四三 弱女公の国~アーヌプリン公の狩猟
アーヌプリン公の狩猟は大々的なものであった。
アーヌプリン公や側近の部下たち、キス一行の他、騎兵が五〇騎にマスケット銃兵が二〇〇名。犬飼いや馬丁や武器職人、人夫などが一〇〇名近く同行しており、それに加え頑丈そうな馬車が一〇台も行列に加わっていた。
「狩猟にはこんなに人数が必要なんですか」
アーヌプリン公の隣に馬を並べたキスは首を傾げながら素朴な疑問を口にする。
「逃げられると面倒ですからね」
真紅のマントを羽織ったアーヌプリン公は朗らかに微笑んで言った。
確かに獲物に逃げられるのは面倒ではあるが、こんな大人数で行っては勘の鋭い獣はこちらが見つける前に姿を消してしまうのではないかとキスは余計な心配をしていた。
しかも、公が身に纏っている真紅のベルベッドのマントは派手過ぎるのではないか。こんな目立つ格好では獣を狩ることなどできまい。と、泥に塗れ、獣の糞を体に塗りつけて狩りをしていたキスは思っていた。
アーヌプリン公の行列はアンプ宮殿を出て、隊列を組んで街中を堂々と行進していく。道を開けさせられた往来の人々は行列を好奇と畏怖と不気味さを含んだような目で眺めていた。
確かに庶民にとっては統治者である貴族たちは畏怖の対象であるかもしれないが、住民たちの顔色にはそれ以外にも何か含むものがあるような気がして、キスは少し気になった。
行列はメントの街を出ると街道を東に進んでいく。
アーヌプリン公領は広々とした平野で見渡す限り、ちらほらと細い木が集まった林は目に留まるものの、野生の獣が多くいそうな森などは見当たらなかった。
「この辺りに森はないのですか」
「昔はあったそうなんですが、農地を広げる為に、切り開いてしまったそうです」
キスの問いにアーヌプリン公が答える。
その答えに黒髪姫は首を傾げる。では、どこで狩りをするというのか。
林が点在し、畑がない平野の真ん中の小高い丘に上って行列は止まった。
人夫たちは手慣れた様子で、丘のてっぺんに陣幕を張り、椅子とテーブルを用意した。
アーヌプリン公はひらりと騎乗から降りると、椅子に座って、キスを手招きして呼び寄せた。
キスは訝しく思いながら下馬して、向かいの椅子に腰を下ろした。
「今日は良い天気ですね。少し喉が渇きましたから、お茶を頂きましょう」
「はぁ」
いつの間にか現れた従者が洒落たティーセットでお茶を淹れ、二人に差し出した。触れただけで割れそうな陶器のティーカップをおそるおそる摘まみながらキスは紅茶で喉を潤す。
「あの、今日は、狩りに来たんですよね」
「えぇ、勿論です」
少し不安に思ってキスが尋ねると、公は穏やかに微笑みながら頷いた。
その答えを聞いてもキスは釈然としない様子で首を傾げていた。狩りといいながら、到着したところは平野を見渡せる小高い丘の上で、ぼんやりと青い空と青い野を見つめながら、お茶を頂いている。自分はピクニックに来たのかとキスは不安に思いかけていた。
ふと視線を丘の下にやると、そこに十台ほどの馬車が止まって、扉が開けられていた。その周囲は二〇〇名ものマスケット銃兵で厳重に囲まれていた。馬車からはみすぼらしい身なりの人々がよろよろと降り立ち、兵たちの銃剣に突かれながら、一ヵ所に集められていた。
「あの方々は」
キスが疑問に思って尋ねるが、アーヌプリン公は穏やかな微笑を浮かべたまま黙ってティーカップを傾けていた。
馬車から出された人々の数は五〇名近くにも及んだ。ほとんどは男だが僅かに女も含まれている。老人から若者まで年齢は様々であった。
彼らの前に一人の役人が進み出ると、手にした羊皮紙を広げて大声を張り上げて、文面を読み上げ始めた。
「諸君はいずれも殺人、強盗、強姦、放火等の大罪を犯した許されざる重罪人である。先の裁判において、尽く死刑の判決が下された死刑囚である。本来であれば、即刻、その首を縄で括り、吊し上げるところであるが、偉大にして寛大なるアーヌプリン公は諸君に今一度機会を与えられる」
役人の言葉に、キスはアーヌプリン公を見る。公は相変わらずぼんやりとお茶を啜っている。
「今より諸君の処刑を行うが、しかし、今一度機会を与え、ここから逃げることを許す。無事、公領の外に逃げ延びれば我々は手出しをしない」
この言葉にキスは唖然とした。そのようなことをしては法は形骸化してしまう。法とは厳格に運用されてこそ意味を為す。温情であれ、何であれ、例外など認めてよいものではない。もしも、法に間違いや不合理があれば、正当な手続きをもって法を変えるべきで、法を無視することなどあってはならない。
