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セピアの街  作者: ling-mei
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第4話

 カオスが私と万次さんの工場に来てから2週間ほどたった日の朝だった。私は寝坊をしてしまった。今日は学校に行かなくてはならない。私は週に2回だけ、ロボットの専門的な知識を入れるための学校に通っている。万次さんには教えている暇がないから、理論的なことは学校で学ぶようにと、彼に勧められたのだ。もちろん、教養としての、私の大嫌いな国語などの授業だってある。週に1回の授業では、教養を、そして、残りの1回は、専門的なことを教えてもらう。この学校に通う生徒のほとんどは、全日制とは無縁だから、教養の授業も必要になる。

「行ってきます!」

 カバンを片手に工場を飛び出した。油と埃で真っ黒なスニーカーは、かかとの部分がかなりボロボロになってしまっている。そろそろ買い換えないといけない。スクラップ場の前を駆け抜けようとしたとき、後ろから誰かが私の名前を叫んでいるのが聞こえた。

「リン!」

 振り返ると、カオスがすごい速さで追いかけてくるのが見えた。背が高く、足も長いから、走るのは私の何倍も速い。

「お弁当忘れてる」

 カオスは息一つ切らさず、私に駆け寄ると、ピンクの巾着袋に包まれたお弁当を私に差し出した。

「いつもの袋はどうしたの?」

 ボーイッシュなものを好む私には、あまりにかわいらしすぎる巾着袋に、私は気恥ずかしいような気分になった。

「俺が作った」

「俺が…って…カオスが?」

 カオスはうなずいた。そして無邪気に笑って言った。

「リンも少しは女らしくなった方がいいと思って」

「失礼しちゃうねー本当に」

 私は表面は怒ったように振舞ったが、こんな風に私のために何か作ってくれる人は今までいなかったから、本当は内心嬉しかった。でも、何故か照れくさくてお礼を言えなかった。いつもならさらっと言えるのに。どうもこの頃、カオスとはやりとりがしにくいように感じていた。彼はここ2週間で一気に語彙数が増えたし、初めは自分のことを『カオス』と呼んでいたのに、つい昨日くらいから、『俺』と呼ぶようになっていた。もう彼の頭の中は、カオスのように混沌としてなどいないようだった。それでも、私がカオスとのやりとりに息苦しさを感じるのは、そんな理由からなんかじゃない。それはもっともっと、深いところにある気がしていた。

「いってらっしゃい。気をつけて」

 カオスは大きな手を私の頭の上にポンと載せると、工場に向かって歩き出した。私は何か言おうとしたが、何を言うのかを忘れてしまったように、声が詰まってしまった。カオスは何も気付かないように、真っ直ぐに工場に向かって行った。

 私は、カオスが作った巾着袋を眺めた。縫い目もきれいで、そこらの女子よりずっと上手だった。この2週間で、彼は言葉だけでなく、掃除や料理なども覚えてしまった。初めの状態がからっぽだっただけに、吸収がすさまじく速かった。しかし、この工場に来る前の記憶だけは戻らなかった。実際、私はそんな記憶は取り戻して欲しくないと思っていたから、全然構わないのだが、いつか戻るときが来るとすれば、それは恐ろしいことだと知っていた。おそらく万次さんも、口には出さないけれど、同じように恐れているに違いない。不良品だったと言えど、カオスはもともと、『戦闘用ロボット』だったのだから。


 学校はあっという間に終わった。私が通っている学校には、どこか風変わりな人が多かった。私が通うところだけかもしれないが、この手の学校には本当に変わった人が多い。けれど実際、普通の学校に行かなくて良かったと思っている。あの受験に向けての張り詰めた空気は、どこか私に馴染まないのだ。

 帰り道、私は友達数人と町をぶらぶらすることにした。学校帰りの寄り道だけは、あの万次さんも多めに見てくれていた。

 レンガ造りの人間の街。どこかレトロな雰囲気の漂う街だった。向こうの空には、鉄筋コンクリートの高層ビルが連なっているのが見える。いつもよく行く雑貨屋の前に来たとき、見慣れた黒の短髪が見えた。カオスだった。私は思わず声をあげた。

