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自分が感じている万葉集の3つの疑問

 今さらですが、万葉集の勉強を始めました。

 手始めに読み始めたのがビギナーズ・クラシック日本の古典「万葉集」です。その最初の方に、「古代、名にはそのものの霊魂が宿っていると考えられていた」とあったのにはビビッとです。これは、天平のファンタジアの、守護霊(トーテム)がその名を言い当てられると弱体化する、という設定を補強する解説でした。

 さて、自分が思うに、万葉集には、いくつかの疑問があります。

 ひとつめは、各歌には作者が明記されているのですが、果たしてその歌は本当にその人の作なのか、疑わしいということです。例えば柿本人麻呂や山上憶良のような宮廷歌人と呼ばれているような人であれば、即興でいろいろな歌を残すというのはあり得ましょう。しかし、そうではない貴族の場合は歌を作る専門的な訓練を受けているとは思えないので、本当にその時そのタイミングでそのような歌を作ったものとは信じられないのです。

 ふたつめは、どうしてそのような歌が残っているのか、ということです。例えば元から準備していて、記録に残すために予め歌を書き残していた、というものはあったかもしれません。しかし、例えば有間皇子が連行される途中に詠んだ歌などは、仮に有間皇子がそのように詠んだ事実があったとしても、果たしてこれを記録に残そうとするものか、疑問です。大伯皇女が詠んだとされる歌などは、処刑された大津皇子を愛しんだものであり、私的にも政治的にもプライベイト性が強いものです。このようなものが記録されていること自体、現代人の私から見ると不自然極まりありません。

 みっつめは、万葉集の成立です。どうして、このような歌集が編纂されたのでしょうか。8世紀に成立したとされる漢詩集の懐風藻では、序文で、故人の詠んだ詩文が忘れ去られてしまうことを嘆かわしく述べています。果たして、万葉集もこれと同じく解して良いものかどうか。

 自分はまだ、万葉集を勉強し始めたばかりなので、詳しい人に聞けば以上3つの謎をうまく解説してくれるかもしれません。どなたか、手頃な入門書などありましたら教えてください。よろしくお願いいたします。

 

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