行間 合宿地へ向かうバスの中にて
夏休み初日だというのに、私たち陸上部は他校の陸上部員と共に朝一で観光バスに乗り込み、山間のスポーツ複合施設に向かう。3泊4日陸上漬けの生活が始まる。陸上を楽しみたい頃の私だったら「楽しみだ」と自分に言い聞かせていただろうけど、今はなんだか気が滅入る。
バスでの過ごし方は人それぞれで……
赤羽小蒔の場合
よくよく思い返すとケイは普段は「待ちの姿勢」を崩さない。
合宿地を目指すバスの中に乗り私の隣に座ってからは、一言も発さずひたすら私の手をじーっと見てきた。時折私に目配せをして、無言で「早く手を繋げ」と言ってきて、結局私の方からケイの手を握った。腹いせに、私の指でケイの手のひらをこそばすと「ひゃう!」と飛び跳ねた。
甘やかすからケイは余計に引っ込み思案になってしまう気がするけど、照れたり顔が赤くなったりする反応が面白くてつい手が出てしまう。
「最近のケイって面白いよね」
ヒステリックを起こしたあの日以来、ケイはすぐにどもるしキョドるし、私のことを変に意識しているのには違いなかった。逆に私の方が変わらなさすぎるのかもしれない。普通の人だったら、あそこまで言われたら態度も接し方も変わるのかもしれない。恋心に火が付いたり、逆に冷めたりするのだろうか。
―――私はケイを、私が陸上をするための道具にしている。
私はケイが好き。好きなんだけど、どんな「好き」なのか分からなくなっている。ケイのことを考えると、私にとって陸上とは、人生とは何なのかとそのまま哲学的な方向へ行ってしまうから、「私」に向き合う度胸がまだない私は、とりあえず現状維持に努めている。物理的な距離は近くなって人前でも平気で手を繋ぐようになったけど、思ったよりも周りの目は気にならなかった。ケイが可愛いのには変わりがないし、触れ合うのも心地がいいから、今は自然に身を任せる。根っこのところでは私の方が「待ちの姿勢」なのかもしれない。
「どっどこが面白い?」
ケイは誉め言葉だと思ったようで、キラキラと期待した目で私を見てくる。
「そういうとこだよ」
「へ、へへ」
ケイのキャラが崩壊している。後はそのままぐいぐい私の方に来てくれたらもっと面白いのに。
芽野春香の場合
「小蒔ちゃんとケイちゃんって付き合ってるの?」の一言が言えず、そろそろ2か月。二人がチューをしている姿はあの一度だけしか見ていないけど、多分あちこちでしまくってるんだろうなと思っていたり。
ユースでケイちゃんと小蒔ちゃんがバトンパスをした次の日は、人前とか大会とかお構いなく堂々と手を繋いでいた。絶対何かあった。罰ゲームとか言ってるけど、逆に燃えちゃったパターンじゃあないの?
隣に座るみやは、バスの発車早々に寝ようとしたから、眠りに落ちる前に話しかける。
「ねえみや」
「んん何?」
みやは世界一かわいい。マネージャーから選手に転向して体つきは少し締まって、サラサラショートヘアも少し伸びてきたけど、とても高校生には見えないぱっちりお目目の童顔はそのままで、目が合うだけで心がくすぐられるのは変わらない。私の声かけで少し迷惑そうにしている顔もたまらない。
「小蒔ちゃんとケイちゃんって仲いいよね」
「そだね」
「付き合ってたりするのかな」
「それは、ないんじゃない?」
「でも手つないでたし」
「それは私たちもそうじゃん」
「まあ、そうだけど」
何て言うか、こう、レベルが違う気がする。
「おやすみ!着いたら起こしてね」
「え、あぁ……」
みやはよく寝る。寝る子は育つという諺の矛盾はみやが証明している。窓にもたれ掛かっているみやの寝顔をスマホで撮って、いつもの秘密フォルダに保存した。
宮山みやこの場合
中学では春香が短距離で私が長距離の選手だった。高校では「しんどいのは嫌だけど春香のそばにいたい」ということでマネージャーになった。最初はどんなものか不安だったけど、ドリンク作りやタイム計測といった裏方の仕事は案外楽しかった。頑張っている姿を応援するのも楽しいし、皆に感謝されるのが嬉しい。
春香から「短距離の選手になって一緒にリレーをしてほしい」と言われたときは、しんどいし嫌だなあと思ったけど、こちらもやってみたら案外楽しかった。
人生は「案外楽しい」で満ちているんだなと知った16歳の夏であった。
「付き合ってたりするのかな」
春香とは小さいころからの付き合いで、ほっぺにチューするぐらい仲良しだけど、恋愛として付き合うってなったらどうなってしまうだろう。
「おやすみ!着いたら起こしてね」
女の子同士かあ。それも案外楽しいのかなと思う。だけど今は朝早くに起きたせいで眠い。この後たくさん練習するんだし、もう寝る。ぐぅ。
伊藤惠の場合
馬鹿みたいに叫び倒してしまった私を、赤羽は受け入れてくれた。
抑え込んでいた特別な「好き」の気持ちが、赤羽に触れるたび爆発する。
赤羽が私の手を握ってきた。ボン!
赤羽が私の手の平をこそばしてきた「ひゃう!」ボン!
もし付き合うとしたら、私も赤羽のことを下の名前で呼びたいな。
隣でウトウトしている赤羽に聞こえないよう、喉の奥で声を出す。
「……小蒔」
ボン!
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