沈黙
写真に写っていたのは、自分だった。
悠斗は何度も目をこすった。
見間違いかもしれない。
そう思った。
しかし、何度見ても、写真の中の男子生徒は自分だった。
「あり得ない……」
手が震える。
写真の日付は二十年以上前だった。
自分が生まれる前の写真に、自分が写っている。
そんなことはあり得ない。
その夜、悠斗は写真を机の引き出しにしまった。
もう考えるのはやめよう。
そう決めた。
しかし、眠ろうとしても、あのメロディーが頭の中から消えなかった。
翌日。
悠斗は学校を休んだ。
気分が優れなかったからだ。
机の上には、完成した楽譜が置かれている。
写真もそのままだった。
昼を過ぎても、部屋から出る気にはなれなかった。
窓の外から聞こえる蝉の声だけが、静かな部屋に響いていた。
夕方になった。
ふと時計を見る。
午後六時だった。
その瞬間だった。
メロディーが聞こえた。
学校ではない。
自分の部屋だった。
悠斗は勢いよく立ち上がった。
音は机のほうから聞こえてくる。
ゆっくりと引き出しを開けた。
そこには、しまったはずの写真が置かれていた。
写真を手に取る。
そこに写っていたのは、自分だけではなかった。
窓際には、あの少女が立っていた。
桐島美咲だった。
そして、その隣には、もう一人の男子生徒がいた。
知らない顔だった。
いや、違う。
その顔は少しずつ変化していた。
昨日は自分だった。
しかし、今日は別人になっていた。
悠斗は息をのんだ。
写真が変わっている。
そのときだった。
写真の裏に文字が浮かび上がった。
『ありがとう』
たった一言だけだった。
そして、その下に新しい文章が現れた。
『もう、誰も演奏しなくていい』
その瞬間だった。
部屋の中に響いていたメロディーが止まった。
完全な静寂だった。
悠斗はしばらく写真を見つめていた。
そして、ゆっくりと窓の外へ視線を向ける。
夕日が沈み始めていた。
翌日、悠斗は学校へ向かった。
三階へ行く。
あの空き教室の前に立った。
扉には、「立入禁止」の札が掛けられている。
しかし、昨日までとは何かが違っていた。
鍵が外されていた。
ゆっくりと扉を開く。
教室の中には誰もいない。
古い机。
色あせた黒板。
窓から差し込む夕日。
すべてが以前と同じだった。
ただ一つだけ、違うものがあった。
教室の中央に置かれていた机が消えていた。
写真もない。
ノートもない。
楽譜もない。
何も残されていなかった。
悠斗は静かに教室の中を見回した。
そして、小さく息を吐いた。
「終わったのか」
返事はなかった。
ただ、風が窓を揺らしただけだった。
それから数週間が過ぎた。
夏休みが始まった。
文学コンクールの原稿も完成した。
学校は静かだった。
三階の教室を訪れることもなくなった。
そして、ある日。
部屋の掃除をしていた悠斗は、本棚の奥から一枚の紙を見つけた。
見覚えのない紙だった。
拾い上げる。
それは古い楽譜だった。
最後まで完成している。
ゆっくりと裏返す。
そこには、小さな文字が書かれていた。
『聞こえますか?』
悠斗の動きが止まった。
次の瞬間だった。
どこからともなく、小さな音が聞こえた。
一つ。
また一つ。
静かな旋律だった。
聞き覚えがある。
間違いなかった。
あのメロディーだった。
悠斗はゆっくりと振り返った。
誰もいない。
部屋には、自分しかいない。
それなのに、音は消えなかった。
窓の外では、夕暮れの風が吹いている。
メロディーは静かに流れ続けていた。
そして、机の上の写真には、誰も写っていなかった。
ただ、一つだけ、窓際の席が空いていた。
まるで、誰かがそこに座るのを待っているかのように。
悠斗は写真から目を離せなかった。
そのときだった。
耳元で、小さな声が聞こえた。
「ねえ」
冷たい息が首筋に触れる。
「聞こえるでしょう?」
教室のような静けさが、部屋を包み込んだ。
そして、その夜を最後に、悠斗は二度と三階の空き教室について語ることはなかった。
しかし、学校には今でも噂が残っている。
放課後。
誰もいないはずの三階から、ときどきメロディーが聞こえる。
もし、その音が聞こえたとしても。
決して、最後まで聞いてはいけない。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
『三階から聞こえる音』は、「夏のホラー2026」のテーマである「音」をもとに執筆した作品です。
少しでも楽しんでいただけたなら、とても嬉しく思います。
感想やコメントをいただけると、今後の創作活動の励みになります。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。




