖に、ゆるく結われた黒髪。
柳眉をひそめた小柄な女人さん。
紅の狩衣の印象が強すぎて、始めは分かりませんでした。
「朱華さん。用事は済まれましたか」
別人に見えます。朱華さんはさらに眉を上げて盛大にため息を吐き、赤子を抱き上げました。
「いきなり有無を言わせず赤子を押し付けてそれは無いんじゃあないですか、朱華さん」
思わず口を尖らせてしまう。おっと、私の歳でそんなことをすれば気色悪いだけです。自重自重。
「というか、この子どちら様です?」
「そ奴は頼まれ事よ。働いている間預かっておる」
朱華さんと赤子が目を合わせました。何かを察したのか、わたわたと赤子が手足を動かします。ですが、朱華さんは腕全体で赤子の体を支える姿勢で揺るぎません。
あれ、何だか慣れてます?
「いつも、ですか?」
「たまに、よ。割とよい小遣い稼ぎじゃが」
そういえば、お二人が普段何をされているのか全く知りませんでした。
というか、そんな話をする状況じゃありませんでしたねぇ。ばたばたして。
思えば昼間の街でこうしてのんびり過ごすのって久々。
あれ、むしろ初めて??私随分と引き籠った生活していましたねぇ。
マンガみたいにキノコ生えたらどうしましょう。
「柏木さんは?」
「しばらくの後に来よう。私だけ先に戻ったにすぎぬ。…む」
町の遠くから、殷々(インイン)と低い金属音が響きました。
始めに三回、少し間を置いて八回。時鐘の音です。
「昼八つぞ。時間じゃ」
おやつの時間、とはなりませんよねぇ。残念です。
◇ ◇ ◇
朱華さんに連れられ、いくつも辻を超えた向こう。
大きな屋敷が立ち並ぶ一角にて、人だかりがありました。
目に鮮やかな多色様々の衣装に道具、集まる人々も様々。
人に見られるための格好。どうやら、芸人の一座みたいです。
引き上げる途中なのか、片づけをあわただしくしていました。
朱華さんはそのままずんずんと歩みを進み、若い少年を捕まえました。
首根っこをむんずと掴んで。
「土岐、頭はどこぞ」
「うぐぇ!お、おはね」
何ともいえない音が少年の喉から。
おはね…朱華さんの呼び名みたいですねぇ。
「早う答えぬか。頭はどこぞ」
もがく少年。朱華さん、力を弱める様子一切なし。
私、どうするべきでしょう。とりあえず、合掌、ですかね?
「って、止めろよそこの奴!」
ぜーはー、と肩で息をする少年。若いですねぇ。
あれ、私っていくつでしたっけ。
「自力で脱出。お見事です」
「褒められても嬉しくねぇ!」
「のり突込み、さすがです」
「何がだ!おはねも毎度毎度不意打つんじゃねぇよ」
「ほぅ。そんな口を効くは此れかえ?え?」
「-!!」
声にならぬ悲鳴。両頬を摘ままれた少年。痛そうです。
そして朱華さん、楽しそうです。満面の笑みです。逆に怖いです。
恐ろしいです。
「何ぞ?」
「いいえ何も、これっぽっちも」
じろりと見られまして、咄嗟に返すのはひたすら笑み笑み笑み。
騒いでいたら人目を集めていた様子。周りからまたかという呆れた感じが。
「何の騒ぎでぇ。門の前だぞ」
急に野太い声が降ってきた。見上げれば熊…げふんげふん。
逞しい体格の男性がいました。
「頭。時間ぞ」
「急に来て何だ。今日の分は仕舞いだぜ」
「なんじゃ、聞いておらぬのか。
口利きよ。三絃の腕を探しておったろう」
「ぁあ゛?」
太い眉が跳ねあがり眉間の辺りに谷のような皺。
怖い。まじで怖いです。その凶悪面。
「ぶー」
「ほぉら。お鈴もむくれておる」
「なんでお鈴がいる」
どうやら、赤子の知り合いのようで。もしや父親?
今は朱華さんの腕中で眠ってます。
「仕事しまいじゃ、構わぬであろう。」
「確かにそうだが…その娘子か」
いきなり話ふられまして私、ただ瞬きすることしかできません。
「うちに入りたいだって?」
「あ、はい」
何時の間にそんな話になったのでしょう。
朱華さんを見れば凍て付きそうな視線で話を合わせろと。
どんな無茶ぶりですか。
「名は」
「あい、と言います」
「随分ほそっけいなぁ。なんでぃ、この棒切れは」
丸太のような剛腕にぐい、と引っ張りあげられました。
情けない声が出そうになって押し込みます。
「とにかく、半端な覚悟で来てもらっちゃ困んだよ」
眼前に迫る悪人面。泣きそうです。泣きたいです。
でも、泣けません。
「何を、すればよろしいですか」
「弾け。そのために来たんだろうが」
「頭、娘さんに乱暴したらまたおゆう姐にどやされます!」
「勘違いされるような言い方すんじゃねぇよ土岐!」
上がる笑い声。その間に私は腕を放されました。
ある程度手加減はされていたのでしょう。そう、思いたいです。
「曲目は」
「良い。適当に弾け」
「適当に、て」
それはとっても分かりにくい注文です。
地面に半畳の敷物が残っていたのでそちらに座ります。
三味線を抱え、調弦のために一、二、三の糸と弾いてく。
べん、べべん、と調子を確かめていると、朱華さんが近づいてきました。
「妙なことはするでないぞ」
そんなことを言われましても、と苦笑い。
私は常にただ、全力で糸を打ち鳴らすだけです。