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磐之媛命の話

 木花開耶姫(このはなさくやひめ)の姉の石長姫(いわながひめ)の婚約破棄について紹介しましたが、古代史では似たような名前の人がいくつも出てきます。私が石長姫(いわながひめ)と聞いて混同してしまうのが、仁徳天皇の皇后の磐之媛命(いわのひめのみこと)です。

 磐之媛命(いわのひめのみこと)は、とても嫉妬深い皇后だったらしく、仁徳天皇が他の女性と良い仲になろうとすると何かと妨害しようとします。

 少し気になるのが、仁徳天皇が八田皇女(やたのひめみこ)を後宮に迎え入れようとしたときのエピソードです。これに嫉妬した磐之媛命(いわのひめのみこと)が山城の筒城宮に転居してしまい、その地で死亡したといいます。開化天皇に嫁いだ方の竹野姫(垂仁天皇に婚約破棄されなかった方)の孫が大筒木垂根王おおつつきたりねのみこといいます。この「筒木」というのが、磐之媛命(いわのひめのみこと)の転居先の「筒城」宮に通じるようにも感じます。

 この磐之媛命(いわのひめのみこと)のエピソードを、元の皇后(磐之媛命(いわのひめのみこと))が死んで八田皇女(やたのひめみこ)が皇后となるストーリーと見るならば、これもひとつの婚約破棄(離婚?)譚のひとつとも解釈できないでしょうか。

 そうだとすると、石長姫(いわながひめ)、竹野姫、磐之媛命(いわのひめのみこと)の各エピソードは、もとは一つの話だった? よく分かりません。古代史はこういう謎がいっぱいです。

 ちなみに、磐之媛命(いわのひめのみこと)八田皇女(やたのひめみこ)の被葬地は、ともに佐紀盾列古墳群の中にあると言われています。


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