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「話をしましょう」

 自由層(オープンレイヤー)は市民のために開放された層だ。交通は整備され、商業施設、興行施設、公共施設、文化施設、企業などが立ち並ぶ。要するに、ここは都市機能を集約した層である。

 中央に設置された『プラットフォーム』では他の緯電脳、各層への移動ができ、そこから碁盤の目の様に広がっている。

 湊と逢佳はプラットフォームに居た。


「デートっていっても、要するに誰かと遊びたいってことだろ」

「言葉の解釈についてはお任せするわ」

「お前の性格だんだん分かってきたからな。何でもかんでも大げさに表現するのが好きだと見える」

「……そうでもないわよ」


 喧騒の中、二人は並んで立ち、壁に背中を持たれかけてそんな会話をしていた。

 プラットフォームには多くの人が居た。ビジネスマン、主婦、学生、家族連れ、老人、ホームレス、くたびれた服の若者……そしてその全てが湊達の目の前を通り過ぎていく。まるで『時間』そのものだった。急ぎ足で移動するだけの存在、時計の針のような歩み。様々な人間がいれど、この忙しなく人が動き続けるプラットフォームでは誰もが『時間』という概念に囚われ普遍化していた。足を止めれば、時の流れに置いていかれる――そんな強迫観念。ハッカーである二人すら、そこではただの時の楔を打ち込まれた大衆だった。

 かち、こち、と。聞こえもしない時計の針の音を湊は錯覚した。意外な感覚に戸惑う。湊は平穏を愛する。何も無い、変化の無い日常(ルーチン)を。湊にとって時間とは日常(ルーチン)をこなすための指標に過ぎない。それ以上の価値などなかった。

 だからこのおかしな錯覚――時間を大切にしろと迫る強迫観念――に襲われたのが不思議でならなかった。

 二人の間に沈黙が訪れていた。歯痒い時間だった。湊にとっても、逢佳にとっても。堪らずに、湊は言った。


「……で、これからどうするんだ?」

「お任せするわ」

「……何も考えて無いのか?」


 だって、と逢佳は言って、


「いつもは友達にくっついて行くだけだもの、こういうとき何をしていいのか分からないわ」

「俺もだよ。今日もそのつもりだった。……お前、経験が豊富そうだから大丈夫だと踏んできたわけだが」

「経験って?」

「モテるだろ、お前」


 逢佳はその言葉を一瞬理解できなかった。数秒を要し、ようやく意味を理解すると驚き、目が点になった。


「私、男の子と二人でお出かけなんて始めてだわ」

「それは嘘だ。……嘘だろ?」

「本当よ。そういえば蓮華……私の友達よ――に言われたわ。『彼氏いないの? 嘘でしょ……分かった。あんたは美人過ぎて誰も近寄らないのね』だって――別に、私はそんなに綺麗じゃないのに」

 湊は、それこそ顎が外れそうなくらい驚いた。一体この女は何を言い出すんだ、と。

「お前、男子の間で何て言われてるか知ってるか?」

「知らない。どういわれてるの」

「『女神すら逃げ出す美女』」


 湊は恥ずかしくなってきた。客観的な噂を伝えただけなのに、まるで自分の感想を伝えているような気分になったのだ。


「ふ、ふふ……ふふふ。なにそれ、おかしいわ」


 逢佳は思わず笑ってしまった。自分がそう評されていることなんて知らず、あまりの誇張表現に滑稽と思えたのだ。


「女神、女神ね。ふふふ。あなたはどう思う?」

「どうって、まあ、いいんじゃないか」

「違うわ。あなたの言葉で教えて欲しいの」

「……この後どうする?」

「誤魔化さないで」


 視線を合わせずに会話をする。湊は逢佳の表情を見ることができない。自分の顔を見せることが出来ない。

 どう答えるべきなのだろう、と考える。湊は女子と話すのは数年ぶりだった。中学校時代――まだ湊が現実世界で暮らしていた頃は女友達が居た。それっきりだった。褒めるべきなのか、誤魔化すべきなのか――考えた末に搾り出した答えが、


