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渡来人の出自について

 前回紹介した王仁(わに)は、続日本紀によると「漢高帝之後」ということらしいです。「漢高帝」とは、劉邦のことのようですね。

 この例にとどまらず、渡来人は中国の皇帝の子孫を名乗るケースが多いように感じます。渡来人としてもっとも著名と思われる秦氏は、「新撰姓氏録」によれば秦の始皇帝の末裔といわれていたようです。個人的には東漢(やまとのあや)氏のファンなのですが、同氏は後漢霊帝の子孫ということらしいです。その子孫の阿知使主(あちのおみ)が応神天皇の時代に来日して東漢(やまとのあや)氏の祖になったということらしいです。この阿知使主(あちのおみ)と同伴して来日した七姓漢人(しちしょうかんじん)というのもいるのですが、このうちの1姓が魏の文帝の末裔を名乗っていたともいいます。これが後の高向氏になったりしているようです。

 こうしてみると、渡来人の出自は、なんでもアリな感がありますね。

 こうした渡来人の来日が相次いだ日本の古墳時代、その頃の大陸は、漢帝国が滅んで三国時代に突入し、隋唐の時代に至るまで戦乱時代が続いていました。相当多数の難民が発生していたのではないかと推察します。その難民集団をたばねるには、何等かの形でコミュニティのよりどころが必要だったということでしょうか。

 自分は、こうした渡来人の出自が正しいとは断言できませんが、その集団がその出自を名乗る以上は、そこに何等かの由来があったのではないかと思っています。それがどのような由来であったか、今となっては想像をめぐらすほかはありませんが。

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