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あなたが世界を愛さずとも  作者: 甘
ヒサキについて
43/43

始まり




ロンドンの朝は冷える。


厚手のコートとマフラー、もこもこ素材の手袋も忘れずに我が身を包んだ。はあ、と試しに吹かせた息が、白雪のようにたゆたう。


年末の忙しない空気に紛れながら、朝市を歩いていく。果物とパンを大量に買いこむと、おばちゃんに景気よくハーブをおまけしてもらった。




「ありがと、おばちゃん。今日はハーブティーにしてみるよ」


「いいんだよ。アタシも年明けの舞台、楽しみにしてんだから!」


「観に来てくれるんだ?」


「あったりまえじゃないか。ここいらじゃ、名の知れた古参だよ?」




それはそれは頼もしい。親愛なる気持ちをありのまま伝えると、太っ腹なおばちゃんは胸を張り、ぽんと叩く。


おばちゃんがいるのといないのとでは、舞台の盛り上がりが段違い。ファンはファンでも、古参はやっぱりひと味ちがう。


年期の入った応援には、果実以上のビタミンが注入されていて、寒さも吹っ飛んでしまう。だから風邪を引くことなく、健やかに働けているんだろう。




「――あ、いたいた」




流暢な英会話に、耳馴染みのいい日本語が割って入ってきた。駆け寄ってきた長身の青年に、おばちゃんの声色が急激に若返る。




「り、リッカ・ハルイエじゃないか……!」


「あ、あは……。どうも。おはようございます」


「こんなに間近で見たのははじめてだよ……。顔ちっちゃ、背たっか、腰ほっそ……。んん……美しい……」




典型的なオタクの反応に、青年は英語に切りかえつつも苦笑をこぼした。肘でつつくと、青年はようやっとファンサービスを送る。飛ばしたウインクは下手くそにもほどがあったが、それはそれで需要がある。


ほら見ろ。ズッキュンン! と、おばちゃんのハートにドストライク。流れ弾に引っかかった熟女層が1人、2人、……おっ、3人も。こりゃあチケットの売れ高が期待できるぞ。



オタクホイホイとして知られる、かの青年。うちの劇団『810s(ハートたち)』の、看板役者の一人。


晴家 六鹿(ハルイエ リッカ)


八頭身のビジュアルを持つ、生粋のイケメンである。黒目黒髪、純日本人としての顔立ちは、子犬のように愛らしい。劇団最年少ゆえの謙虚な姿勢、素直なリアクションも、ロンドンの女性に人気がある。どこの国でも、紳士なイケメンは庇護されるものだ。


当然ながら芝居もうまい。荒削りだが、観客の共感力をごく自然に誘ってくる。そのうえ、声もいい。低すぎない甘めなトーンは、アルファー波を発する。疲れがたまっている人ほど、ハマりやすい。




「今度の舞台も、リッカが主役なんだろ?」


「そうだよ。姫を守る騎士の役。かっこよく仕上がってるよ」


「ちょっと! ハードル上げないでくれよ〜……」




おばちゃんに耳打ちしたが、聞こえてしまったらしい。ごめんごめん、と軽く謝ると、六鹿は眉尻をぺたりと下げた。そういうところが子犬っぽいんだよなあ。つい意地悪したくなる。




「あとあと、騎士は……」


「おいい! もういいよ!」


「そう?」


「身内の自慢話はこれくらいにして、早く劇場に来いって。みんな待ってるよ」




朝ごはんの買い出しに時間をかけすぎだと、みんなしてぴーちくぱーちく言っているのが目に浮かぶ。いつものことだ。痺れを切らし、代表して誰かが探しに来るまでがワンセット。今日は六鹿の当番だったようだ。


