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卑弥呼の正体に関して・神功皇后説

 前回は卑弥呼の正体に関して倭迹迹日百襲姫命やまとととひももそひめ説を紹介しました。今回は、神功皇后説を紹介します。

 神功皇后は、開化天皇の五世孫です。仲哀天皇と婚姻し、応神天皇を産みます。日本書紀(公式)によれば、仲哀天皇が死んだのは仲哀天皇の9年2月5日のことです。神功皇后は、それから熊襲を討って、後に新羅に出征しようとした9月に臨月になったそうです。しかし、これから新羅に出征しようというその時に出産するのはまずいということで、腰に石をはさんで出産を遅らせ、その3か月後の12月14日に応神天皇を産んだということです。

 日本書紀(公式)は、魏志倭人伝の記録を引用して、倭の女王が魏の明帝に朝貢したと記録しています。日本書紀(公式)は、神功皇后を卑弥呼に比定しているものと思われます。これが、卑弥呼神功皇后説の根拠になっているものと思われます。

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