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道は険しかった。
バス停から降りて30分は経っただろうか。車一台が何とか通れそうな細い道を進む。
すれ違う車も人も誰もおらず、周りは背の高い広葉樹が生い茂りひんやりとして薄暗い。
バス通りから離れてしまったので聞こえてくるのは木々の間を飛び回る鳥の鳴き声と風で揺れる葉擦れの音だけであった。
「車がないと不便で生活するには大変だね。夜なんて外灯もないからきっと真っ暗だよ」
ハイキングに来たかのように軽快に歩く美鈴と対照的に陸は不満顔で足取りが重い。
「車があったって俺はこんな山の中無理。
それに、こんな歩くって分かっていたらコインロッカーに荷物置いてきたのにさぁ…」
「ったく、陸は体力ないな」
ため息をつく陸に美鈴は笑った。
しかし、暫くすると美鈴はポツリと言った。
「ここ行ったら、帰ろうか」
美鈴の顔からは笑顔は消えていた。
「どうしたの? まだ確認してないとこあるよね」
「うん…でも帰ろう」
「なに?またネガティブな考えしてるの? 俺に気遣いしてるとか」
陸の言葉に美鈴は苦笑いした。
「気を遣ってくれてるの陸の方だよ。 今回の事もそうでしょう」
「まあそうかもしれないけど、俺も裕助さんのことは心配している。
普段出掛ける時は、いつも声かけてくれるし、ましてや美鈴に言って行かないなんてさ」
何も言わずに黙っている美鈴を見て陸はさらに続けた。
「それに裕助さんがいなくなってから、平気そうな顔してるけど全然大丈夫じゃないんだろ。カラ元気なのが見てありありなんだよな」
「そんな事…」
「ありだよな」
陸の言葉に美鈴の顔は下に向けられた。
「裕助と出会ってから6年経つんだけど、思えばずっと支えてもらってきたんだ。当たり前のように裕助がいて過ごしていたのに、裕助の事、何も知らなくて分からなくて探し出す手立てが見つからない。すごく情けなくて、ただ一方的に寄り掛かっていたんじゃないかって思う」
「そんな事ないよ。美鈴は頑張ってたよ。
それに裕助さん、美鈴と一緒の時楽しそうにしていたし一方的な関係には見えなかった」
陸の言葉に美鈴の表情は緩まる。
「ありがとう、陸」
美鈴の顔を見て陸の口が少しつぼまる。
「なんか、焼ける」
「え?」
分からない顔をしている美鈴に陸は言った。
「なにも。 ただ隣にもいい男がいるのに美鈴はちっとも分かってないよなって事」
陸の言葉に美鈴は笑う。
「いや、そこは笑うとこじゃないだろ」
不満顔の陸だったが美鈴の笑顔に一緒に笑い出す。
和んだ二人が再び目的地に向かって歩を進めている時だった。聞き覚えのある低めの穏やかな声が二人に声を掛けてきた。
「お二人さん、ここは私有地だよ。 それとも、何か用があってきたのかな?」
驚いた二人は、声のする方を振り返った。
そこには無精ひげを生やした長身で体格のよい男性が立っていた。声の調子、人懐こそうな瞳は二人が知っている人物にそっくりであった。
「裕助さん? あんた裕助さんだろ!」
陸が興奮して叫ぶ。
しかし、林道の木々の間から突然出てきた男性は陸を見てそれから美鈴を見ると首を振った。
「いや。俺は、楓というが君たちは?」
楓と名乗った男性の言葉に二人は黙ってしまった。
「俺達は…」
陸は黙ったままでいる美鈴を見た。
「人を捜しているのかい?」
楓は穏やかな口調で美鈴の方を見ると目元を少し緩めて尋ねる。
美鈴はそんな楓の仕草を見ると視線が下がっていく。
「俺達、佐波さんっていう人を捜しているんだけど…」
陸がそこまで言った時、林の奥から女性の声がした。誰かを呼んでいるのだ。
陸は言葉を止めて声のする方が見た。
「あき、こっちだ」
楓も声のする方へ向くと声を掛ける。暫くすると、低い木々の間を掻き分けるようにして女性が出てきた。美鈴と同じくらいの年頃であろうか。大人しそうなかわいらしい女性で何か山の中で採っていたのか、30センチほどの手持ちの籠を持っていた。
あきと呼ばれた女性は、二人の顔を見てから楓を見た。
「人を捜しているそうだよ」
楓はあきの背に手を置くと先程と変らない調子で言う。
楓の言葉にあきの表情が何か少し強張ったように見えた。
