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36 地下牢の魔族ー1

 俺は階段を急ぎ足で下り、牢を一つずつ巡っていく。

 銀髪を目印に捜すつもりだったが、今現在、地下牢にいたのは一名だけだった。王都が平和なのはいいことだ。

 ――地下牢の最奥。

 奇しくも、あの日クレイが鎖に繋がれていたのと同じ場所にその人はいた。

 漆黒のワンピースに身を包み、手足を鎖で固定されている。

 俺より少し低いくらいだろうか。石の床に座っている状態でも分かるほど身長が高く――というか脚が長く、スッと通った鼻筋に、腰元まである銀色の髪。着ている服や髪色、それから目元などが、どこかクレイに似通っている。

 ……が。

 スタイルが全く違う。

 それは胸であるとか腰であるとか、どこか特定の箇所に限定した話ではなく、全体的に、爆発的に、その高身長に見合った発育を遂げていた。

 胸元が大きく空いたワンピース。そこから覗く魔の渓谷……上半身は見れない。

 決して丈が短いわけではないだろうが、無造作に座わっているせいで大部分が露出した太もも……下半身も見れない。

 ……目のやり場に困るな……まあ、顔を見ていればいいだけの話なんだけど。


 視線を悟られない兜を装着していたことに初めて利点を感じつつ、俺は沈黙を貫く魔族の前まで歩き、しゃがみ込んだ。

 なんだ? ここまで近づいたのに一切反応がな――ああ、なるほど。

「……服が汚れるのが嫌なんだな」

 寝ていた。座ったまま、器用に。

 そうか、そうだよな、時間を考えれば当たり前か。

 人様の睡眠を妨げるのは忍びないが、そうも言ってられない。起きてもらわなければ困る。

 ポンポン、と俺は彼女の肩を軽く叩いた。


「…………」


 起きない。

 長いまつ毛に守られた瞳が開くことはなく、スー、スーと寝息を立てている。

 もう一回。今度は肩を両手で掴んで、気持ち強めに揺らす。

 これなら流石に……。


「…………」


 起きない。

 ……どうする。これ以上の気付けとなると顔をはたいて起こすくらいしかないが……駄目だよな、それは。

 しょうがない。もう一度肩を揺すって――


「……ん……んぅ」


 俺が再び彼女の肩に手を伸ばそうとした瞬間、その瞼がゆっくりと開き、深い緋色をした大きな目に――俺が映る。


「……こ、こんばんは。俺、セラクっていいます」


 咄嗟にした自己紹介は――思わず敬語になってしまった。しかし実際、この風格……俺よりも年上の可能性が高い以上、間違った判断ではないだろう。


「……もう、朝なの?」


 そう――銀髪の魔族は静かに呟く。

 眠そうに、途切れ途切れに。


「いいえ、今はまだ夜中です。起こしてしまってすみません」

「……そう。夜中なの。……うん、あなたの名前は覚えたわ。律儀に名乗ってくれてありがとう。それじゃあ……おやすみなさい……」


 睡魔に負け、そう言って目を閉じる銀髪の魔族。

 いや、このあしらわれ方は眠気に勝てないというより、そもそも俺に興味を持っていないな。


「ちょ、ちょっと待ってください。あなたの名前を教えてくれませんか?」

「そんなこと言われても……今は魔力が枯渇してて眠いのよ……」

「……とりあえず目を開けてくださいよ」

「……もう……聞いたらさっさと離れるのよ……?」


 言って、その人はあくびをしながら面倒くさそうに薄目を開けた。

 気品はあるけど……なんだかボンヤリとした人だな。寝起きだからだろうか。


「私は……」


 それを遮るように、ガシャン――と金属音が鳴り、名乗ろうとしていた魔族の右手の鎖がピンと張った。


「……どうしました?」

「目をこすろうとしたんだけど……動かせないんだったわ……」

「ああ……それは辛いですね」

「ねえ、代わりにお願いできる?」

「え」


 なにその提案……。


「いや、ちょっとそれは……」

「私……ついさっき寝付いたところなのよ。だから目がしょぼしょぼするの。自分で目をこすれないというのはある種の拷問ねぇ。そんなに警戒しなくても……別に噛みついたりしないわよ? 目の違和感がなくなったらちゃんと名前を教えてあげるから」

「……分かりました」


 このお願いを断ると進展しなさそうなので、俺は右手の人差し指の付け根で、その綺麗な瞳の目元に触れようとした。

 ――が。

 その間際で、スンスン、と手の匂いを嗅がれた。


「……なにか? 自分で言うのもなんですけど、割と清潔ですよ」

「ウフフ、ごめんなさいね。そういうのじゃないのよ。ただ――」


 その人は微笑みながら、閉じかけていた瞳をパッチリと開いた。

 そして言う。


「あなたから――クレイの匂いがするの」

「……っ!」


 この人、クレイを知ってい――いや、それどころか微かな匂いすら把握している!

