その3
練習が始まってすぐ、春香さんが一声上げた。
「走順を変えよう」
リレーをすることになってからは、一走が私、二走が赤羽、三走がみやさん、四走が春香さんで練習をしていた。
走力のある2人が二走と四走になって直線区間を走るのがセオリーらしい。
「ごめんなさい、私のバトンが下手なせいで」
赤羽が一応謝る。まだユースまで1か月以上あるから雰囲気も和やかで、赤羽を責める感じは全くない。
「とりあえず、小蒔ちゃんは一走が四走でバトンパスの負担を減らそう。受けるか渡すかだったら、どっちが得意?」
「どっちも苦手です」
「中学の、全中に出た時は何走だったの?」
「四かな」
「じゃあ四で行こう。ケイちゃん三走よろしくね」
異論はない。赤羽の手のひら目掛けて思い切り叩き込んでやろう。
「任せてください」
初心者だけど、謎の責任を感じた。
今日のウオーミングアップのバトンジョグでも赤羽の手はブレまくった。存外と私は負けず嫌いなのかもしれない。というのも、赤羽へのパスがスムーズにいかなかったら「ちくしょう」と心が勝手に呟くし、照れ笑いをする赤羽を見るたびに「しっかりしてよ」と思ってしまう。
まだ時間はある。私が焦っているだけなのだろう。
今はスタートダッシュの練習に集中しなければ。
4人1列で横並びになる。
「オンユアマークス」
マネージャーのみやさんが今は選手に転換しているから、スタートの合図は同じ1年生で長距離ブロックの男子にやってもらっている。足が故障したようで、さっきまではレーン横にマットを敷いて一人で筋トレをしていた。
「セット……バチッ!」
開いて叩くだけの木のスターターの合図で一斉に走り出す。やっぱり赤羽は速い。スタートして一歩目にはもう差をつけられている。
数十メートルを走り終えてスタートラインへ歩いて戻る時は「次は負けたくない」と隣の赤羽を意識する。
「ケイちゃん楽しそうだね」
「え?」
「笑ってたよ、今」
春香さんに言われなければ、当然気が付かなかった。
みやさんにも赤羽にも微笑ましい目で見られて恥ずかしい。
「そんなことないですよ。次行きましょう」
さあさあと3人の背中を押して並ばせる。
……楽しいのは確かだった。この前のデビュー戦で「走る楽しさ」がわかった気がする。誰にも邪魔されず自分のレーンを全力を出して走り抜ける。自分の体で風を切って走る感覚が気に入っていて早く次の大会に出たい。
再び位置に着く。お手伝いの男子が合図を出す。その男子を見てふと、私も怪我をしたら彼のように一人で筋トレをしたり、みやさんには悪いけど雑用をしなければならないのだろうかと思った。ちょっと今は考えたくないことだった。
―――
「ナイターの試合ですか」
練習後の部室で「ユースまでに1回レースに出たい」と正直に春香さんに聞いてみる。
「来週の土曜日の夕方から記録会があるよ。三つ隣の市だから少し遠いけど出る?」
夕方から試合があるというのは意外だった。何だか大人っぽい。
私はもちろん出場する選択肢を取る。
「赤羽一緒に出よ……じゃなくて、赤羽は出る?」
あくまで赤羽の意思を聞く形をとる。
すると赤羽は私の言葉を待ってましたとばかりに即答する。
「もちろん。ケイ、一緒に行こう」
頼もしい限りだ。
「それじゃ春香、4人で行こっか。私もユースの前に1回走りたい!」
みやさんも「ハイハイ」と手を上げる。みやさんのデビュー戦になるのかな。
「ケイちゃんたちにお邪魔するね」
「え、とんでもないです」
春香さんがやけに気を使ってきたけど、4人で待ち合わせをして現地に向かうことになった。
「でも、ナイターのリレーはやめとこっか」
「だったらユースでぶっつけ本番になりますね!」
私がそう言うと、春香さんと赤羽も「あっ」という表情になる。
「リレーの初レースは、ユースの2週間前の県選だよ」
「マジすか。今からあと2週間と少ししかないですね」
別の大会があったなんて。てっきり7月末のユースが初リレーかと勘違いしていた。
最後に赤羽が口を開く。
「まあなんとかなるでしょう」
ところで私が入部してからこの2か月弱の間、赤羽と一緒に走ってきて気づいたことがある。それは、赤羽はほとんど表情を崩さず淡々とメニューをこなすこと。何か考えているのか、何も考えていないのか、外から見ただけでは判断できない。普段の教室ではとても表情が豊かで冗談も言い合うけど、多分練習中には冗談とか通じない。「何言ってるの?」と冷たくあしらわれそうな鋭さまでもが感じられる。
だからこそ、リレーが始まってからの練習中の赤羽の表情の変化が気になる。それもバトンで失敗しても、落ち込んだり悔しそうにしないから、鋭さの逆を行っていることになる。
だけど全中に出た赤羽本人が「なんとかなる」と言った。まだ2週間あるし、毎日やっていれば測長とか息とかタイミングは合っていくだろう。
陸上初心者の私の不安なんて置いておいて、赤羽の言うことを信じよう。この時はそう考えていた。