第五話 緑と右京、パンとドーナツ
わいわい がやがや わいわいわい
前庭の一角に、パンの移動販売車が数台来ている。柏沼市の南部にある三本松農園とハニーファーム、柏沼市東部にある柏沼市給食パン組合のものだ。
「これこれ! わたしの大好物っ! 役所に入ってまた買えるとは思わなかったーっ」
緑は、三本松農園のコケモモパンを五つ購入。前庭の花壇前にあるオシャレなベンチに腰掛け、春霞がうっすら滲む青空を見上げながら、それを頬張っている。
「よぉっす、みーどり!」
「あ!(もぐもぐ) うふょうへんはーい!(ごくん) 右京先輩も、パンですかー?」
「まーねぇ。今日は新年度でバタバタしてさ、外に食べに行くのも、今のご時世ちょっとねー」
「そーですよねぇ。『新型デビオウイルスⅡ型変式』が、まだまだ怖いですもんねー」
「緑も気をつけなよ? 職員がデビオにかかったら、とんでもないんだからなー?」
「そ、そうなんですか!」
「そうだよ。庁舎内を消毒したり、同じ係の人が濃厚接触者指定だと、完全業務ストップだよ」
「うわぁー。そ、それは、大変ですね確かに」
「まったくさぁ。デビオが流行ってからもう二年経つのに、やんなっちゃうよ本当に」
右京は溜め息をついて、緑の隣に一人分の間を空けて座った。
「今年はもう、令和三年じゃないですか。いつまでこれ、続くんですかねー」
「さぁなー。なんでもいいから、早く終わってほしいよ。堂々と旅行も行けないし」
「右京先輩、しばらく旅行とか行ってないんですか?」
「堂々とは、行ってないなー。まっ、感染対策しながら、隠れては行ってるけどさっ」
「あははは! やっぱりぃ! 右京先輩が家に籠もってるの、想像できませんし!」
「緑、ここだけの話だかんね? あんただからアタシはぶっちゃけトークしてんだからさ」
「だーいじょぶですって! わたしが右京先輩の秘密、漏らしたことありますー?」
「うーん。ないなー?」
「ないですよぉー。あはは! いーなぁ。わたしも、また、旅行とか行きたーい」
「もーちょい、この流行り病が落ち着いてきたら、どっか行こうか!」
「え! やった! 行きましょう行きましょう! わー。楽しみだなぁ!」
「とりあえず緑は、まず、課の仕事や流れ、雰囲気に慣れないとなー」
右京は、膝の上に置いたハニーファームの袋から、ハチミツオレンジドーナツを手に取り、一気にばくりと頬張った。もぐりむぐりと、数回噛んで、あっという間にドーナツは消えていった。
「ところで緑、どうよ? 学校教育課の雰囲気は?」
「そうですねー。まだ、何が何だかわけわかんないですねー。さすがにバタバタですー」
「まっ、それもそっか! 新年度の初日じゃあな。アタシもバタバタだよ」
「そういえば、福島主査と足立主任がちらりと話してたんですけどー・・・・・・」
「ん?」
「わたしが入る前って、昨年度、右京先輩が今のわたしのところにいたんですか?」
「あー・・・・・・。まぁ、そーだね。アタシ、一年で異動になっちゃってさぁ・・・・・・」
右京は苦笑いしながら、ボーイッシュな髪を指でクルクルといじっている。
「なーんだ、そうだったんですね! だったらわたし、右京先輩に聞けばいいんだー」
「ま、まぁ、アタシも一年しか学教にいなかったから、聞かれても微妙かもなんだけどー・・・・・・」
「いーですいーです! これで、いつ引継書がなくても、平気だー。やったー」
「ん? どーしたんだ? 何かあったの?」
「いや、午前中なんですけど、わたしの机の引継書がない騒ぎがありまして」
「え? アタシ、福島さんに頼んで、引き出しに入れてったんだけどなぁ」
「あ、引継書自体は見つかったんですけど、同期の子が勘違いして持っててー・・・・・・」
「あー。あんたの同期って確か、紫前っていう・・・・・・」
「はい! なんか、しっかりしててすごい子です! わたしもいろいろ見習わなきゃ」
緑は、青空に流れゆく雲を見つめながら、コケモモパンをぱくりと頬張る。
「そういえば先輩、紫前さんの席にいた前任の人って、どこに異動したんですか?」
