第5話
その日もいつもと同じ朝だった。
目覚まし時計の慌しい音。万次さんの怒鳴り声。遠くで触れ合う鉄の音。そして、カオスのオリーブグリーンのきれいな瞳。何もかも、いつもと同じだった。
そう思っていた。確かに、そのときまではすべてがいつもと同じように流れていた。
工場の戸を誰かが叩いた。朝日の差し込む工場の中に、ガンガンと、鉄の音が深く響いた。その音はあまりに乱暴で、まるで私たちをせかすようだった。万次さんは私に、すぐに誰なのか見てくるようにと言った。戸の横に取り付けてある小さな小窓から外を見た。油がべっとりついて、向こう側が雲って見えにくくなっていたけれど、何とか外にいる人を見ることができた。
そこには、黒いスーツの男の人が2人立っていた。一人はハゲ頭、もう一人は明るい茶髪をしていた。
彼らは、小窓から除く私の顔に気付くと、戸を開けてくれとジェスチャーで示した。万次さんに許可を得てから、そっと戸を開いた。
一瞬、背筋を冷たいものが走った気がした。黒いスーツの2人組は、スーツの襟元に、バッジをつけていた。私はそっとそれを盗み見した。
シルバーの地に、青い色で『c.c』と書かれていた。何かの略称だろうか。どこかで見たことがあるようなマークだった。でも、それが何なのか、一向に思い出せそうになかった。二人は万次さんの方へ歩み寄っていった。
「おたくらは?」
万次さんは手袋を外しながら言った。
「ロボットの回収に参りました」
「ロボット?」
万次さんは何のことかと言うように聞き返した。黒い2人は言う。
「そちらに、行方知れずのロボットが迷い込んでいるとの情報が入ったので」
私ははっと息を呑んだ。『行方知れず』。『ロボット』…。
「コードナンバーを言った方がいい」
黒い2人のうちの茶髪の方がそう言ったとき。
「リン、コンピュータの処理の仕方、あれじゃまずいよ」
カオスが隣の作業室から出てきた。幸いにも、彼の胸元は服でしっかり覆われていた。
「本当? ゴメン、今すぐ直すから」
私はすぐに彼を奥に連れ戻そうと、背中を押しながら隣の部屋へ行った。カオスは不思議そうな顔をして、私に押されるがままに歩いていった。そして、隣の部屋に入ると、即座に私は鍵をしめた。
「リン、どうかした?」
「ううん。何でもないの。大事なお客様だから」
カオスはどうも納得がいかない顔をしていたが、すぐに仕事の内容に取り掛かり始めた。
隣の工場の部屋では、万次さんが黒い2人と話をしていた。万次さんはいつになくピリピリしている。黒い2人は冷たい視線を彼にそそいでいた。
「おまえらは何なんだ?」
万次さんは冷静に、けれどどこかに怒りを込めながら言った。
「このバッジをご存知ないようで」
ハゲ頭の方は、襟元についたバッジをチラつかせた。
「c…」
万次さんは一言つぶやくと、気付いたようにつぶやいた。
「コンバット」
「そう。コンバットの開発局の者です」
「ここに迷い込んでいるとの情報があったもので」
「ここにそんな物騒なものはない」
万次さんは、作業用の手袋をはめながら言った。
「ご冗談を」
茶髪の方は笑った。しかし、万次さんはおかまいなしに、仕事の続きを始めた。
「コードナンバーはA00109なんですが」
「知らないな」
修理しかけのロボットに触れながら、万次さんは目もあわせずに言う。
「確かにここにいると聞いたんですがね?」
「そんなものは見たことはない」
万次さんの返答におかましなしに、ハゲ頭の方は懐から銃を取り出した。一瞬万次さんは、自分が撃たれるのだろうと思った。けれどハゲ頭は、それを工場の天井に突き上げると、一発弾を打ち上げた。
ひどく突き刺すような音が響き渡った。
その銃声が工場中に響き渡ると、カオスが身体をピクっと動かせた。
「銃」
そうつぶやくと、彼は立ち上がり、万次さんと、黒いスーツの2人がいる工場へと歩いていった。私は止めようとした。けれど、彼は私の手を振りほどき、無言で部屋を出た。ドアには鍵がかかっていたが、カオスの力は、それを簡単に破ってしまった。
彼がドアから現れると、茶髪の方はカオスに歩み寄っていった。そしてカオスの胸倉をつかみ、その胸元に刻み込まれている番号を見た。そしてにやりとした。
「久しぶりだな」
そう言って、カオスの頬をひどくひっぱたいた。私も万次さんもはっと息を呑んだ。しかし、カオスは無表情に自分を打ちつけた手のひらを眺めていた。
「A00109、ここはおまえの居場所じゃない」
「居場所?」
カオスはきょとんとして言った。