ぱんぱんに詰まった紙袋を抱えながら、渋々朝市をあとにする。惜しい。もっと売りこめただろうに。



町外れにある劇場までの道中、雪が降り始めた。


イケメンと雪の相性は最高にいい。舞台に雪の演出を入れるのもありかもしれない。




「……なあ」


「……ん?」




心地よかった沈黙を、六鹿が日本語で破った。


物憂げな横顔が純白に染まる。それがひどくきれいで、雪の演出を付け足すことを内心決定する。




「かっこよく仕上がってるって、ほんとかよ」


「嘘ついてどうすんだよ」


「本当に思ってんの……?」


「思ってるって。ちょっとヘタれな騎士だから愛されるし、成長を見せられるんだろ?」


「でも……」


「なに」


「前に手本で見せてくれた騎士のほうが……」


「はあ? 六鹿の騎士だからみんな観たいんじゃん」


「でも! でもさ……。それはみんな、俺のしか観たことないから……」




でも、何だ。責め立てるような口ぶりにイライラした。


六鹿は自分自身のことをまるでわかっていない。そのくせ、すべてをわかりきっているかのように過小評価を下している。それが許せなかった。


彼には彼の魅力があるのに、どうして気づかないんだ。仲間の、一番近くで応援してきたダチの声くらい信じてくれよ。普段の素直さはどこいった。


おまえにはプライドがないのか、アホ、と応酬しかけたが、




「ひ、ひさき……さん……?」




水を差された。


日本語だった。けど、六鹿の声じゃない。


数メートル先にある標識のそばに、アジア系の顔立ちをした少年が、ひとり棒立ちしていた。こちらを凝視している。ふらりふらりと接近してくるやいなや、至近距離でぐわっと目ん玉を剥いた。涙の膜が張っていく。


ちょっと怖くて、六鹿に助けを求める。「知り合い?」「いいや?」とアイコンタクトを取り合う。記憶が正しければ、初対面のはずだ。不審感が募っていく。




「春日野、妃希……ちゃん……ですよね!?」




紙袋を支えていた右手を、強引につかまれた。あわてて左手の力を強める。雪のしみた紙袋が、くしゃりと折れた。


分厚い手袋をへだてていてもわかるほど、少年の両手は冷えきっていて、ぷるぷると震えていた。手袋を貸してあげたいが、そうもいかない。




「ぼ、ぼく、秋柴っていいます。ファンレターをたくさん送ってて、返事もくださって……あの、それで……」


「……」


「お……おひいちゃん、ですよね? そうですよね!? ぼくが見間違えるわけない!」




あぁ、かわいそうに。




「……あんたもか」


「っ、え……?」


「これで記念すべき10回目だよ」




乱暴に右手を振り払った。アキシバのかじかんだ手を、これ以上あたためることはできない。彼に不誠実だと思った。


アキシバは、つと、打ちひしがれたように顔面を潰した。つららと化したまつ毛に、大粒の雫をも無情に凍る。ぽろっとあっけなく粉雪を溶かした。


期待を裏切られたって顔してる。ごめん。こっちもいい気分はしないんだ。




「――わかったろ?」


「こ、声、が……」


「……ああ」


「……男……?」




目を伏せれば、アキシバは肯定と受け取り、絶句した。呆然としながら、下から上へと視線を泳がせる。沸いた頭に、じわじわと現実味が帯びていく。目元も鼻も、耳たぶまで赤々と燃えた。


泡沫の感動に焦がれてしまった分、衝撃が大きかったんだろう。かける言葉も見当たらない。



――カスガノ ヒサキに、似ている。



日本通のイギリス人にも、興奮気味に言われたことがある。現に、日本から訪れた観光客にたびたび間違えられる。これで10回目。ちっともめでたくない。


10回も似たような目に遭うと、意外と慣れてくるもので。はじめこそまごついていたが、今では極寒より冷たくあしらえている。



小柄な体型、ブルベの女顔。眉と目元を吊り上げた濃いメイクを落とすと、カスガノヒサキと瓜二つだと劇団員に口うるさくからかわれる。


しかし、よく見たらわかる。


ガニ股の歩き方、筋肉のついた太い脚と硬い胸、メンズ物の服、好戦的な喋り口調――どこを探しても、少女のようなあどけなさも、女性らしい繊細さも見受けられない。


声を聞けば一発だ。低く、底意地の悪い声音に、勘違いだと気づいた人たちはみな、アキシバと同じ顔になる。天国と地獄をいっぺんに味わったみたいに、泣いて、怒って、失望するのだ。