「カオス!」

 カオスは驚いたように振り向くと、大きな手を振った。子供のようにかわいい無邪気な笑顔がはじけた。私は友達に一言ことわると、カオスのもとに駆け出した。

「何やってるの?」

「万次さんがリンを探してこいって」

「私を?何かあったの?」

「急ぎの修理があって、リンに手伝って欲しいらしい」

「そっか…遊ぼうと思ってたのになー」

 私は友達のところへ戻り、事情を簡単に説明した。友達は笑って、「いいよ」と言ってくれた。軽いこのノリがとても気楽だった。本当に表面だけの付き合いには違いないけれど、これはこれで楽しめていた。私はさよならを言うと、カオスと一緒に工場に向かった。


 工場へ向かう途中、カオスは私に言った。

「友達多いの?」

「うん、まぁそれなりにね」

「そっか」

 カオスはそう言うと、黙ってしまった。

「カオスは友達いないの?」

 彼の瞳は悲しげな色に変わった。そして小さく首を横に振った。

「昔のこと覚えてないから」

 何も返す言葉がなかった。カオスは、沈んだ表情でうつむいている私の横顔に気付くと、焦って話題を変えようとした。

「そういえばさ、ホットケーキって焼け目が上手くつかないんだよね。ムラになっちゃって」

 思わず私は吹き出した。そういえば?ホットケーキ?急にホットケーキの話題?ちょっと無理がありすぎる気がしたけれど、カオスなりの思いやりらしい。こういうところもロボットとは思えない。私は笑いをこらえながら答えた。

「明日のお昼に教えてあげる」

「うん」

 カオスは笑いたくてたまらない私の顔を見ながら、優しい瞳で笑った。悲しげな色は、もうオリーブグリーンの瞳に残っていなかった。


 工場では、万次さんがいつもの作業着を着てせわしく働いていた。ロボットに身の回りのことをやってもらえるようになった今の時代では、ここまでせかせか動く人間を見ることはまれだ。世界中で万次さんだけが、おそらくそんなふうに動いているのだと思う。

「万次さん」

 カオスが呼ぶと、万次さんは油で黒く光らせた頬をこちらに向けた。

「早く着替えて手伝え」

 私は急いで部屋に上がり、作業着に着替えた。どうやら今日は相当忙しくなるらしい。すぐに工場に行き、万次さんに仕事の手順と内容を教えてもらうと、すぐに仕事に取り掛かった。カオスは万次さんの横について、助手として働いている。私よりずっと手際がいいようだった。


 仕事を終えると、カオスは私にコーヒーを入れてくれた。いつのまにか、コーヒーまで入れられるようになってたなんて、びっくりだ。香ばしいコーヒーの香りをかいでいると、カオスはふいに話し出した。

「人間の街ってカラフルだね」

「カラフル?」

「レンガの茶とか、家の白い壁とか。花屋の赤とか緑とか黄色とか。空の天井の青とか」

 カオスは私の気付かない間に、感性まで豊かになっていたのだろうか。ありとあらゆる色を読み上げだした。群青に、黒に、オレンジ、ピンクに、銀色…。

「ロボットの街はこんなに色にあふれてなかった」

「ロボットの街?」

「ロボットの街はセピア色だった」

 ぽかんとあっけに取られる私の顔におかまいなしに、彼は話を続ける。

「天井も床も日用品もセピア色。身の回りのものに色なんてなかった。空も、人間の街みたいな爽やかな色をしてなかった。ただただ、すべてのものはセピア一色だった」

 ロボットの街なんて聞いたことも見たこともない。ロボットであるカオスは、そこに行ったことがあるのだろうか。しかし、彼には前の記憶などないはずだ。それなら、彼の言っていることは一体なんなのだろうか。

 カオスはそれきり黙ってしまった。私は、明日の仕事もたくさんあるからと、自分の部屋に戻った。

ベッドにもぐりこんで、灰色一色の冷たい天井を見上げた。カオスの言っていた、『セピアの街』。その夜はどうにもすぐに寝付けなかった。無機質な壁に囲まれた空間の中、私は一人、この夜の中に取り残された気がしていた。

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