「綺麗だ、と、思う……」

「どこら辺が?」

「……睫毛とか?」

「疑問符が無ければもっと嬉しかったわ」

「……うるさい。大体、彼氏彼女でも無いのにそんなことを聞くな。答えにくいだろ」

「それもそうね」


 そこでまた会話が途切れた。またもどかしい時間が訪れる。何となく気になって、湊が横目で逢佳を見ようとする。しかし、逢佳はそれに気がついて横を向いてしまった。


「この後、どうしましょう」

「映画とか」

「それはちょっと難しいわ。私は九時までしか電脳世界に居られないから、二時間も拘束されるのは、ね。そういえば、あなたはいつも何をしているの?」

「俺か? まあ和馬と遊んだり、部屋で本を読んだり、あとは散歩したり……それで、公園でぼーっとして帰る。あそこはいい、お気に入りだ。何せ、人とほとんど会わない。静かで、平和そのものだ」

「それいいわね。私も静かなのは好きよ。そこに行きましょう」


 プラットフォームに着てから、初めて湊と逢佳の視線が交差した。逢佳は期待の目で湊を見ている。


「私達は協力関係。だから、お互いのことをもっと知るべきだと思うわ。私はね、あなたが普段見ているものを見てみたい」

「ただの公園だぞ」

「それでいいのよ。さ、早く案内して」

「おわっ!」


 逢佳が湊の手を引き走り出す。先ほどまでの気まずさはどこにも無かった。


「ねえ、そういえばさっき私を綺麗って言ったわよね」

「蒸し返さないでくれ……」

「あれ本心?」


 湊は言葉に詰まる。しかし、誤魔化そうとすると逢佳がさらに追求することを学んだので、素直に答えた。


「そうだよ。お前は綺麗だ。俺の人生で、お前ほど綺麗な女子は見たことが無い」

「そうなの。ありがと」


 そっけなく返事する。湊は逢佳の握る手の温度が少し上がったことに気がついた。



 湊の言うお気に入りの公園――霧ヶ峰公園にはすぐにたどり着いた。テニスコートや多目的フィールド、室内プール等が設置された総合運動公園だ。そこは木々に囲まれ、四季折々の姿を見せる公園だった。しかし歓楽街から離れているからか、人の姿はあまり無い。

 ジョギングコースを湊と逢佳は歩く。ここに来るまで――ここに来てからも、二人は思いつく限り色んな事を話していた。


 ――「一人暮らしなの?」「そうだ」「お金は?」「電脳世界は色々コストが低いから、補助金とアルバイトでまかなえる。学費も、寮費も」「ご両親は?」「どうしようもない人間だった。あいつらは――……」「……ごめんなさい。悪いこと聞いちゃったわ」「いいさ、たまにあいつらの悪口を言うとすっきりする」「私の親は良く海外に出張するから、中々会えないの」「寂しくないのか?」「妹が一人いるわ。家政婦型アンドロイドもいるし、苦労はしてない」「妹?」「そう。手のかからない妹よ。まだ中学三年生だから、電脳には接続できないの……かわいいわよ?」「お前レベルの人間がまだいるのか……」「ふふふ、母はモデルで父はレッドカーペットの上の人」「納得した……。そういえば、現実世界は最近どうなんだ。どうしてもその辺疎くて」「宇宙ゴミ問題、知ってる?」「知らん」「地球の周りの宇宙ゴミが多すぎてロケットが飛ばせなくなってるの。おかげで宇宙開発はストップ、今国際レベルで対策を協議中」「現実世界らしい出来事だな……」――


 ふとして、湊が立ち止まって言った。


「そうだ。星を見に行こう」

「星……?」


 逢佳は空を見上げた。電脳の空には星が瞬いている。それは再現され、投射された夜空に過ぎないが再現度は非常に高い。


「星ならここからでも見えるわ」

「いいから」


 逢佳にとって意外だったのが、湊が『提案』をしてきたことだった。逢佳から見て、湊はそれほど積極的な人間ではない様に思えたからだ。

 逢佳は湊の後ろについて行った。アスファルトで整備された道からはずれ、芝生を踏んで歩く。その先にあったのは、一面に広がる水面だった。公園の面積の三分の一の大きさを誇る、巨大な池だ。

