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夢現にして虚ろ

 セーフハウスにはまだ氷付けの祐樹が居た。昨日のままの姿で、時間が止まっているかの様にピクリとも動かない。


「先輩遅いッス。もう始めようかと思ってたところッスよ!」


真っ黒なタンクトップにカーキのカーゴパンツを履いた女子が、頬を膨らませながら言った。ゴーグルを首に下げ、茶の髪の毛はあまり整っておらず、あっちこっちにハネている。


「ああ悪い。ちょっと用事があってな」

「用事っていうのは、そのずぶ濡れの制服に関係があるんすか。隣の女の子も? にへへへへへ! 二人で濡れ濡れッスね!」

「この極めて下品な子は誰かしら」

斑目(まだらめ)多々(たたら)。俺の知ってるハッカーの一人だ。俺が呼んだ。後で殴っていいぞ」

「どこまで?」

「天国でも地獄でも」

「酷いッス」


 肩を落として言った。が、その動作は道化めいていて反省などしていないことは明らかだった。すぐに「にへえ」とおどけ、勝手に自己紹介を始めた。


「斑目多々良。夢泉高校の一年生! 湊先輩の可愛い後輩っす。その方が愛染逢佳さんっすね。多々良のことは多々良と及びください! っす」

「あら、一年生なのね」

「いや去年学校をサボりすぎてダブっただけっすよ」

「どうどうと言うな反省しろ」

「今年はちゃんと出席日数書き換えてるから大丈夫。先月はデータ上欠席なし! ウチの学校はデータ管理がざるで助かるっす。……それは置いておいて、逢佳さんは私の特技を聞いてるっすか? ……おっと! その反応は知らないっぽいッスね。仕方ないなーもー」

 作業ベルトからスパナを抜き取り、黄昏時の様な瞳を細め――氷像を軽く叩きながら言った。

「――死体処理と、拷問。多々良は俗に廃棄人(ジャンカー)と呼ばれるハッカーっす」


 廃棄人はその名前の通り、ゴミを捨てる者だ。『ゴミ』の適用範囲は広い。電脳体すら廃棄人は『ゴミ』と呼ぶ。

 電脳体は修復院に送られる際、位置情報も同時に送信される。どこで負傷したかを修復院側が知るためだ。湊のようなハッカーにとって、これは都合が悪い。どこで戦闘行為が行われたかバレてしまう為だ。その際に登場するのが廃棄人だ。彼らは生殺しにされた電脳体を引き取り、位置情報を偽装して処分する。こうして都合の悪い事実を隠すのだ。

 また彼らがジャンカーと呼ばれる所以は、ゴミに価値を見出し、利用することからだ。そこで拷問である。彼らは真に価値のない『ゴミ』になるまで情報を搾り出す技術に長けているのだ。


「そうなの。便利ね」

「って、あれ?」


 多々良は意外そうに目をぱちくりとさせた。


「現実住みのお嬢様ハッカーなら十メートルくらいドン引きすると思ってたっす。愛染逢佳先輩。噂によるとなにやら自警団(ヴィジランテ)じみた活動をしてるハッカーらしい、と」

「私はそんなに品行方正じゃないわ。私を自警団(ヴィジランテ)か何かと誤解しているなら、今すぐその認識を改めること。私はハッカー。たまにいいこともするけど、基本的に他者を侵して情報改竄する者よ」

「……にへえ」


 悪戯っぽく多々良は嗤った。


「伊達に偏屈先輩と手を組んでるわけじゃあないっすねえ。これで正義がどうとか言い始めたら今すぐ帰る予定だったっす」

「やめてくれ。もう金は払ってるだろ」

「多々良にも仕事を選ぶくらいの理性は残ってるっす。最近多いんすよ。正義がどうとかうるさいハッカー括弧疑問符括弧閉じが。多々良のやってることは死体処理っすよ? ってことは、多々良に依頼する段階で他の人を損傷させる何かの処理が行われたってことっすよね? それが正義? 自衛すら悪行とのたまう人間が居るこの世界で? ば―かみたいっすよねー。だから多々良が一緒に仕事するのは、自分の行いがあくまで利己的で自己満足で自己中心的だと理解してる人間だけっす」

