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第二話 表 異界との遭遇 中



 太陽はさらに傾き、石の階段に木々の葉を透過した茜が差す。


 少女は一言も発さず、一寸の迷いもない足取りで遼の前を行く。

 ひぐらしの声もここにはもう届かない。

 逆光の中浮かぶその華奢な背中は、幽世(かくりよ)への道標だ。

 

「なぜ、私の名を?」

 その背に問いかけるが返答はない。

 

 遼は確信する。

 この村に来るべきだと、来なければならないと直感した――いや、直感させた”なにものか”がこの先にいると。


 非合理的な思考であるという自覚はある。

 だが今この時、この神域こそが『真理は不合理の先にこそある』と雄弁に物語っている。


「こちらです」

 少女が立ち止まり、こちらを振り向く。

 黒髪が神秘に揺れ、夢と(うつつ)の境界が揺らぐ。

 その隣まで登り、白く繊細な手が指し示す先を見る。

 

 ――悠久の時を湛えながら、静止したかのようにも思える。

 ……神の(やしろ)が夕陽に浮かび上がっていた。


 ザリ。

 社の周りに敷き詰められた砂利石を慎重に踏み締める。

 

 何処からともなく漂う花のような甘い香りが鼻腔をくすぐり、幼い頃の記憶と結びつきかけては泡沫(うたかた)と消えていく。

 それは一歩進むたび浮かんでは消え、浮かんではまた消える。

 伸長された時の流れが過去と現在の境目を侵食する。

 

 その最後に浮かんだのは知らないはずの、いや、知っていたはずの母の顔だった。

 (いつく)しむように、生まれたばかりの遼を抱く母の姿もまた、泡沫に溶けていく。


 ツン、と鼻の奥が痛み胸の奥に小さな、しかし確かなわだかまりを残す。


 ――木製の質素な引き戸の前に立つと、半歩後ろをついて来ていた少女が前に出て音も立てずに開く。


 目線の先、床の間のように一段高く造られたそこに座っていたのは”人の形を成した非現実”そのものだった。

 

 全てを見透かすようにこちらを真っ直ぐ見つめる瞳は深緑の光を湛えている。

 少女と同じく巫女装束に身を包み、その頭には狐を思わせる大きな耳。背後には長い毛をふさふさと蓄えた尻尾が見える。

 彼女の纏う空気が、異質な存在感が、それが仮装などではない事を物語る。


「ヒスイ様。遼様をお連れしました」

(あかり)、ご苦労様。楽にしていてちょうだい。遼様もおかけ下さい」

 正面に据えられた座布団を指す。

 空気を伝う事なく頭に直接響くような声が心地よく意識に浸透する。

 座布団の上に正座し、湧いた疑問を口にする。

「ヒスイ様? ウカさまではなく?」

「ウカノミタマノカミ、というのはここの人たちがわたしにくれた名です。ヒスイというのが、わたしの真名。今はもう、この子しか知らないけれど」

 少し寂しげに微笑んでから、燈と呼ばれた少女の方を見る。部屋の隅で正座していた燈はどこか照れくさそうに人差し指で頬をかく。

「ではヒスイ様、なぜ私をここへ?」

「ヒスイ、とお呼び下さい。私が神であるのはこの村にとってだけ……それが現世(うつしよ)(ことわり)です」

 すっ、と長いまつ毛が伏せられる。

「貴方をこの社、この村に招いたのはわたしが故郷に帰るための鍵になる――その未来を視たからです。」

 

 ――未来を視る? “故郷”に帰るとは?

「あなたは未来が視えるのですか?」

 普段なら馬鹿げた話と一蹴するところだが彼女達は今日、この時に一ノ瀬遼という男がこの村に来るのを間違いなく()()()()()のだ。

「ええ」

 ヒスイは端的に答える。

「でもまずは、わたしが何処からやってきたのかを話さなければなりませんね」


 ヒスイは、遠くを視るように、過去を懐かしむように、愛おしむように――そして、悔いるように言葉を紡ぐ。

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