「俺の居場所?」
「おまえは出来損ないだ。おまえはガラクタなんだ」
「ガラクタ…」
オリーブグリーンの瞳が次第に曇っていった。セピア色に色づいていくようだった。
カオスの理性が消えようとしている。私は瞬時にそう察した。このままでは彼は本当の戦闘用ロボットとして連れて行かれてしまう。彼は戦闘用なんかじゃない。そんな危ないものじゃない。
「不良品のくせに名前まで付けられているらしいな」
私はこの言葉についに我慢できなくなった。膨らみすぎた風船がはじけるように、私は胸の中のどろどろした感情を、すべて黒い2人にぶちまけた。
「不良品なんかじゃない!!」
黒い2人はぎろっと私のほうを見た。
「カオスは不良品じゃないわ!!あんたたちの方がよほど不良品じゃない!!」
そう言うと、彼らは不敵な笑みを浮かべてつぶやいた。
「あれは殺人兵器だ」
「違う!!」
のどが張り裂けるかと思うくらいに、私は金切り声を上げていた。
「カオスはそんなことしない!!」
ハゲ頭の男はにやにやしながら言った。
「カオス?奴にカオスってつけたのか?あんな殺人用ロボットに?」
「やめてよ!!」
カオスは私の叫び声に、我に帰ったように目を見開いた。そして、私に歩み寄ると、優しく私の肩に手を置いた。
「リン?」
「カオス…」
「何があった?」
「いいの。気にしないで。何でもないの」
茶髪の男は、カオスに言った。
「A00109、俺たちと一緒に来い。おまえはここにいるべきロボットじゃない」
カオスは一瞬、今までに見たことのなかったような冷たい瞳をした。温かいオリーブグリーンの瞳は、どこかに消えていた。私は途方もない身の危険を感じた。
「A00109」
男たちはまたその番号を呼び上げた。カオスを取り巻く空気が、パリっと凍りついた。私は思わず腰を抜かして、その場に座り込んでしまった。
そのときだった。カオスは物凄い勢いで、黒い2人に襲い掛かった。
何が起こったのか、私はまったく分からなかった。万次さんですら、きっと何も分からなかったと思う。ほんの数秒間のできごとだったのだ。
気付くと、そこには血まみれのカオスがたたずんでいた。そのすぐ傍には、驚きの眼差しで立ち尽くす万次さんと、人間としての原型を失いかけているものが二つ、横たわっていた。
「カオス?」
私は恐る恐る声を出した。
「俺は」
カオスが自分の手についた血を見つめてつぶやいた。
「殺した」
そういうと、彼は大声で叫びながら頭を抱えた。そしてその場にひれ伏した。それを見つめていた万次さんは、私のところへ走りよってきた。私はうずくまったまま、万次さんの呼びかけにも反応できずにいた。
「カオス…カオス……どうして……何で…?…」
私は涙を流した。どうしてか分からなかった。ただ、恐怖におびえていたことだけは確かだった。万次さんは私をそっと抱き寄せた。油の匂いの染み付いた作業着が、このときほど心地よく感じられたことはなかった。
カオスは頭を抱えていた手を放すと、私と万次さんのほうを見た。その目には、オリーブグリーンは輝いていなかった。くすんだセピア色をしていた。
「コンバット」
万次さんはつぶやいた。そう。今、カオスはカオスじゃない。
しばらくの沈黙の後、工場の周りで人の話し声が響きだした。そして、いつの間にか、私と万次さんとカオスの周りには、しっかりと武装をした人間がいた…いや、おそらくロボットだろう。彼らは手にごつごつした大きな銃を抱えていた。
武装した集団は、銃口を私と万次さんの方に向けた。
一瞬だけ、タタタ…と短い音が響いた。
私の体を、何か、ドロリとした温かいものが流れ出した。
それは真っ赤な、鮮やかな色をしていた。
そして、目の前に、眠るように転がる万次さんがいた。
彼は、目を深く閉じ、一向に目を覚ます気配を見せなかった。
私は、自分の手のひらについた、真っ赤な粘着質の液体を眺めた。
恐怖も何も感じなかった。
ただ、頭の中は妙に真っ白で、クリアーだった。
横たわる万次さんを眺めている私に、また、もう一つの銃口が向けられた。私は抵抗する気もなかった。ただ、そこにある実態が何かを、必死に理解しようとしていた。
どこかで、カチッと、何かがつぶれる音がした。その瞬間に、周りを閃光がとりまいた。真っ白な光が私の目に飛び込んだ。
私はそこで気を失った。
気を失う直前に、目の前に『COMBAT』の文字が飛び込んできた。
閃光の中、私は誰かに名前を呼ばれた気がした。けれど、もう何が何だか分からなくなっていた。