「わかったわかった。そろそろ仕事を始めてくれ」

「りょーかい。確認するっすよ。多々良は今からこの頭アイスクリーム君から情報を引き抜く。えーっと、そう転生者についてと、その親玉についてっすね。ところで転生者ってなんすか? まあいいっす。そしてその後電脳体をブッ壊す!」

「やりすぎるなよ」

「おっまかせー。理科室借りるっすよー」


 多々良は作業ベルトに下げている五センチ四方のキューブを四つ取り出す。多々良が投げるとそれは空中で変形し、四つのドローンとなった。それぞれ凍っている祐樹の四肢を掴むと、小さな機械からは考えられない力を発揮し、体を持ち上げた。

 それを確認した湊は、祐樹にかかっている凍結状態を解除する。全部ではなく、首から上だけだ。


「……ん……――ここは。僕は……、……! ちょっと待て何なんだだこの状況はどうして僕は浮いてるんだ!」

「あ、起きたっすね。おはよーごぜーえーます」

「降ろせ! 降ろせよ! 降ろせええええええええええええええええ!」


 動かぬ体がドローンによって運ばれている――異質な状況に祐樹は喚く。目の前には憎き祭葉湊、そして愛染逢佳。


「君か! 君の仕業なんだな! 説明しろ、これは何だ!」

「負けたハッカーの行く末なんて一つだ。気になることがあるなら、そこの廃棄人に聞けばいい」


 廃棄人――そう聞いて、祐樹の顔から血の気が引いていった。この後どうなるか、想像できてしまったのだ。


「先輩、この肉の六骸機能(マトリクスコード)は?」

「凍結済み。もう永遠に能力が発現することはない」

「待てよ、それは一体どういう――!」

「ハイハイ、おまいは多々良と遊ぶっすよー」


 ドローンを操作し、祐樹を教室の外に運ぶ。「すぐに戻るっすー」手をひらひらと振りながら、多々良は教室から出て行った。

 多々良の足音が聞こえなくなってから、静寂を破る様に逢佳が言った。


「自己中心的、ね。全くその通り。転生者だって人間、私は私のためだけに、彼らを踏みにじる」

「気にするな。藤代博にしろ、一之瀬祐樹にしろ。あいつらだって俺たちを踏みにじろうとしたんだ」

「私ね、怖いの」


 ふと、逢佳が本音を漏らした。


「――そうか」

「どうしてか気にならないの?」

「聞いてほしいのか?」

「ええ」

「じゃ、聞こう」

「……天邪鬼」


 淡々とした時間だった。湊も逢佳も、過度に感情を言葉に乗せることはしない。当たり前の様に、感情を幽かに見せつつ隠しつつ会話を交わしていた。


「死ぬのが怖いの」

「現実住みらしい感情だ」

「あなたは怖くないの?」

「電脳世界に死は存在しない。修復院に送られるだけだ。そも、今や死の定義が怪しい。肉体の崩壊か、意識の途絶か」

「前者よ――私の周りには死ぬことが怖くない、なんて言う人も居るわ。電脳世界というシステムが、意識の継続を保証してくれるから。けど、彼らはわかってない。電脳世界は現実世界の補助システムという立場をとりながら、一定の独立を保っている。まるで異世界よ。そんなところに放り込まれるなんて、怖いわ」

「でも、こうして電脳世界に接続してるじゃないか」

「ここは夢よ」


 湊は逢佳の言っていることを理解しかねた。だから、静かに逢佳の言葉に耳を傾ける。


「もう私達は夢を見ることはない、けど電脳世界という夢は見せられる。現実世界からここに接続してる人間にとって、電脳世界は夢の世界。眠っている間に見る作られた仮想の現実、仮想現実という名の空想……ここにあるものは、私にとっては全てコンピューターのデータ。都合よく組み立てられた計算世界。でも、あなたにとっては違うでしょう?」


 そうだな、と湊は肯定する。


「ここは間違いなく、俺にとっては現実だ」

「そのギャップが怖い。夢から現実へと切り替わる瞬間、私は何を思うのかしら。希望? 新たな世界を散策する喜び? いいえ、違うわ。それまで現実の補助に過ぎなかった拡張世界が、現実世界の人間にとって都合の良い異世界が――夢の世界が、現実(・・)として形になったなら。私はきっと、戸惑うでしょうね」