「え? ・・・・・・あー。うーん・・・・・・。どこに、かぁ・・・・・・。言っていいんかな?」
「どうしたんです? まさかっ、なんかヤバイことをやらかした、とか!」
「ばか! そうじゃない! そーじゃないんだけど、ちょっと、精神的に病んじゃって・・・・・・」
「え! あっ、そ、そうだったんですね。すみません! わたしー・・・・・・」
「ま、しゃーないよ。あれは、無理だ。うん。退職した方がある意味よかったくらいに・・・・・・」
「退職って・・・・・・。そんなに病んじゃったんですか? ベテランの人とかですか?」
「いや、アタシと同期の子だったんだけどさ、何というか、ストレスで壊れたというかさ・・・・・・」
「えーっ! 先輩、今年二年目って言ってたから、じゃあ、新人の時にってことですか?」
「まー、そうだなー。・・・・・・アタシもけっこう、ヤバかったんだよなー、正直・・・・・・」
「えっ! 右京先輩も、ですか? 学校教育課で?」
「・・・・・・ま、まぁ。そーだね。・・・・・・いや、アタシは、何とか粘って壊れずに済んだけどさ」
「ええええ! わたしの知る超チャキチャキで男勝りな右京先輩が、そこまでなんて!」
「とにかく、何つーかさぁ・・・・・・。うん。ヤバかったね! マジでやばかったんだー」
「うへぇー・・・・・・。なんかわたし、別な意味で緊張してきました」
「だから、緑に話すのは躊躇ったんだよー。まだ入りたてだしさ。でもなー、事実だかんなー」
ドーナツをあっという間に食べ終えた右京は、大きく息を吐いて真上の空を見上げた。
「(な、なんか、ヤバそうー。わたし、気合い入れて頑張んなきゃっ!)」
緑はせかせかとパンを食べ終え、小さなペットボトルの紅茶をごくりと一口、飲んだ。
「とりあえずアタシはさ、今年はいい上司に当たった感じだね! 何とか、やれそうだ!」
「そうなんですか! えっと、生涯学習課では、どんな係なんですか?」
「青少年リーダー育成事業とか、男女共同参画とか、まぁ、いろいろだね! 幅広いわ!」
「わー。なんか、すごそう! リーダー育成とか、右京先輩なら天職なんじゃ?」
「まーねぇ! とにかく、一緒に組んでる安嶋副主幹がもう、仕事できまくる人でさーっ!」
「へー。安嶋副主幹・・・・・・。すごい人なんですね! ベテランなんですね!」
「それがさ、何と副主幹も今年度アタシと一緒に異動してきて、初の業務ばっかりなんだって!」
「ええっ!」
「初日の午前中だけで、『あ、この人すごいや!』ってアタシは思ったね!」
「そうなんだー。右京先輩の直感って、すごいからなぁー」
「年間ビジョンや、今週や次週になにをどこまで進めるとか、初日から指示が的確でさ!」
「へぇーっ」
「いや、正直こう言っちゃあれだけど、昨年度までは金沢補佐と福島さんが上役だったからさー」
「あー・・・・・・。まぁ、うん、そうですねー」
「アタシも役所内ではまだ二年目だけど、上司のタイプを見極めるのは、目が慣れてきたわ」
「そっかぁ! すごいなぁ右京先輩は!」
「緑? これはアタシからの入庁祝いとして言うんだけど、よく聞いて?」
「え! は、はいっ!」
「適当に、頑張りすぎずを、頑張ること!」
「・・・・・・は?」
「まっ、そーいうこと! 緑は真面目すぎる点もあるからさ! ま、これから楽しくやろうよ!」
「はいっ! 頑張らないように頑張ります!」
「頑張らないようにじゃなく、頑張りすぎずを頑張るんだってば!」
「難しいなぁ」
「まっ、近々、飲みにでも行こーよ! もちろん、こっそりと、感染予防してね」
「はい! 行きたいです!」
「じゃっ、またな! アタシ、午後はさっそく打ち合わせがあるんだった。準備しなきゃ!」
「あ! そうなんですね! 頑張って下さいね、右京先輩! また!」
右京はガッツポーズを緑に見せ、庁舎内へ早足で戻っていった。その後、ベンチに腰掛けて一人でパンを頬張る緑の姿を、前庭の端から誰かが立って見つめていた。




