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第三話 裏 祭りの夜


 ――これは夢だ。

 幼い頃、両親に連れられて行った縁日。

 りんご飴の甘酸っぱい匂い。かき氷の冷たさ。

 祭囃子が神社の境内を満たしている。

 夜空に大輪の花が咲き、

 ――一拍置いて、腹に響く轟音が鳴る。


 ふと、辺りを見回すと両親の姿がない。

 その姿を求めて、必死に探し回り――



 遠く祭囃子が聞こえる。

 聴き知ったそれとは少し違うが、自然とそう思えた。

 控えめに扉がノックされ、体を起こす。

 窓の外はすっかり暗くなっているようだ。

「どうぞ」

 そう応えると、コハクが小さく戸を開きするりと部屋に入ってきた。

「身体の調子はどう?」

 伸びをしてみる。体が軽く感じる。

 どこでも眠れるのは景真の特技だ。きっとこの異世界でも役に立つスキルだろう。

「いい感じだ」

「良かった。お腹空いてない?」

 そう尋ねる声に安堵の色が混じる。

 思えば、こっちに来てから水しか口にしてない。

「……ペコペコだ」

 腹に手を当ててそう答えるとコハクがクスクスと笑う。

「じゃあ行こう。今日はお祭りだから」

「お祭り?」

 外から聞こえてきたのは、本当に祭囃子だったようだ。これもワタリビトが残したものなのだろうか。

「今日はアニマに還った人たちが年に一度、帰って来る日だから」

 お盆みたいなものか、などと考えながらコハクの後について家を出ると、祭囃子がその輪郭を濃くする。


 コハクの家に繋がる階段を下っていると、木々の切れ目から町並みが見える。

 至る所に飾られた提灯に浮かび上がる景色は、やはり景真の見知ったそれとは少し違っていて、そのズレが胸の奥に小さなわだかまりを残す。


 大通りは先ほどよりもさらに多くの人でごった返していた。道ゆく人々の笑い声が溢れ、そこかしこから聴きなれない楽器の音が響く。

 道の両脇には屋台が立ち並んでいて威勢の良い声が飛び交い、屋台から漂う匂いが空きっ腹を刺激する。

 そこかしこに置かれた装飾は、夏祭りとハロウィンをごちゃ混ぜにしたような雰囲気だった。

 

「何が食べたい?」

 コハクがこちらを振り返り尋ねる。

「ん? ……何があるのか分からないな」

 屋台の看板やメニュー表に書かれた見たことのない文字もなぜか読む事ができたが、それがどんな食べ物なのかまでは分からない。

「そっか、そうだね」

 微かに後悔を滲ませるコハクに、気を遣わせまいとすぐに返す。

「コハクのオススメは?」

「それなら、こっち」

 パッと目を輝かせたコハクに手を引かれるまま辿り着いたのは、食堂らしき店舗の前に設置された屋台だった。

 

「女将さん」

「コハクちゃん、帰って来てたのかい!」

 コハクが声をかけると恰幅のいい、エプロンを着けた女性が屋台の向こう側から大きな声で応える。

 その声量をものともせず、コハクは静かに首肯で応える。

「公都はどうだった? 何か手掛かりはあったかい」

 その問いには首を横に振る。偶然か必然か、この辺りのジェスチャーが意味するところは同じらしい。

「そうか、そいつは残念だねぇ……ところで、祭りの夜にわざわざうちに来たって事は目当てアレだろ? 今日も”アオ”かい?」

「アオを、二つ」

 コハクが右手でピースを作る。

「あいよ、二つで銅貨四枚のとこだけど、三枚にまけとくよ。すぐ炙るからちょっと待ってな」

 皮袋から銅貨を取り出すコハクを何とは無しに眺めていると、女将と呼ばれた女性がこちらを見ている事に気づく。

「こっちの兄さんは、ひょっとして()()()()()かい?」

 突然こちらに回ってきたボールに戸惑う。隠すべき事なのだろうか?

「うん。ケーマ」

 コハクが銅貨を手渡しながら代わりに答える。その思いの外、軽いやり取りに肩透かしを食らう。

「へぇ、久しぶりだねぇ。ここじゃミチヨさん以来かね」

 ミチヨさん、というのがワタリビトなら今はもう亡くなった、ということだろうか。それともどこかへ移り住んだのか、あるいは元いた世界に帰れたのだろうか。

 それならどうか帰れてたらいい、と祈りのように思う。

 そう思う一方で、ミチヨさんのその後を尋ねる勇気は持てなかった。

 

「はいよ、ゴンドアオオオトカゲの丸干し炭火焼きね」

 女将が差し出したのは魚のように開いて串を打たれた尻尾を含まずとも三十センチはあろうかという、二本のトカゲの丸焼きだった。

 コハクはそれをキラキラした目で受け取ると、一本をこちらに差し出す。

「行こう、あっちにテーブルがあるから」

 待ちきれないといった様子で景真の手を引き、見送る女将にトカゲを振り返しながらテーブルへ向かう。


 椅子が十ほど備え付けられた大きなテーブルの隅っこに陣取ると、コハクは何かを思い出したかのように串を景真に預けると「ちょっと待ってて」と言い残してどこかへ行ってしまった。

 

 手に持った串をしげしげと眺める。

 見た目は巨大なトカゲの木乃伊(ミイラ)としか形容できないが、意外にも香ばしい匂いと炙られて浮き出した脂に食欲をくすぐられる。

 

