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第五話 裏 渡り人の軌跡 前


 川沿いに立ち並ぶ露店の屋根が、日の光を照り返している。思い思いの色で塗られたそれを見下ろすと、モザイクのように見えた。


 ゴンド温泉郷の中でも高台の、そのまた小山の頂上に位置するコハクの家から市街地へ向かうとその全貌が明らかになる。

 北側に(そび)える山に沿うように旅館のような木造の建物が並び、白い湯気を空に(くゆ)らせている。

 そこから流れる川を中心に住宅地、商業区画と下流に向けて広がっているようだ。

 今日はまず旅の支度を整えるため、市場に向かうことになっている。

 

 無数の露店に色とりどりの野菜や魚、肉や果物に乾物や瓶詰めに至るまであらゆる食材が並び、別の区画には鉱石や宝石、工具や調理器具などを扱う店が軒を連ねている。

 行き交う人々はこの町の住人が殆どのようだったが、一部明らかに身なりが良い者がいてあれはきっと観光客なのだろう。

 

「すごい活気だな。いつもこうなのか?」

 人波を掻き分けながら先導するコハクの背中に、少し声を張って尋ねる。

「お祭りがあったから、外の人はいつもより多いかも」

 

 非日常の象徴である祭りの夜に対し、これがこの町の本来の賑わいであると言える。


 景真にとって、目に入るもの全てが異世界の洗礼だった。

 蛙のような脚が四本生えた白銀の魚に、紫色の大根、バナナのような房状に生る真っ赤な果物など、どれを取っても味の想像すらつかない。

 今にして思えば、空腹に任せてネビュラの物を平気で口にしていたが、本当にオービスの人間が口にしても大丈夫なものだろうか。

 過去のワタリビト達が天寿を(まっと)うできていたのなら良いのだが、なんにせよ食わない事には生きられないのだから四の五の言っても仕方あるまい。

 なんでも喰らい、血肉に変える。そう腹を括らなければ生きられない。


 まずは昼時という事もあり、川の下流側にある屋台が並ぶ区画にやって来た。

 漂うスパイスの香りの中に、甘辛いタレのような匂いが混じる。その匂いに故郷の味を思い出し、胃袋が条件反射的に鳴き声を上げた。

 その発生源は、タレをたっぷり纏わせ三十センチはあろうかという串にぎっちり刺され、こんがりと焼かれた肉だった。

 じっと肉を見ている景真にコハクが気づく。

「ホルホ鳥のタレ焼きだね。これにする?」

 ホルホ鳥、今朝の目玉焼きもその鳥の卵だったはずだ。鶏のような生き物なのだろうか。

「この料理は昔ワタリビトが作ったんだよ。きっとケーマの口に合うと思う。甘辛くて美味しい」

 道理で遺伝子に直接呼びかけるような匂いがするはずだ。

 こうして異世界で日本の名残りを感じられるのは素直に嬉しかったし、早くも故郷の味が恋しくなっている自分に気づき、少し情けなくも思う。


 コハクが会計を済ませて受け取った串を一本、景真に寄越す。

 焼きたての串は湯気を立て、そこに乗った香りが食欲を刺激する。

 先に一口かじったコハクに倣って景真も串にかぶりつく。

 