勝手に舞い上がっておきながら悲劇ぶられても、どうしようもできない。やさしくするだけ無駄だ。それなら最初からしなければいい。与えられるものはひとつだけ、同情だ。




「じゃ、急ぐから」


「あっ、おい! ……ごめんな。本人に会えるといいな」


「……うっ、く、……すみませ……っ」




有言実行。泣き崩れるアキシバに目もくれず、しれっと通り過ぎた。これ以上、この場にいたくなかった。


六鹿の哀れみを背中越しにひしひしと感じる。やさしいけどやさしくねえな。内心、そして表情にまで、呆れ返る気持ちがあふれた。




「あの態度なんだよ」




追いかけてきた六鹿に、肩をグーで殴られた。想像していたより強くてビビる。かつてメスを入れて軽くした体では、衝撃を吸収しきれない。


痛かった。


本当は……本当に、痛いのだ。




「ああいうのにはあれが一番効くんだよ」


「……意味わかんね」


「涙、拭ってきたのか?」


「男の涙を拭うかよ! ちょっとなぐさめてやっただけだ」




ふくれっ面になる六鹿がおかしくて噴き出した。


黙ってりゃ、クールガイでイカしてんのに、言動でちょいちょいかわいこぶるのは、癖なのか何なのか。ギャップのプリンスってキャッチフレーズでもつけてやろうか。


笑われたのがそうとう気に食わなかったのか、彼のまん丸な黒目が鋭くなっていく。じぃっと10秒ほど真っ直ぐ見つめられる。いや、睨まれている。




「……なに」


「春日野妃希にそんなに似てるかなと思って」


「で? どう? 似てた?」


「うーん、微妙」


「うっわ。中途半端」


「だ、だってさ! 見た目は、まあ、たしかに似てるかもしれねえけど……中身はまるっきりちげえじゃん?」




って、聞かれてもな……。


返答に困る。六鹿は気にすることなく話し続ける。




「実はさ、ちょっと前まで俺も疑ってたんだ」


「は?」


「隠してるだけで、本当は春日野妃希本人なんじゃねえのかな、って」




まさかのカミングアウト。おどろいたし、ちょっとショックだった。


六鹿が劇団に加入した当初から、教育係として、マンツーマンで稽古してきた。裏方と経営の補佐を担って2年が過ぎた自分が、人様に教育できるものかと不安視していた部分もあったが、なんだかんだ調子よく進めてこれた。


似ているところが多かった。身ひとつで渡ってきたところも、必要な生活費は持っているくせに無計画に徘徊していたところも、そこを劇団の団長に助けられたところまで。だからだろうか、放っておけなかった。


もうすぐで1年が経つ。今では、六鹿は劇団の看板を背負うほど大きくなった。


感謝してくれた。もっと仲良くなりたいと、1ヶ月前に照れながら食事に誘ってくれた。劇団の中で一番かわいがり、応援していたし、六鹿もなついて、頼ってくれていた。


そのすべてに疑いが秘められていたなんて、知らなかった。まあ、それとこれとは別なのかもしれないし、仕方ないけど。けどさ!




「へえ……。ふーん、そーだったんだー」


「ちょっ、お、怒るなって! 今はちがうってわかってるから! ごめんなさい!」


「……別に。怒ってないけど」


「怒ってんじゃん……」


「怒ってないって。別人だって確信した理由は何なの?」


「演技だよ。1ヶ月前くらいに、手本として騎士役を演じてくれたろ? 体を大きく使ってダイナミックに表現してたよな。それが決め手だった」




それでか。珍しくプライベートの誘いをしてきたのは。それまでは壁を作っていたと。ふーん、そっかそっか。


この悲しみをどうしてくれよう。今日の稽古は鬼畜モードでムチを打ち続けてやろうか。うん、それがいい。そうしよう。はい、決定。


ぞわっと六鹿は身震いした。何の気なしに心配してやったが、心の中では鬼の顔をして高笑いしてやった。




「彼女の演技を観たことあったんだ?」


「あ、ああ、あるよ。叔父さんが共演したことがあって……あ、知ってる? 『SIESTA』っていうドラマ」


「あ……うん、知ってる」


「あれ観て、俺も芝居がしたいって思ったんだ。叔父さんの演技もすごいけど、春日野妃希は特別だった。特に表情がよくて! こう、なんつうのかな、感情を揺さぶってくるというか……」


