卑弥呼の正体に関して・倭迹迹日百襲姫命説
三国志魏志倭人伝に記録された卑弥呼は、わが国の古代史上、もっとも著名な人物かもしれません。その正体については諸説ありますが、今回はこのうちのひとつ、倭迹迹日百襲姫命説を紹介したいと思います。
倭迹迹日百襲姫命は、第7代孝霊天皇の娘とされます。文字表記は、日本書紀に拠りました。崇神天皇の時代に神憑りし、大物主神を祀るよう神託したと言われています。また、よく予言をすることができると言われていて、武埴安彦が謀反しようとしていることを天皇に伝えたりしました。
日本書紀によれば、倭迹迹日百襲姫命はその後、大物主神の妻になったとされます。しかし、その大物主神が夜にばかり来て帰り、昼には来なかったものだから、倭迹迹日百襲姫命が、その顔を見たいので夜に来たときは朝まで留まってほしいとお願いすると、大物主神は、もっともなことであるとして、そういうことであるならば次の朝には倭迹迹日百襲姫命の櫛箱に入っておくが、自分の姿を見ても驚かないようにと言います。こう言われて不思議に思った倭迹迹日百襲姫命が、翌朝、櫛箱を開いて中を見てみると、小さな蛇がいたので、驚いて叫んでしまいました。この小さな蛇の正体が大物主神で、正体を見られて妻に驚かれてしまったので、恥て三輪山に登ってしまいました。正体を見ても驚くなと言われていたのに、小蛇を見て驚いてしまった倭迹迹日百襲姫命は、悔いて座り込んでしまいました。その座ったあたりに箸があって、倭迹迹日百襲姫命はその箸に陰部を貫かれて死んでしまったということです。その倭迹迹日百襲姫命を葬った墓が、箸墓と呼ばれています。
奈良県桜井市に、箸墓古墳があります。この古墳が、倭迹迹日百襲姫命を葬った箸墓といわれています。日本書紀では、箸墓は、昼は人が造り、夜は神が造ったなど、神話的な記録をしています。考古学上、箸墓古墳は築造が3世紀といわれており、卑弥呼が生きた時代と重なります。
神託をしたり大物主神と結婚したりと、シャーマン的な性格をもっていることや、その被葬地とされる箸墓古墳の築造時期が卑弥呼の時代と重なっていることなどから、倭迹迹日百襲姫命こそ卑弥呼であるとする見解が強いです。
明日は、神功皇后説を紹介します。