 逢佳はようやく湊が見たかった物が何かを理解した。


「これは……」


 視界一杯に夜空が広がっていた。空だけでなく、水面に夜空が映っていたのだ。


「すごいわ……!」

「どこもかしこも街灯がある電脳世界は意外なほどに明るい。けど、ここは灯が少ない。公園管理者は分かってるな。さらに歓楽街から外れてるから、人工の光もほとんど届かない。知る人ぞ、っていう場所だな」


 地平線の線対称。水月鏡像の揺れる水面、星々の沈む透明。波紋は心を揺らす。月に群雲は無く、花は湊の隣に居た。


「まるで夢みたい!」

「キャラが変わってるぞ。――夢、夢か」

「そう、夢。現実の人間は、もう夢を見ることがほとんど無い。だって、みんな電脳に繋いでいるから。仕事のため、学校のため……それに、誰かと夜空なんて見ることはないわ。皆すぐに眠って、電脳世界に来てしまうから。だからこれは夢。私は月の下で白昼夢を見ているの。そういえば、電脳移住者は夢を見るの?」

「こっちに来てから、夢らしいものを見たことが無いな」

「じゃあ私の夢をあなたも見ましょう」


 逢佳が湊の手を掴む。逢佳の髪が青くなった瞬間、湊はこの後に起こる展開を直感し、半ば諦め状態となった。

 逢佳が湊を掴んだまま池に飛び込んだ。幸い池は極端に深くなく、膝下程度の浅瀬だった。


「……いきなりはやめてくれ」

「いきなりじゃなかったらよかったの?」

「駄目と言ったところでお前は飛び込むだろ」

「あら、私のこと分かってきたのね。わがままなのよ、私は」

「直せ」

「えいっ」


 逢佳が水を掛けた。湊の辛うじて濡れていなかった髪の毛がずぶずぶになり、今朝気から水が滴った。


「べーだ」

「構えろこの性悪」


 水の掛け合いが始まった。湊も逢佳も、制服が濡れようが口に池の水が入ろうが、制服が透けようがお構いなしだった。ただ気に食わなかったから、楽しいから、意趣返ししたいから。そんなシンプルな思考状態は、かえって押し込められたはずの懐疑を噴出させた。

 逢佳は夢を見ている様だった。現実世界の人々が捨てた、無駄な時間に思いを馳せた。

 湊は夢を見ている様だった。どこか遠くに捨ててきた、安らぎの空想だった。

 どうしてだろう、と湊は思った。昨日出合ったばかりなのにまるで、昔から知っていたかのように思えた。

 なぜだろう、と逢佳は思った。湊との距離が近すぎると自覚していたからだ。心の距離だ。

 ふと、逢佳が手を止めた。それを見た湊も水面から手を離す。


「……ねえ」

「ん」

「楽しいわね」

「……ああ」

「――私達って、なんだか似てるような気がしない?」

「どこら辺が? 俺はクラスの隅に居る目立たない男。お前は学園のアイドルだ。似ても似つかない」

「理由は私も分からないの。でも、あなたなら分かっている様な気がして――」

「……君達、そこで何をしてる」


 ぎょっとして湊は声がした方を見た。逢佳すら体を強張らせている。二人にとっては聴きなれた声。最も脅威レベルの高い女性の声だ。


「全く、高校生にもなって水遊びか? んん?」


 東上メルカ二年四組担当教員が陸地に居た。


「陸地に上がれ、夜風は冷えるぞ」


 教師にそういわれては、二人は池から出るしかなかった。

 湊は驚く。水を吸った制服は重く、こんな物を着てはしゃいでいたのか、と。ぬるい感触がまとわりつき、不快だった。それは逢佳も同じようで、ブレザーを脱ぎ、スカートの端を握って水を搾り出している。


