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本当にやりたいこと

 年賀状の住所を頼りに、涼介はあちこちに春の気配を感じる水色の空の下を歩いていた。海岸沿いの、静かな街。カモメの声と波音の向こうに、船の汽笛が響いている。彼は海が好きなのだ。

 近くを歩いていた女の子に、道を尋ねてみる。この辺で、ピアノを教えている綺麗な人を知らないか、と聞いたら、すぐに返事が返ってきた。今から、そこにレッスンに行くのだと。

 志望校を決めた理由を両親に聞かれたとき、涼介は本当のことを言う必要はないと思って嘘をついた。本当にやりたいことが見つかったから、と言ったら、珍しく感心したような顔をしていた。今思えば、それは嘘ではなかった。

 実力より、かなり上の大学だった。各都道府県に、一つずつしかない、国立大学。場所が決まってしまったから、そこを受験するしかなくて、それこそ死物狂いで勉強した。それは漠然としたものに向かうより、遥かに近道だということに気付きながら。

 彼に会うのは、合格通知を手にしてから、と決めていた。理由は特にないけれど、強いて言うなら、頑張ったね、と褒めて欲しかったからかも知れない。そんなことを思いながら、体の半分ほどもあるトートバッグを持った小さな女の子のあとを歩いて行った。

「ここだよ」

 まだ新しい、マンションの前だった。女の子は背伸びをしてタッチパネルの蓋を開け、部屋の番号を入力し始める。やがて、入り口の鍵が開く音がした。

 一緒に来てもいいと言うので、涼介は女の子のあとについて行く。慣れた様子でエレベータを呼び、八階のボタンを押した。

「ねえ、知らないといけないから言っとくけど、」

 扉が静かに閉まると、女の子は急に大人びた口調に変わる。チラッと涼介の顔を見上げながら、

「葉月先生、綺麗だけど、男の人だよ?」

「……」

 好意で教えてくれている、という感じからは程遠かった。きっと、男と知らずに一目惚れしたバカなヤツだと思われているのだ。この歳で、遠回しに馬鹿にした表現ができることに驚きながら、何と答えようか迷っていると、そこでエレベータが止まり、女の子は走って行ってしまった。中庭に面した明るい通路の先の、東の角部屋。涼介はふと、笑みを零した。

「先生、こんにちは!」

 玄関のドアが開くと、打って変わって、子供らしい声で挨拶をする。末恐ろしいと感じるのは、気のせいだろうか。あれ以来顔を合わせていない、リコのことを思い出した。

「こんにちは。早かったね」

「うん。あ、お客さんだよ? 先生のおうち、探してたから教えてあげたの」

 その言葉に、中から奥村が顔を出した。途端に驚いた顔になる。

「涼介、」

「……久しぶり」

 奥村は女の子に、中でちょっと待っててね、と声をかけ、あらためて涼介と向かい合った。何処も変わっていない。どう見ても、綺麗なお姉さんだった。

「来るなら来るって、言ってくれたら良かったのに」

 携帯番号もアドレスも、住所も知っているのに、そうしなかったわけは、何だろう。しばらく見つめ合い、同時に吹き出す。

「土曜のこの時間だったら、絶対部屋で寝てるだろうと思ったけど、ちゃんと働いてるんだ」

 不意打ちをかけて、驚かせたかった。ただ、それだけ。そして、用件はちゃんとある。

「ピアノを教えてくれる先生をさがしてるんだ。できれば、前の続きから、やりたいんだけど」

 久しぶりに見る、この笑顔。その嬉しさに、自分がここを訪ねてきたもう一つの理由に気付いた。話したいことは山ほどあるけれど、今日はこれだけで充分。涼介は契約したばかりのアパートの住所を渡し、来月から大学生になるとだけ伝えた。

「頑張ったね。おめでとう」

 そして来月から、またピアノレッスンが始まる。頭の中で、随分上手になったキラキラ星のメロディが鳴っていた。


こんな先生に習ってたら、もっと練習したのに。と思いながら書きました(笑)

ピアノを弾かなくなって、もう何年も経ってしまったけど、あの頃は音楽の道に進むことも考えていました。

自分には向いてないんじゃないか。才能がないんじゃないか。そんな思いが、私に別の道を選ばたけど、好きか嫌いか、やりたいかやりたくないか、その基準で選ぶべきだったのかな、と今は思います。

何かを始めるのに遅いとか早いとかもないはず。今小説家を目指している自分に言い聞かせたいメッセージでもあります(汗)


最後まで読んでくださった皆様、ありがとうございました!

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