その11
ケイ視点です
引きこもっていてもお腹は減ってしまう。重い体を引きずるようにして部屋を出て、リビングで取り置きされたソーメンを一人で啜っていると、菫が話しかけてきた。
「ねえ不良。今日も小蒔さん来てたよ」
「……そう」
赤羽に「一緒に走ることはできない」と拒絶されてから何日経ったか分からないけど、今日も私は昼過ぎに起きて、食べては寝ての生活を繰り返している。
「いい加減仲直りしなよ」
「……」
「あんなに仲良かったんだしさ」
割り箸を持つ右手に力が入る。箸ごと握りしめた拳を振り上げる。
「知ったような口をっ!!」
テーブルに叩きつける寸前で手を止めた。
「っ!!」
赤羽が私に言ったことを、そのまま菫にぶつけてしまいそうになった。
菫のおびえた表情を見て罪悪感が膨れ上がる。
「……ごめん、ごめんね」
「別にいいけど。じゃあなんでこんなことになったのか教えてよ」
菫には弱みは見せたくない。だけど八つ当たりをした以上、菫には言わないといけない。
「赤羽に『知ったような口をきくな。私とは一緒に走りたくない』って言われた」
「どうして?」
「私が強引にリレーをやろうって言ったせいで……」
「へえ。小蒔さんはリレーやりたくなかったんだ」
話の流れでいくと菫の言う通りだ。赤羽は陸上は好きと言ってるけど、どうなんだろう。
「そうなるのかなぁ」
赤羽がどうしてリレーを嫌がるのか分からない。だけど思い返してみると、赤羽はリレーの時はいつもと様子が違っていた気がする。あの日以外にも、リレーの練習で集中力がないことがあったり、失敗しても妙にヘラヘラしていた。特に県ユースのリレーに出ることを決めた合宿最終日の夜は……
―――
『は?』
『春香さん、県ユースのリレーは出るって言ってましたっけ』
―――
……春香さんに怒ったような口調で問い詰めていた。春香さんがリレーに出ることを教えてくれなかったことではなくて、リレーに出ること自体に怒っていたんだ。私にも、リレーは人に合わせなきゃいけないから窮屈だとか言っていたし。
「わかんないなら、聞いてみなよ。仲直りしたいんでしょ」
「それは、そうだけど」
「中学の時とは違って、小蒔さんとは仲良くしたいんでしょ!」
菫は真剣な眼差しをしていた。そういえば中学でサッカーを辞めた時もこうやって菫に話した記憶がある。私は妹に弱みを見せまくりだった。
「もう嫌われちゃったよ。中学の時と同じで、一人で突っ走って、気が付くと誰もいないの」
すると菫はニヤニヤと笑みを浮かべだした。
「プププ」
「へ?」
「嫌われたって思い込んでるんだ」
ニヤケ顔が次第に大きくなって、ゲラゲラと声も上げ始めた。あまりにも不可解で、つい普段の接し方に戻ってしまう。
「ちょっと菫、何がおかしいのよ」
菫の両肩を掴んでぐらぐらと頭を揺らす。
「あふっ、ぐふっ。…………ふぅ」
「……」
意味が分からなくて、言葉が見つからない。菫の言葉を待つしかない。
「中学では皆に嫌われたんだよね?」
「……そうよ。私が無理やり皆を奮い立たせて、サッカーを緩くやりたい皆を無視して余計なことをしてたの」
「本当に余計なことだった?」
菫が取り出したのは、手作りのアルバムだった。確か卒業式の日にサッカー部の後輩から貰って、それで
「読まずに捨てるなんて、姉ちゃんは薄情者だなあ」
ゴミ箱に捨てたはずだったのに、菫が回収したのだろうか。でもなんで今更。
「だって私は……」
「いいから読んで!」
「伊藤センパイへ」と書かれた表紙をめくると、私が辞める前に撮ったサッカー部の集合写真が貼ってあって、その後も練習や試合の写真と一緒に、後輩からのメッセージカードが貼り付けられていた。一枚一枚に手が込まれていて、けっこうな分厚さがある。
最後の大会の前に辞めた私に対して後輩たちは何を思っていたのだろう。最初のメッセージは、たしか次期キャプテンと言われていた子からのものだった。
「…………ねえ菫」
「ん?」
「部屋でゆっくり読んでくるね」
「うん」
「取っておいて、捨てないでくれて本当にありがとう」
「10万円な?」
「……うん、わかった」
「え?」
これ以上、姉の弱みを見せたくなかった。アルバムを手に取り、涙が零れ落ちる前に急いでリビングを去って自分の部屋に駆け込んだ。
―――
伊藤センパイへ
伊藤センパイはサッカーが上手で
私たちを引っ張ってくれて
ホントにかっこよかったです
最後の大会に一緒に出たかったです
だけど、あの人たちのせいで、センパイが
やめることになっちゃって
センパイは悪くないですよ!
私は伊藤センパイのことが大好きです
伝えることができなくてごめんなさい
きっとまた会いにきてください
サッカーを教えてください
好きです好きです好きです好きです
……恵さん♡
××より
いきなりなんじゃこりゃと思ったけど、読み進めていくうちに、他の後輩も私のことを気にかけてくれていたことが分かった。
『伊藤さんと一緒に本気でサッカーやりたかったです』
『先輩の中で一番頼もしかったです』
『伊藤さんとやるサッカーが楽しかったです』
『---
後輩が私を慕ってくれていた嬉しさと、それに気がつかなかった私の不甲斐なさに涙が出てしまう。
―――
最後のページにはコーチからの手紙も添えてあった。
要約すると、『特に実績のない弱小中学だからと選手は気が緩んでいたけど、伊藤のおかげで空気が変わり、コーチとしては嬉しかったし、「本気でやるぞ」と次の代からの雰囲気も良くなった。同調圧力に負けず高校では自分らしく頑張れ』とのことだった。
『よかれと思って言っていたことが、この中学では悪いことだったらしい』と思っていたけど、それは自分の思い込みだった。
意外と自分は、自分のやりたいことをやってもいいんだと気がついた。
「……なんだか悩んでるのが面倒くさくなった」
この1年、自分が悲しんでいたことが、ほとんど自分の思い込みのせいだったことが分かって、気持ちが吹っ切れた。
―――
床に転がっていたスマートフォンに手を伸ばし、通話のボタンをタップする。今繋がらなくても、また夜にでも、明日にでも、何回だって電話をかけてやる。
相手はもちろん
「もしもしケイ?」
「赤羽、今から会える?というか、会いに来て」
赤羽「明日じゃなくて今日?えっ今すぐ!?ちょっ、あっ」