最後の演奏
未完成だったはずの旋律が、教室の奥から静かに流れていた。
悠斗は動けなかった。
誰もいない。
それなのに、確かに誰かが演奏している。
「誰なんだ?」
返事はなかった。
代わりに、メロディーだけが続いていた。
悠斗は震える手で机の上のノートを閉じた。
その瞬間だった。
教室の窓が激しく揺れた。
風だった。
しかし、窓は閉まっている。
風が入るはずがない。
教室の空気が急に冷たくなった。
そして、黒板に何かが浮かび上がった。
白い文字だった。
『完成させて』
悠斗は息をのんだ。
楽譜。
未完成の旋律。
写真の裏に書かれていた言葉。
すべてが一つにつながり始めていた。
机の上に置かれていたノートをもう一度開く。
最後のページだった。
そこには、新しい文章が書き加えられていた。
『最後のページは音楽室にある』
次の瞬間、教室の扉が勢いよく閉まった。
大きな音が校舎に響き渡る。
悠斗は慌ててドアノブを回した。
しかし、開かない。
鍵がかかっていた。
「開け!」
何度もドアを叩く。
反応はない。
すると、教室の中央に置かれていた古い机の引き出しがゆっくりと開いた。
中には一冊のノートが入っていた。
表紙には名前が書かれている。
『桐島美咲』
初めて見る名前だった。
ページをめくる。
そこには日記が残されていた。
『今日は新しい曲を作った』
『完成したら、みんなに聴いてもらいたい』
『三階の教室は静かだから好き』
さらにページをめくる。
文字が急に乱れ始めた。
『誰も信じてくれない』
『私の曲を完成させなければならない』
『忘れないで』
最後のページだった。
『私は消えても、曲だけは残る』
その下には、小さな写真が貼られていた。
そこに写っていたのは、あの女子生徒だった。
桐島美咲。
しかし、写真の日付を見た瞬間、悠斗は凍りついた。
二十年前ではなかった。
二十一年前だった。
学校新聞の記事とも、一年前のずれがある。
「どういうことだ?」
混乱する頭を抱える。
そのときだった。
教室に流れていたメロディーが止まった。
完全な静寂だった。
そして、どこからか声が聞こえた。
「音楽室へ」
女性の声だった。
次の瞬間、扉の鍵が外れる音がした。
カチッ。
悠斗は勢いよく扉を開けた。
廊下には誰もいない。
しかし、床には一枚の紙が落ちていた。
拾い上げる。
それは楽譜だった。
今まで見ていたものとは違う。
最後の数小節が書き加えられていた。
未完成だった旋律が完成していた。
放課後の校舎を走る。
向かう先は音楽室だった。
息を切らしながら扉を開く。
誰もいない。
静かな教室だった。
だが、ピアノの譜面台には一冊のアルバムが置かれていた。
ゆっくりと開く。
そこには二十年以上前の卒業写真が収められていた。
一枚ずつページをめくる。
そして、あるページで手が止まった。
桐島美咲の名前を探した。
しかし、その名前はどこにもなかった。
写真にも写っていない。
卒業名簿にも記録が残っていない。
まるで最初から存在しなかったかのようだった。
「そんな……」
背後でピアノの音が鳴った。
一つだけだった。
振り返る。
誰もいない。
もう一度、音が鳴る。
今度は二つ。
そして三つ。
ゆっくりと旋律が始まった。
悠斗は恐る恐るピアノへ近づいた。
譜面台の上には、完成した楽譜が置かれていた。
最後のページには、一行だけ書かれていた。
『最後まで演奏してください』
悠斗は鍵盤の前に座った。
指が震える。
しかし、なぜか音符の意味が理解できた。
ゆっくりと演奏を始める。
メロディーが流れる。
学校全体が静まり返っていた。
そして、最後の音を奏でた瞬間だった。
背後から、誰かの声が聞こえた。
「ありがとう」
振り返る。
そこには、一人の少女が立っていた。
窓際だった。
月明かりに照らされた少女は、小さく微笑んでいた。
しかし、その姿は少しずつ薄れていく。
消える直前、少女はゆっくりと口を開いた。
「写真を見て」
そう言い残し、彼女は闇の中へ消えていった。
悠斗は急いでアルバムを開いた。
そして、最後のページに挟まれていた写真を手に取った。
そこには、一つだけ空席が残されていた。
しかし、写真をもう一度見た瞬間、彼の顔から血の気が引いた。
空席は消えていた。
代わりに、一人の男子生徒が写っていた。
その人物は、静かにこちらを見つめていた。
南雲悠斗だった。




