崇峻天皇の暗殺者について
一般に、崇峻天皇を暗殺したのは蘇我馬子と言われていますが、日本書紀で蘇我馬子はその実行犯とされておりません。
日本書記で下手人とされているのは、東漢直駒という人物とされています。
この崇峻天皇暗殺事件については、後日談も日本書紀に記されており、この東漢直駒が崇峻天皇の嬪とされる、蘇我馬子の娘でもある蘇我嬪河上娘を奪って自分の妻とし、このことが露見して馬子に殺されたとされています。
東漢直駒は、蘇我馬子に命じられて崇峻天皇を暗殺したにもかかわらず、どうしてここで馬子を裏切るようなことをしたのか、その動機がよく分かりません。
ここから先は、天平のファンタジア的独自の解釈です。天皇家が代々承継してきた天皇霊(天平のファンタジアでは守護霊と表現されるもの)は、夫婦の交合によってやり取りされるものであるところ、東漢直駒は、崇峻天皇の妻を奪うことによって、崇峻天皇が承継した天皇霊を自分のものにしようとしたのではないか、という仮説を立ててみたいと思います(だって自分は、面白いかどうかで説を立てますから)。
なお、日本書紀では、東漢直駒について東漢直磐井の子であるとする説を紹介しています。磐井というと、崇峻天皇の祖父の代の継体天皇の時代に、九州で反乱を起こした磐井というのが気になります。
このほか、河上娘についても色々と伝説があるのですが、これは別の機会に紹介いたしましょう。




