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光仁天皇出生の謎

 光仁天皇は、西暦709年11月28日(旧暦なら和銅2年10月13日)の生誕です。光仁天皇の生誕は、続日本紀に記録がありません。とはいえ、その死亡日(西暦782年1月11日、旧暦なら天応元年12月23日)が続日本紀に記録があり、その時の年齢が73歳とされているので、逆算して西暦709年生まれであることが分かります。誕生日については、西暦775年11月28日(旧暦なら宝亀6年10月13日)に、この日が「天長節」であるとの記録があるので分かります。「天長節」とは、天皇の誕生日のことです。

 さて、光仁天皇の誕生の謎は、これより深まります。類聚三代格では「皇太后己酉年九月十四日崩」とあるのです。この「皇太后」というのが、光仁天皇の母親である紀橡姫であるように読め、己酉年というのが西暦709年(和銅2年)のことなので、光仁天皇は、その母親が死んだ後に生まれているように見えるのです。

 通説では、この日付の矛盾について、どちらかが「間違い」としているようです。しかし、間違いというのであれば、光仁天皇が紀橡姫の子というのが間違いという可能性はないでしょうか?

 こういうミステリーを目の前にすると、どうしても「面白い説は何か?」という観点で解釈してしまうのが鴨居の性です。果たして、真相やいかに?

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