つまり、処刑と決まった者は、必ず何があっても処刑せねばならないものだ。これを温情だの何だので免除することは許されないものである。
堪らずキスが口を開く前に、役人が更に言葉を続けた。
「今から、五分の猶予を与えよう。これは公からの恩賜である。以上」
そう言うと、役人は羊皮紙をくるりと巻いて、その場から立ち去った。
宣告を受けた人々は意外と落ち着いていて、何事か囁き合う以外は特に喜ぶこともなく、疲れ果て何かを諦めている様子であった。
代わってマスケット銃兵の隊列が進み出て、銃剣を突き出して人々を追い払い始めた。
人々は兵たちに追い散らされ、蜘蛛の子を散らすように駆け去っていく。
「閣下。これは、どういうことですか」
「どういうことも何も、狩りですよ」
アーヌプリン公は何事もないかのように平然と答えた。
事ここに至ってキスはようやく思い至った。
「人を狩るのですか」
「獣を狩るよりも楽しいですよ。まぁ、狩った獲物の味を確かめるという楽しみはありませんが」
「そのようなことは……、あまり、感心致しません」
キスにしては慎重に言葉を選んで言った。
「それは何故ですか」
アーヌプリン公はキスを見つめて尋ねた。その表情は今までどおり穏やかで落ち着いている。
「彼らは元より死ぬことが決まっている者たちですよ。死刑判決が下っていますから。何某かの理由があって私が恩赦を出さない限り、どちらにせよ死ぬのです。そして、死刑に処される適切な罪状がある者ばかりです。市民の家に押し入り一家を惨殺し、家財を奪った者、老人の家に押し入り、惨い拷問を加えて財産のありかを聞き出し、それを奪った者、気に食わない知人を集団で暴行し、その目を潰し、手足を折った者、処女を強姦して殺した者、妊婦を殺し、その腹を割いて胎児を引き摺り出した者、教会に押し入り神父を殺して火を放った者」
「確かに、彼らの罪状は死刑に相当します。だからといって、このような方法を取るのは……」
「獣のように、犬に吠え立てられ追いかけられて撃ち殺されるか。大人しく処刑台の上で死ぬか。どちらにせよ死ぬことに変わりはありません。処刑の方法が残虐という意味で良くないと仰るのですか。しかし、他国には最も惨い処刑があるではありませんか。罪人の皮を剥ぎ、鞭打って殺す刑、石を何個も何十個も何百個も打ちすえて殺す刑、少しずつ肉を削いで死に至らせる刑、食べ物、水を与えず餓死させる刑、手足を縛って馬に曳かせて殺す刑、生きたまま、耳と鼻と性器を削ぎ、手足を斬り、腹を割く刑、四肢を縄で縛り、その縄をそれぞれ馬に曳かせて引き裂く刑。残虐な刑ばかりです。それらに比べれば、私がすることなど何のこともありません」
そう言って公は席を立つ。
「それとも、人を獣のように追い回すのがいけないと仰るのですか。では、人と獣、同じ命ある生き物ですが、何が違うというのですか。追い回し、命を奪うことは何も変わりませんが、獣でそれをやれば狩猟という良い趣味で、人では残虐な行為になると」
キスはなんとも言うことができず、口を噤んだ。
「ただ、死刑に処するのならば、死ぬ前に少しくらい私の趣味に付き合ってくれても罰は当たらないというものでしょう」
公はふんわりと微笑むと、微細な彫刻が為された白く美しい小銃を手に取った。
「さて、殿下は私の趣味にお付き合い頂けますか」
「私は、その……遠慮致します」
キスは俯いて答えた。
「あら、振られてしまいました。残念です」
公は苦笑すると、ひらりと馬に跨った。
「殿下ならば、或いは私の趣味にご理解頂けるかもと思ったのですが、やはり、駄目だったようですね。まぁ、気になさらないで下さい。私のこの悪魔の所業が如き悪趣味が他人に理解されないものだということはわかっているつもりですから」
アーヌプリン公は寂しげに笑いながら言うと、馬を駆けさせた。即座に周囲を供回りの騎兵が固め、丘を下って行く。
「そういえば、アーヌプリン公領では、罪人の処刑を狩りのようにして行うという噂を聞いたことがあります。真だったようですね」
キスの傍にクレディアが寄って囁くように告げる。
「お姫さん、大丈夫。何か、顔色悪いけど」
同じようにキスの傍に寄ったベアトリスが尋ねる。
「えぇ、平気です。ちょっと、なんていうか、人は見かけによらないな。と思っただけで」
キスがそう呟いた直後、一発の銃声が鳴り響いた。
その後、キス一行は中座させてもらい、メントへと戻った。
アーヌプリン公の狩りは数時間続き、平野には五十数発の銃声が響いたという。
翌日、キス一行はメントを発ち、更に東へと進路を向けた。