「……ファンなの?」


「いや、ファンではない」


「ちがうんかい」




熱に浮かされたように六鹿は頬を赤らめた。白い息をほくほくと天に飛ばし、お喋りな舌を巻く。


きらきらとした眼差しは行き場を探し、宙を彷徨う。それを受け取ることのできる、唯一のヒトは、ここにはいない。彼はどこか寂しげに、日の昇りきっていない空を仰いだ。




「……引退、しないでほしかったな」




3年前。


たったひとりの少女が、世間を騒がせた。



新聞の一面に「引退」の2文字が大きく刷られ、1週間ほどトップニュースとして扱われていた。衝撃のラストシーンで見せた笑顔に、なぜ、どうして、と誰もが真実を紐解きたがった。


嵐のように過ぎ去ったあと、真実と嘘の区別もまともにつけられないまま、ほとぼりは冷めていった。しかし心のどこかで、なぜ、どうして、と問いかけずにはいられない。


たった3年、されど3年。乞うには長く、忘れるには短い。



だから、だろうな。今もなお、アキシバみたく彼女を捜し出そうとする人が、あとを絶たないのは。


あぁ、あぁ、なんてかわいそうなのだろうか。




「そう嘆いてる暇があったら、もっと演技うまくなりな。今日はみっちりしごいてあげるからさ」


「うげえ」


「ははっ。ほら行くよ!」




明朗とした声でスタートダッシュを切った。静かな町に朝を知らせるように震撼させる。


白い結晶でコーティングされた細道に、ふたり分の足跡が刻まれていく。少しずつ間隔が広くなる。サイズの異なる靴裏の印に、また新しく雪が降り積もった。



――カスガノヒサキ。



心から同情するよ。


なあ。



――春日野妃希。



あんたのことは、よく知ってる。自分から雁字搦めになりにいった、自己中心的で、うそつきで、愚かな女。


きらいだった。だいきらいだ。


きっと一生、好きにはなれない。



あんたががんばって、がんばって……やっと欲しかったものを手に入れられたのに、あんたはまだそんなところにいるなんてひでえ皮肉だよな。


かわいそうに。


あんたは今も、死に損なったままだ。あんなにきれいにさよならを告げても、意味なんかなかった。


バカらしく思えてくる。


誰も彼も、空っぽの棺を指差して、息苦しそうに泣いてやがる。違法の刃でさばかれたとも知らずに。


この世は、いまだに寒くてならない。


いつになったら解放されるんだろう。早く忘れてくれたらいい。忘れてやるのがやさしさなのだと、いつになったら気づくのか。



春日野妃希。あんたは、もう、どこにもいない。


ああ、知ってるよ。


だから、自分はここにいられてる。




全部、全部、溶けて消えたら。


待ち焦がれた春が、やって来るんだろう。





「――ヒサキ!」




名前を呼ばれて顔を上げた。我らがホームである劇場は、目と鼻の先まで迫っていた。




「リッカも、はよしろ!」


「この腹の虫が聞こえぬか!」


「あはは! 威張ることじゃないでしょうに」




腹を空かせた劇団員がそろいもそろって、扉から顔を覗かせている。ある者はしかめっ面で、ある者は笑い転げ、ある者は大きく手招きしている。いい声の無駄遣いだ。


盛大な腹の音はしっかりと聞こえた。つられて六鹿も、きゅるると空腹感をかき立てる。


まずは腹ごしらえをしなければ何ごとも始めらない。ちなみに今朝は、フルーツサンドとハーブティーで、颯爽と幕を開ける予定だ。



無意識のうちに、困ったようにほころんでいた。六鹿の腕を引っ張り、仲間の元へ走っていく。


雪はとうに止んでいた。






end




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