「勝手に私有地に入ってすみませんでした。楓さんが言うように人を捜しに来たんです。何かこちらで分からないかと思って」
美鈴の言葉にもあきは目を合せようともせず楓の後ろに隠れるように立っている。
「どんな人だい?」
「佐波裕助さんって言って、30過ぎの男性で背格好があなたに似てるんです」
美鈴の言葉を続けて陸が説明をする。
陸が話している間もあきは顔を上げずに、二人とは違う方向を見ている事に気になった。
しかし、視線を楓に移すと目が合う。短髪の裕助より長めの髪は眉まで伸びていたが黒い穏やかな色の瞳は裕助と変わらない。口の周りと顎に生えている髭は山男のようであった。そして体全体よく日に焼けている。
楓は、陸の話を黙って聞いていたが話が終わると尋ねた。
「で、最初に聞きたいんだが、その佐波さんはここへ行くと言ってたのかい?」
二人はまた黙ってしまった。
しかし今度は美鈴が答えた。
「いえ、言ってません。 でも佐波の自宅にこちらの地名と陶芸家と書かれてあったメモ書きを見つけたので、もしかしてと思って来たんです」
美鈴の言葉に楓は黙って考えているようであった。
「悟さんに会って話を聞いてみるかい? 悟さんは陶芸家だからな」
楓は、自分の後ろにいるあきを見た。
「大丈夫だろ、あき」
楓の言葉にあきは顔を上げた。
「仕事中だったら会えないかもしれないけど…」
あきの言葉に楓は頷いたが二人の方を向く。
「せっかくここまで来たんだし、行くだけ行ってみるかい? また来るのも大変だろう」
陸が返事をするのを聞いて楓は頷く。
「じゃあ、行こうか」
楓はあきの背を押して歩き出した。
二人が並んで前を歩く姿を美鈴は複雑な思いで見つめながら陸と後に続いた。
楓とあきに会った場所から10分程歩いた場所に遠野悟の家はあった。開けた場所に平屋の木造の小さな家と作業場らしい小屋があった。小屋の横は窯らしい。少し離れた場所には納屋があり軽自動車が止まっていた。その横には小さな畑もあった。家に着くとあきは家の中に入ってしまったが、楓は二人を外に待たせて作業場へと入っていった。陸と美鈴は楓が出てくるのを待っていた。辺りを見回すと小菊が花を咲かせておりハナミズキの木が植わっており赤い実をつけていた。蝶がひらひらと何羽も飛んでいてゆったりとした時間が流れている場所であった。
「あそこまで似ている人って世の中にいるものなのかな」
陸は地面に転がっていた小石を蹴りながら突然に言った。
「うん……」
曖昧な返事に陸は横目で美鈴を見た。
「でもさ、何か変な気がするんだけど」
美鈴が陸の方に顔を向けた時、作業場の扉が開いて楓が出てきた。
二人は楓の表情を見て遠野悟とは会えない事が分かった。
「悪いな。 今、悟さんは手が離せなくて暫く無理そうなんだ。 佐波さんの事は聞いたんだが知らないそうだよ」
楓は申し訳ない顔で教えてくれた。
「そうですか…分かりました。お忙しいところすみませんでした。ありがとうございます」
美鈴は楓にお礼を言うと頭を下げた。
「いや…、協力できなくてすまなかったな」
少し首を傾けながら美鈴と話す楓をじっと見ていた陸が突然に尋ねたのだった。
「立ち入った事聞くけど、楓さんとあきさんは恋人同士なんですか?」
美鈴と楓は驚いて陸を見る。しかし、楓は可笑しそうに笑った。
「本当に突然に立ち入った質問だね。まあでも、そんな関係かな」
楓の言葉にツキリと胸が苦しくなるのを美鈴は感じた。
そして、じわじわと目元に涙が浮かんでくることに気が付くと慌てて二人から顔を反らした。
「美鈴?」
陸の声に涙がこぼれないように上を向きながら誤魔化す。
「何でもない」
陸は、美鈴の方へ来ると肩に手をかけて覗き込んできた。
美鈴は慌てて涙をふくと笑って陸から離れる。
「ごめんごめん。本当に何でもないから。なんか気が抜けただけだよ」
楓も自分の方を見ている事に気が付くと両手を振って照れ隠しをする。。
「すみませんっ。 やだなぁ…まったく」
顔を赤くしながら美鈴はぴょこりとお辞儀をした。
「本当にありがとうございました。それじゃあ、私達帰ります」
「あ…、そうだね」
陸も戸惑いながらも楓の方を見ると小さく頭を下げた。
2人を見ていた楓の瞳は何か遠くを見る。