 やはりこの人は……!


「よかった。とっても広い街だからあの子を探すのは骨が折れると思っていたけど……杞憂だったみたい」

「あの、あなたは……」

「――アルジーラ」


 アルジーラ・ニアヴェルディ――と銀髪の魔族は名乗った。

 この人が、クレイの姉……。


「実は、アルジーラさんに話したいことがあるんです。俺は――」

「さてと……魔力が完全に戻っていないとはいえ、寝ている場合じゃないわね。早くあの子を見つけてあげなくちゃ」

「…………」


 ……もう耳に入っていないらしい。


 今頃不安で震えているでしょうに――と、アルジーラさんは足を曲げ立ち上がろうとした。しかし、必然的に、手足に巻き付いている鎖が彼女の動きを阻害する。 


「あの、アルジーラさん。まずは俺の話を聞いてください。鎖はあとで俺が切――」

「――インフェルノ」


 俺が切りますから。そう言い終える前に、アルジーラさんを拘束していた四本の鎖は溶けた。

 溶け落ちた。

 アルジーラさんの身体から噴出した炎によって、まるでバターみたいに、ドロリ、と。


「クレイの時と同じ物のはずなのに……これを巻かれている状態で魔力を使うなんて、そんなの……」


 規格外だ……。


「壊してしまってごめんなさいね。最初から付けてほしくはなかったんだけど、でも、それを付けていないといけない雰囲気だったから……」

「そりゃ捕虜ですからね……」

「で……クレイはどこ?」


 そう言って、アルジーラさんは立ち上がりながら俺の首へと手を伸ばした。

 意図が分からず、思わずそれを避ける。


「……アルジーラさん?」

「クレイはどこ?」


 質問に答えてくれる様子はなく、アルジーラさんはジリジリとこちらに距離を詰めてくる。

 なんなんだこの人……全く人の話を聞こうとしな――

 そこでふと、俺はクレイが言っていた言葉を思い出した。

 ――妹たちのことになると周りが見えなくなってしまうくらい、私たちを溺愛しているお姉ちゃん。

 ……そうか。

 大切な妹を助ける為にここまで来て。

 その手がかりとなる人物が向こうからやって来た。

 周りが見えなくなるには十分か……。

 俺から力づくで居場所聞き出そうとしているんだな。仕方ない、ここは一旦落ち着いてもらおう。




「――ごめんなさい!」


 俺はアルジーラさんに向け右ストレートを放つ。もちろん当てるつもりはない。直前で止めてヒヤッとさせることができれば、話を聞いてもらえるくらいにはクールダウンするはずだ。


 ぱしっ。


「……なっ!?」


 放ったパンチはアルジーラさんの右手であっさりと受け止められた。


「悪いけどあなたとじゃれている暇はないの。クレイがどこにいるかを早く教えて? じゃないとこの腕――折り曲げちゃうわよ?」


 言って、自分の右手をぐぐぐ、と捻るアルジーラさん。

 それに連動して俺の右腕も曲がる。

 曲がってはいけない方向に曲がりかけている。


「痛……! このっ!」

「あら危ない」


 今度は左手でブローの寸止めを試みる。しかしそれも華麗にいなされ、逆に空いた腹部に重い打撃を入れられた。


「ぐっ……!」


 右腕を強引に振り払い、俺はよろめきながら後ずさる。

 ……体術だけでもこれか。一体、クターニーとカサマはこの人をどうやってここまで連れてきたんだ?


「すごいわ。思いっきりお腹に喰らったというのにまだ立てるなんて、いくら私のコンディションが万全ではないとはいえ……丈夫なのね」


 と、感心した風に言うアルジーラさん。

 ……ま、まさかこの人……。

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