 大人しく待っているとコハクが大きな樽ジョッキを二つ抱えて戻ってきた。一つを景真の前に置くとその隣に腰掛ける。

 ジョッキを覗くと臙脂色(えんじいろ)の液体が並々と満たしている。

 よく見ると微かに発泡しており、泡が弾けるたびに甘く酸っぱい香りが漂う。

「これはウィーネ。マスケの実で作った果実酒」

「果実酒か、酒飲んで大丈夫なのか?」

 そこまで口にして、アルコールの年齢制限なんて「異世界の常識」を持ち込んだ事を恥じる。

 コハクは少しむっとする。

「私はもう四百歳超えてる。子供じゃないから」

 ――景真は驚愕する。

 コハクが冗談を言っている風でもない。

 彼女の落ち着いた物腰や立ち振る舞いから、外見通りの年齢ではないのではないかと推測はしていたが、それは予想の遥か上をいく答えだった。

「ごめん。子供扱いするつもりはなかったんだ」

 本心だった。

 コハクは自分を救ってくれた。

 命を救い、居場所をくれ、道を示してくれた彼女にある種、崇拝のような念を抱いてすらいる。

 この恩は必ず返さなければならないとも。

 

「ううん、私が言わなかっただけだから」

 そう言ってかぶりを振るコハクにジョッキを掲げて見せる。

 コハクは小首を傾げて差し出されたジョッキを見つめている。

「オービスじゃこうやるんだ」

 おずおずとコハクが掲げたジョッキに、自らのジョッキをぶつける。


 ジョッキに口をつけると、赤ワインに似た渋みと仄かな甘み、果物の香りが炭酸に弾ける。アルコールはさほど強くはなさそうだ。

 続いてトカゲの丸焼きだが、やはりかぶりつくには躊躇する見た目をしている。

 美味そうに齧りつくコハクを見習って恐る恐るその脇腹に歯を立てると、じゅわっとした脂とともに魚と鶏肉の中間のような風味が広がる。干した事で旨味が凝縮されており、適度な塩気も相まって白米が恋しくなった。

 噛み締めると口の中に臭みが広がりかけるが、強めに効かせたスパイスが押さえ込み、それがむしろ奥深い味わいを作り出しているようだ。

「これ、美味いな」

 空腹に任せて夢中で食べながら言うと、コハクが得意げに応える。

「女将の焼く”アオ”とウィーネの組み合わせはゴンド(イチ)だから」

「……そういえば”アオ”ってのはゴンドアオオオトカゲのアオだよな? 他にも同じようなのがいるのか?」

「ゴンドクロオオトカゲがいる。クロはアオより大きいけど大味で肉が硬い」

 どうやら食べ物へのこだわりが強そうだ。

「他にもゴンドのオススメグルメはあるのか?」

「それなら――」


 祭りの夜は賑やかに更けていく。


 その後も何件か屋台を回ったが、見た目でも味でも”アオ”のインパクトを超えるものはなかった。

 ふと周りを見渡すと、大通りから町の中央部に向けて人が流れているのに気づく。

「私たちも行こう」

 コハクに促され、人の流れに乗る。

 

 しばらく歩き、人の流れの終端に到着する。

 町の中央を流れる川は、温泉が混ざっているためか薄く湯気を立てている。

 土手になっており、皆その下の河川敷を目指しているようだ。

 河川敷に降りると半被(はっぴ)のようなものを羽織った人々が、森で見た薄桃色の葉を人々に配っている。

 促されるままにそれを受け取ると、そのまま川辺に進む。

「これを、こうするの」

 コハクがそう言って、薄桃色の葉で笹舟のようなものを作る。

 水面に目をやると、川上からは無数の薄桃色が流れてきていた。

「帰ってきた人たちのアニマを舟に乗せて見送る、儀式」

 ならばあの薄桃色の一つ一つに、今はもういない人たちへの祈りが込められているのだろうか。

 

 景真もコハクを真似て舟を編む。

 二人して川辺にしゃがみ込むと、それをそっと川に流す。

 

 二隻の舟はゆったりとした流れに乗ると、無数の舟の群れに溶け込んでいく。

 二人はそれを、言葉を交わすこともなく眺めていた。

 


 河川敷を離れ、コハクについて歩くと一軒家ほどの広場に(しず)かに佇む祠へと辿り着く。

 祭りの喧騒も熱も遠ざかり四方に立てられた松明が祠を照らし、四本の影を十字に伸ばしている。

 

「ここに、ワタリビトが祀られてる」

「ワタリビトだけ?」

 コハクが小さく頷く。

「ワタリビトには、アニマがないから」

 アニマがない。

 それはつまり、ネビュラにおいて()()()()()()()()()という事か。

 

 景真は魂や死後の世界などというものを信じてはいない。

 ただ、この世界の理から外れたまま生き、死してなお帰るべき場所すら与えられないという、その孤独と寂寥をこの祠は背負っているように思えて胸が強く締め付けられる。

 そして、景真にとってそれは決して他人事ではないのだ。

 

 コハクは左手を開き人差し指だけを折る形で胸の前に小さく掲げ、目を閉じて祈りを捧げている。

 河川敷でも多く見かけたこれは、この世界における祈りの所作なのだろうか。

 

「でも、ケーマからはアニマを感じる」

 祈りを終えたコハクが、静かに景真を見つめている。

 

 琥珀色の瞳に松明の炎が揺れる。

 何もかもを、景真自身すら知らないその根源まで見透かされそうな瞳だった。

 

「――そろそろ帰ろうか」

 そう言って踵を返すコハクの後を追う。


 祭りの夜が、徐々に静寂に飲まれていく。

 

 

 

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