重耳と夷吾と、継体天皇と倭彦王と
先日、別サイトで、春秋時代の中国をテーマにした小説のレビューを書かせていただきました。今回は、その時感じたことを紹介させていただきます。
感じたことというのは、中国春秋時代の重耳と夷吾の話が、継体天皇と倭彦王の話に重なって見えたことです。
別に、継体天皇の大和入りの話が、重耳と夷吾の話をモデルにしていると主張したいわけではありません。私がこれまで日本書紀を読んでいてよく分からなかったのは、武烈天皇の死後、大和の諸臣が次の天皇として丹波国にいた倭彦王を迎えようとしたとき、倭彦王は逃げ出してしまったのです。そこで次は越前にいた継体天皇を迎えようとしたのだけれども、継体天皇も最初は何かを疑って皇位を継ごうとしませんでした。この辺りがよく分からなかったのです。
重耳と夷吾は、ともに晋の国の君主の子たちで、国内で政争があって外国に亡命していました。ところが、晋の国の君主が死んで帰国すれば即位できるという絶好のタイミングで、重耳は帰国を躊躇し、夷吾に先を越されてしまうのです。なぜ、重耳は帰国を躊躇したのでしょうか? 迂闊に帰国すれば、国内の政争に巻き込まれ、君主といえども暗殺されるおそれがあったからです。
こういうエピソードがあったことを思い出して、改めて日本書紀を読み返してみると、当時は武烈天皇が急死したばかりでした。日本書紀はその死因について明確に書いていませんが、他方でこの天皇が暴虐であったことを強調しているので、殺されたとみても良いでしょう。そういう大和国内で迂闊に皇位に就いては、いつ自分も殺されるか分かりません。だから倭彦王は逃げ出し、継体天皇は即位するのを躊躇したのではないかと思いました。
問題は、このときの大和国内の政争とはいかなるものだったのか、後は想像するほかはないのでしょうか。