「半年前に…」
突然の楓の言葉に陸は、驚いたように楓を見た。美鈴には聞こえなかったらしく違う方向を向いている。
しかし、楓はそれ以上言葉を続けることはしなかった。自分を誤魔化すように前髪をかき上げると首を振った。
「いや…なんでもない。 気をつけて」
あきが家から出ると、外には楓が一人立っていた。
「二人とも帰ったの?」
あきの言葉に楓は振り返る。
「ああ。帰った」
あきの表情は、言おうか言うまいか迷っているようであった。そんなあきを見て楓は静かに笑った。
「昼ご飯ができているかな?できてるとと嬉しいんだがな。腹ペコなんでね」
あきは顔を上げると嬉しそうに笑って頷いた。
「できてるよ。呼ぼうと思っていたの。父さんも仕事終わっているかもしれないから見てくるね」
「ああ」
小走りで作業場へ駆けて行くあきを見送りながら楓は自分の額にある傷に触れた。
「佐波裕助……それが、俺の本当の名前なのか? 俺がここにいることで悲しむ人間がいるのか? あの子のように…」
木々の枝葉、庭の小菊が風で揺れている。
楓の心も小さな風に揺らされていた。
二人は黙ったまま林道を歩いていた。
陸は歩きながら美鈴の顔を何度か見て何か言いたげにしていたが結局何もいえないでいた。
「さっきは、ごめんね」
先に言葉を発したのは美鈴であった。
「なんか本当に情けなくて楓さんにも失礼をしてしまったな」
自分の気持ちを誤魔化すように話し出す美鈴に陸は首を振った。
「違うよ。俺が悪かったんだよ」
陸は足を止めると美鈴を見た。
「俺、あの人たちが恋人同士だったら美鈴も諦めがついて割り切れるかなって酷い事思ったんだよ」
「諦めるも何も、あの人は楓さんだって言っていたよ」
美鈴の視線は下へと下がる。
「本当にそう思ってる? 美鈴、嘘ついてるよな」
陸の言葉に美鈴は顔を上げた。
「俺は、あの人は裕助さんじゃないかと思っている。別れ際にあの人前髪をかきあげたんだけどその時、額に傷があったのが見えたんだよ。もしかしたら怪我して記憶が無くなってるのかもしれないって思ったんだ」
陸の言葉に美鈴は驚いたようであったが黙ったまま聞いている。
「美鈴、裕助さんのこと好きなんだろう。だからあの人の言葉に傷ついて泣いちまったんだろう。 なあ、いまから戻って聞いてみよう。遠野さんって人の仕事が終わるまで待ってたっていいからちゃんと聞いた方がいいよ」
陸は美鈴の腕を掴むと声を大きくして言ったのだが、美鈴は陸を見つめたまま静かに言った。
「聞きに行っても何も変わらないよ」
「なんで? もしかすると思い出すかもしれないだろ」
陸は、美鈴の様子に苛立って眉間に皺を寄せる。
「思い出しても裕助はきっとこの場所に残る。裕助があきさんとの関係を恋人って言ったんだからあきさんを置いて行くことはないと思う。裕助はそんなヤツだから」
「……っ」
陸は黙って美鈴を見ていたが掴んでいた腕を離した。
「でも本当は裕助の口からその言葉を聞くのが怖いだけなのかもしれない」
美鈴の言葉に陸はじっと見つめたまま黙ってしまった。
本当ならここで疑問に思っている事を全て聞いてもらって楓の言葉を聞きたかったが、美鈴の気持ちも分からないではなかった。
「美鈴はそれでいいんだな」
美鈴は顔を上げると頷いた。
「ごめんね。ありがとう」
お礼を言う美鈴の顔は笑っていたが、割り切れた訳ではない事も陸は分かっていた。
美鈴の気持ちが混乱しているこの場で、もう何も言うつもりはなかった。改めて楓の所にも聞きに来れば
いいのだ。陸は、前を向くといつもの調子で言った。
「んじゃ、早く帰ろうぜ。俺腹減ったんだよな」
美鈴は笑いながら時計を見た。
「という事は、バス停まで後15分で戻らないとお昼にありつけないな」
陸は自分の腕時計を見る。
「ちょっと待ってよ。確かそのバス逃すと2時間後じゃなかったっけ?」
「そうそう、大変だよ」
美鈴はそう言うと走り出す。
「あ、美鈴ずりぃ!」
美鈴の後を追って陸も走り出す。
まだまだ緑が濃い木々の間を二人は消えて行った。
美鈴はネガティブな性格なのですが、今回は特にネガティブかもしれません。
自分のことになるとてんでんダメな人なのでした。陸とは対照的ですね。




