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卑弥呼の正体に関して・加茂尾の考え

 今週は、卑弥呼の正体に関して様々な見解を紹介してきました。それで結局、自分はどの説が正しいとみるか、よく分かりませんね。

 関連する伝説と箸墓古墳の年代から、倭迹迹日百襲媛命やまとととひももそひめ説は魅力です。しかし大物主神(おおものぬしのかみ)との神婚伝説やその他の神憑り説話など、超自然的なエピソードが多く、いまいち実在の人物であったという気がしません。そのモデルとなった人物はいるのでしょうが、そのモデルを卑弥呼と断定するには、なお慎重な検討が必要と思われます。魏志倭人伝では、卑弥呼を女王と位置付けてます。これに対し日本書紀(公式)古事記(インディーズ)では、倭迹迹日百襲媛命やまとととひももそひめについて、女王ではなく、せいぜい王の補佐役程度の地位しか与えていない点は注意しておくべきです。

 女王という位置づけからすれば、神功皇后こそ卑弥呼に相応しいともいえます。しかし、その事績は九州を征伐したり、新羅に出征したり、はたまた畿内に戻って謀反を鎮圧したりなど、複数人の事績を1人の事績に集約したような観があり、実在性に疑義があります。宮内庁によってその被葬地とされる五社神古墳は学界によって4世紀末の築造とされていることなどからすれば、神功皇后が卑弥呼の時代に生きていたとする証拠はないと考えます。

 田油津媛(たぶらつひめ)説や甕依姫(みかよりひめ)説に至っては、これを卑弥呼というには残る記録の量が圧倒的に少なく、「そういう可能性もある」という以上のことは言えないと思います。天照大神説に至っては、そのモデルになった人物が卑弥呼に比定されると言えなくはないけれども、そのモデル自体を特定できてないので、腑に落ちません。

 卑弥呼の正体については、このほかにもさまざまな学説があります。一度、詳しく調べてみてはいかがでしょうか。

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