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維摩居士について

 天平のファンタジア第1章は、もうお読みになられましたでしょうか。

 元明天皇が、これまでの藤原京から平城京に遷都したのは西暦710年のこと。その中心となる平城宮の東に藤原不比等の邸宅があったと言われています。この世界のフヒト=ウィスタプランというのが藤原不比等に相当する者です。したがって、第1章の舞台も、藤原不比等の邸宅ということになります。

 その跡地に建てられたと言われる法華寺には、国宝に指定されている維摩居士坐像があります。奈良時代末期の作といわれています。

 維摩居士というのは、古代インドの商人で、釈迦の在家の信者でした。維摩居士が病気になったときの話は比較的有名で、文殊菩薩が彼を見舞いに行ったとき「どうしてあなたは病気になったのですか? どうすれば病気が治るのですか?」と聞いたところ、維摩居士は「子が病気になれば親も(子を心配して)病気になり、子が回復すれば親も(安心して)癒えるものです。 これと同じように、人々が病んでいるので(私も心配して)病んでしまうのです。 人々が回復すれば(私は安心して)この病も治るでしょう」などと答えたと言われています。

 維摩居士に関連する話として、今昔物語集第12巻第3話に、次のような話が伝えられています。昔、藤原鎌足(藤原不比等の父。乙巳の変で、中大兄皇子とともに蘇我入鹿を討った者として知られています)が病気になったとき、百済国からやって来た法明(ほうみょう)という尼から、維摩居士の像を造ってその前で維摩経を読誦したら病気が治ったという故事を聞き、その通りにしたところ、藤原鎌足の病気が治ったといいます。以後、この法会を毎年行っていたのですが、藤原不比等がこの法会を行わないでいたところ、手の病にかかってしまい、法会を再開したらこれが治ったということでした。

 この話が真実だとすれば、現代まで法華寺に伝わる維摩居士像は、この法会を再開するときに、藤原不比等が作らせたものかもしれませんね。

 ここ異世界では、維摩経は、フヒトの三男のウゴウ=ウィスタプランが承継し、ウゴウのトーテムの正体は維摩居士その人で、真名をヴィマラ=キールティといいます。藤原家と維摩経との関係は深いようにも感じられたので、このような設定としました。


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