 炭火で焦げ目のついた甘めのタレはいわゆる焼き鳥のそれにそっくりだが、その奥に複雑なスパイスの香りが潜んでおりどこかエスニックな風情を感じさせる。

 肉は食べ慣れた鶏肉に比べるとやや硬いものの、噛めば噛むほどに旨味が感じられた。

「これで米があれば完璧なんだがなぁ」

 舌鼓を打ちながら思わずぼやくと、コハクが不思議そうに尋ねてくる。

「コメ?」

「ああ、オービスの主食の一つでこれくらいの白い穀物を水で炊いて食べるんだが、こういう甘辛い料理が良く合うんだ」

 親指と人差し指で五ミリほどの隙間を作って見せると、コハクは合点がいった顔をする。

「コルパみたいなのの事だね」

 そう言うと景真に手招きをし、別の屋台へと向かっていく。

 そこでは筋骨隆々の大男が鉄板で何かを炒めていた。周囲には油の匂いが漂っている。

「お、食べてくかい?」

 どしりと低いが、愛想の良い声で聞いてくる。

「一つください」

 コハクが答えると、厚紙でできた箱に手際よく炒めていた物を詰め、簡易な箸のようなものを付けて差し出す。

 代金を支払ったコハクが箱を景真に手渡してきた。

「コルパの炒め物。私の知ってるワタリビトはよくコルパを食べてた」

 蓋のない箱を覗き込むと、それは炒飯によく似た料理だった。

 コルパはいわゆる長粒種の米に良く似た穀物で、それを肉や香味野菜、卵と一緒に炒められ油を纏ってギラギラと輝いている。

 箸で口に運ぶとやはりその味わいは炒飯に近いが、食べ慣れたそれに比べるとやや素朴な味わいだった。

「美味いな、これも」

 確かに美味いのだが、パラパラに炒まったそれを箸で食べるのは困難極まる。

「……けど、串と一緒に食べるにはちょっと味が濃いな」

 白米のありがたみを感じながら、コルパをコハクと分けて食べ切った。


 腹ごしらえが終わった後は、露店を回りつつ旅に必要な物を買い込んでいった。

 保存食、代えの履き物、脂の詰まった瓶などをコハクは次々と買っていく。

 その迷いのなさは、彼女がかなり旅慣れしていることを窺わせる。勝手の分からない景真はひたすらコハクに追従し、増えていく荷物を運ぶ任を負った。


 買い物が終わったのは町が茜色に染まり始めてからだった。

 昼間と比べ人通りも減り、露店もほとんどが店じまいを始めている。

 コハクの指示で空にして背負って来たバックパックは、戦利品で満たされてずしりと重たい。

「一通り買えたから、そろそろ帰ろうか。お疲れ様」

 コハクの言葉に安堵の息が漏れ、コハクがクスクスと笑う。


 夕焼けの中コハクと肩を並べての帰り道、市場の終わり際にぽつんとまだ開いている露店を見つける。

 装飾品を扱っているようだが、店先に並ぶ商品のモチーフは景真が見慣れたものだった。

「十字架……ロザリオか」

 金属で象られたそれは、カトリック教で用いられるロザリオと酷似していた。

 しかし、祭りの際にも十字架が飾られている所は見ていない。ならば、信仰の対象というわけではないのだろうか。

「コハク、これはネビュラでは宗教的な意味があるのか?」

 コハクは首を横に振る。

「これは昔、ワタリビトが作ったの。四百年くらい前」

 なるほど。それなら宗教的な意味を持たず、同じ意匠で今に伝わっていても何も不思議はない。

 だが、その後に続くコハクの言葉は、景真の心を大きく揺さぶった。

「そのワタリビトの名前は、アカシ・ジュスト」


 ――それは、昔祖父から聞かされた遠い祖先の名だった。


 中学生の頃だったか、祖父の話で興味を持って調べたことがあった。

 

 明石全登(てるずみ)の名で知られる戦国武将だ。

 いわゆるキリシタン大名でジュストはその洗礼名だったはずだ。

 大坂冬の陣に豊臣方として参戦したが、その戦いの中で行方不明になったと伝わっているが、それがまさかこのネビュラに転移していたとは。


 景真を見つめる琥珀色の瞳が、夕陽を映して強く輝いている。


 初めて名乗った時、その名前にコハクが反応した気がしたのは全登との関係に思い当たったからか。

 そして、それが四百年ほど前ならば、やはりネビュラと地球の時間経過は同期していると言えるのだろうか。

 

「……それは多分、俺のご先祖だ」

 自分でも、声が震えているのが分かる。

 明石全登がかつてこの世界に転移して来たのならば、その子孫である自分がここに跳ばされたのもまた何かの因果だとでもいうのか。

「そっか。――優しいひとだったよ。私はまだ小さかったけど、よく覚えてる」

 そう言って、襟首からロザリオを取り出す。

「これは、ジュストが着けてたのをもらったの。お父さんが」

 小さな十字架を見つめるコハクの瞳が、遠い記憶を覗き込むように細められる。

 

 景真にとっての「遠い祖先の記録」が、コハクにとっては「幼き日の記憶」なのだ。

 そう思うと、ついさっきまであんなに近くに感じていたコハクが、隔絶した遥か彼方の存在に思えた。

 

 彼女はその琥珀色の瞳で、どれほどの人たちを見送ってきたのだろうか。


 涼しげな声で鳴く虫の声に耳を傾けながら、コハクの家へ繋がる石段を登る。

 

 同じ時を過ごせても、同じ時を生きられはしない。

 二人は今は肩を並べて同じ、けれども違う痛みを抱いて一歩ずつ、登っていく。


 


 

 

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