 突如、逢佳は六骸情報(マトリクスコード)に着替えた。


「電脳体に負荷がかかるぞ」

「能力を使わなければ平気。この力だって、元々は手に入れるつもりはなかったわ。けど、友達がハッカーの起こした事件に巻き込まれた時に、はじめて電脳世界が怖くなって、自分を守るために手に入れたの。そしたら、視野が広がった。ハッカーの世界を知って、電脳移住者の世界にいつの間にか近づいてて――」


 逢佳は無理に口角を吊り上げた。


「現実世界からは絶対見えないものを見てしまった。夢と現実のギャップに耐えられず、電脳世界という現実(・・)から目を逸らして、夢心地に、傍若無人に振舞う人たち。それが転生者。力で、暴力で、支配で、脅迫で――享楽に耽る悪意の権化(ブラックハット)。私はそんな人の蔓延る世界になんか行きたくないわ。でも、現実に彼らは存在するし、現実で私が死ねば否応無く彼らと関わることになる。そんなの嫌よ。だから、死ぬのが怖い。死ななければいい? いいえ、運命の女神は時として悪戯に微笑むの」

「ようやく、納得した」


 逢佳の話を聞いて、自然と出てきた言葉だった。


「お前が転生者を排除したいのは、自分が死んだ時の安全圏を確保するためなんだな」

「そうね。転生者は自分の死に酔ってる。転生って何かしらね。私達の死なんて、肉体の崩壊に過ぎないのに。意識の継続が保障されて、死が可視化された今、夢の世界――電脳世界だって紛れも無い現実なのに。転生者は自分は生まれ変わったと妄信して、現実への帰属を嫌って、まだ夢を見ている。私は電脳移住者になっても、現実を、おっかなびっくりでいいからちゃんと受け止めたい。彼らの悪夢に巻き込まれるなんて、絶対に嫌」


 逢佳の髪の毛が熱を帯び、薄く発光する。無意識の挙動だ。


 ――夢の世界か。考えたことも無かった。


 湊にとって、この電脳世界は紛れも無い現実だ。だが、現実世界の人間にとっては違う。電脳移住者は現実世界の人間にとってNPCのような何か、夢の世界を構成する擬似人格(キャラクター)に過ぎない。

 現実の住人にとって、電脳世界は夢の世界。

 電脳移住者にとっては、まぎれもない現実。

 だが、現実世界の住人から見た電脳移住者は―― 


「現実世界の住人にとって、俺は夢の世界の住人か」


 湊にとって、この世界は紛れも無い現実。


「それはなんだか――寂しいな」


 寂しい、と自然に吐き出したことに湊は驚いた。

 無関心で、無理はしない。余計なことと関わらない――それこそが湊のモットーで、平穏を守るための有効な手段だと湊はずっと信じていた。寂しいなんて言葉、本来なら出てくるはずは無いのだ。


「あなたにとってここが現実。私にとっても、ここは現実であるべき」


 逢佳は表情を隠して、言った。


「理屈では分かってるつもりよ……」


 湊の視界に仮想ウィンドウがポップアップしたのは、逢佳がそう言い終わった時だった。着信だ。表示は『斑目多々良』だ。


『どうした』

『ああ、やっぱり気付いてなかったっすね!』


 多々良の声には焦りが見られた。


『落ち着け、一体何が――』

『侵入者っすよ!』


そう聞いた瞬間、湊は六骸情報(マトリクスコード)を起動する。逢佳もそれを見て、緊急事態だと察した。

湊は黒板を見た。侵入者があればそこにマップが表示され、侵入経路が描かれるはずだ。しかし、何も描かれていない。


『視認したのか?』

『白衣と仮面の胡散臭い女! っす』

『そっちの状況は?』

『多々良は光学迷彩でなんとか。でも――あの冷凍肉はまだ理科室に――あ、やっべ気付かれた。多々良は逃げるっす! 先輩たちも早めに逃げたほうがいいっすよー!』


 そこで通話は途切れた。逢佳がそれを見計らって聞く。


「緊急事態?」

「戦えるか?」

「あなたは?」

「言われるまでも無く」

「ええ、私も」

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