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平城京周辺の古墳について

 奈良の平城宮跡の近くには多くの古墳(ダンジョン)があります。

 佐紀盾列古墳群さきたてなみこふんぐんと呼ばれる、古墳時代前期から中期にかけて築造された古墳(ダンジョン)だそうです。全長200メートルを超す巨大前方後円墳がいくつも建築されていて、そのすぐそばに平城宮が建築されたというのは、不思議な感じがします。

 平城京建築の当時、すでに(マスター)が誰であるのか分からなくなっていた古墳(ダンジョン)がいくつもあったようで、和銅2年(西暦709年)10月11日の条では、平城京建築担当の役人に、工事中に古墳(ダンジョン)を発見したときは|埋め戻してあばいたままにしてはならない《、、、、、、、、、、、、、、、、、、、》との命令を出したとあります。この記述から、古墳(ダンジョン)はどのように発見されるか、「掘ってみたら古墳(ダンジョン)でしたっ!」という感じで発見されていたということが分かるのですね。

 さすがに平城宮北側の巨大古墳(グランドダンジョン)ぐらいになると、その古墳の主(ダンジョンマスター)が誰であるか、伝承ぐらいは残っていたことでしょう。そこで、現在、それぞれの被葬者が誰であるか調べてみると、神功皇后であったり、成務天皇であったり、垂仁天皇妃の日葉酢姫であったり、仁徳天皇皇后の磐之媛命であったりと、なんか脈絡を感じないですね。

 元明、元正天皇が、こういう地に平城宮を建築しようとしたのが、何とも不思議な感じがします。

 

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