「……」


 湊は目をそら すことにした。色々と目の毒だった。透けたシャツとか。


「全く、君達は楽しそうだな。絵に描いたような青春だ。……茶化していいか?」

「やめてください」

「ま、ほどほどにな」

「東上先生はどうしてここに? 散歩ですか?」


 逢佳がそう聞いた。メルカはタバコに火をつけながら「まあな」と答えた。


「探し物だよ。ところが困ったことに、どこに落としたか全く検討がつかない。ともかく、めぼしい場所を歩き回るしかないのさ。それで公園をふらふらしてたら、君達を見つけてしまったというワケ。正直以外だった。まさか祭葉と愛染に交流があったなんてな。それも二人でこんな場所で……」

「別にそういう関係では無いです」


 そういう関係、とはいうまでもなく男女交際のことだ。湊は焦って言い訳する。しかしメルカは、


「不純異性交遊は認めないが、カップルの成立を応援してるぞ」


 と言い切った。


「……保護者が聞いたらクレームものですよ、それは」

「言わなくてもクレームは来る。暇なのだよ、あいつらは。ともかくクレームをつけて、改善ごっこ(・・・)の末に学習環境を整えた気になる。迷惑この上ない。アレは意識高い系上司と同じだ。恋愛大いに結構、それは心の拠り所を見つけること、子供には必要なことだ」

「愚痴ですか?」

「愚痴だよ愛染。愚痴は電脳から現実に帰るまでの余興、教師は大変なのさ。夜は仕事。目を覚ませばまた仕事。保護者からの電話片手にキーボード叩いてデータ整理、タブレットで猫の動画を見ているうちにまた出勤時間。最悪だこの公営ブラック企業め」

「転職しましょうよ。転職」


 それに対してメルカは苦笑しながら答えた。活き活きと――目の下の隈など忘れたかのように。


「それが転職はしたくないんだな、これが。何故って、やっぱり子供は可愛いから。子供以外はどうしようもないが、子供は本当に可愛いし大好きだ。君達の成長を見守ることが私の生きがいで、君達の幸せそうな姿が私の幸福だ」

「生徒の前で恥ずかしくないんですか?」

「恥ずかしいことなどあるものか。これが私の誇りだ。子供にプライドを語れぬ大人など、今すぐ自決するべきだ。あー……そうだ。愛染、ちょっといいか。ちょっと耳を貸せ」

「なんしょうか」

「いいから。ああ、祭葉はそこにいろ。女同士の話だ」

「……はあ」


 湊は釈然としなかったが、理由を求めるのも無駄な気がして、その場で二人の会話が終わるのを待つことにした

 メルカは逢佳の耳に顔を寄せ、小声で言った


「祭葉は――ずっと一人だった」


 知ってる、と逢佳は小さく頷く。


「だが、勘違いしないで欲しいのが、あいつは人付き合いが特別苦手と言うワケじゃない。中学校から送られてきた資料を見ても、祭葉は極めて普通の生徒だ」

「じゃあ、一体何が彼を変えたのですか?」

「知らん。私が言いたいのは、あいつはあえて人付き合いを絞っていると言うことだ。――お前達、似てると思わないか?」

「……」


 逢佳は黙った。


「――じゃあ、私は行く。割と大切なものを探してるのでな」


 また明日学校で会おう、と付け加えてメルカは去っていった。

 その後ろ姿を見ながら湊は言う。


「そろそろ俺たちも行くか」

「……そうね」


 細い声だった。


「体調でも悪いのか?」


 気を使って湊は問うが、逢佳は「なんでもない」と答えるだけだった。湊も「そうか」とだけ答える。


「じゃあ、セーフハウスに移動するか」


 そう行って、湊は逢佳を先行した。


 ――どうしてなのかしらね。


 逢佳は近すぎる心の距離に戸惑っていた。湊相手に、好意をちらつかせるのを止められないのだ。相手の心に土足で踏み入っているかのような気持ちだった。そうまでしても、湊に接近したいのだ。

 似ている、と。湊の後姿に鏡写しの自分を見た。だが、理由は分からなかった。


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