32 戦慄の夜ー1
俺は城門から、西の方へ向かって歩き始めた。大通りを行き交う人々の一部となって、ただぼんやりと歩いて行く。
城を中心として見た場合、自宅は南東にある。つまり俺は今、家とは反対の方角に向けて歩を進めている。
誰かに会うわけではない。食料の買い置きは十分にあるので、買い物に行っているわけでもない。本当に、これといった目的や用事はない。
今日はもう、これから家に帰るだけだ。
そうしない理由があるとすれば、それはおそらく俺自身が、クレイに合わせる顔がない――と思っているからだろう。
クレイはもう、王都の外に出ることはできない。魔力障壁が稼働している間、もっといえば人類が存続している間、この街から出る術はない。穴を掘ろうが、空を飛ぼうが、出られない。
俺が連れてきてしまったから……。
「…………」
あてもなく歩いているうちに、一時間が経ち、二時間が経った。既に陽は傾き始めており、夕暮れ時が近い。もうエリティアが来ているかもしれない。流石に帰らなければいけないが……。
――俺は。
あいつにどんな表情を向けて――なんて言葉を掛ければいいんだろう。
クレイの人生を狂わせてしまった。
彼女を一生ここに閉じ込めることになってしまった。
俺の……せいで……。
クレイはこの先ずっと、アルジーラというお姉さんにも、妹たちにも――会えない。
……駄目だ。
駄目だ、駄目だ、駄目だ。
そんなことがあってはならない。
まだだ。まだ分からない。
まだなにか方法が――
「なあ聞いたか? クターニー様たちが、王都の出入口をうろついてた魔族を捕まえたらしい」
「…………!」
思わず、咄嗟に、声がした方向へ首を振る。
どうやら、たった今すれ違ったばかりの二人組みの兵士がそう言ったらしい。
俺は進行方向を変え二人組の背後につき――聞き耳を立てる。
「捕まえたらしいって、なんでよりによって王都に魔族が出るんだよ? 他の街の警備は何してたんだ?」
「決してさぼってたわけじゃないだろう。単独で行動されたら見逃すことだってあるさ。まあ、単身でここに乗り込んでくる命知らずな魔族が何を考えているかは理解できないが」
「そういえば、セラク様たちが捕まえてきた魔族には逃げられたんだったな。そのせいで予定していた処刑は行われなかったし、もしかしてその代わりか?」
「それがな、僕もその魔族を直接見たわけじゃないから確かな情報ではないんだが、聞くところによると、どうやら今回捕らえた魔族はこの間まで捕まえていた魔族によく似ているらしい。人型で銀髪の女――だとか」
……っ!
「もしそうだとしたら、助けに来た魔族の転移魔法で逃げたはずのにどうして王都で捕獲されるんだよ?」
「さあな。僕たちには分からないことだ」
「ふーん、……それで? その子はカワイイのか?」
「お前な、どうせ処刑される魔族を好きになったって仕方ないだろう」
「気になるじゃん。ラミス団長みたいに凛々しい人もいいけど、俺としてはやっぱり守ってあげたくなるような一面を持ってる子も魅力的っていうかさ。エリティア様とかはまさにそんな感じだ」
「それはエリティア様が戦えないというイメージを持っているからだろう。あの方は意外と度胸があるらしいぞ。今回の襲撃時だって最前線で治療に徹しておられて、何十人もの――」
……もういいか。
気配を悟られないよう、俺は静かに二人組の後ろから離れた。そして、自宅へ向けて全速力で走り出す。
王都の出入り口付近をうろついてた銀髪の魔族――間違いなくクレイだ。
とにかく、まずは家に戻るしかない。
「……くそっ」
どうして家から出たんだ……いや、クレイには出る理由がない。だから出るはずがない。潜伏していた家がバレるはずも……ない。ないはずだ。あの家にクレイがいるのを知っているのはエリティアだけなんだから。
クレイが家から出た理由を考える方が建設的だ。食べ物は十分に買っておいた。服は室内に干しているからわざわざ外へ出る必要はない。それくらいしか思いつかな――ああ、いや、もう一つだけ挙げるとするならば「あの家で暮らすのが嫌になった」……とか。
……そうだよな。周りには誰一人魔族の知り合いがいなくて、それどころか敵対している人間だらけ。いくら元気そうに見えていたとしても、それは取り繕っていただけで、本心では気が滅入っていたと考えるのが……自然だ。
――そうもっと早く気付けていたら「俺が帰ってきたら絶対に王都の外へ出してやるから、それまでは必ずここで待ってろよ」くらいのことは言えたのに。
クレイ、お前になにかあったら俺は……。
「……はぁ……はぁ……」
走って、走って、走って、もう息も絶え絶えになった頃――ようやく、俺は自宅に辿り着いた。
玄関のドアを勢いよく開け、中へと入る。
「――クレイ! いるか!?」
返事はなかった。いつもならこの部屋でベッドに寝っ転がっているはずなのに。
「……焦げ臭い」
ふとキッチンの方へ目を向けると、そこら一帯の床や天井が黒ずんでいた。
まさか、ここでインフェルノを使ったのか……? いくら魔法を使えるとはいえ、クレイはまだ戦闘の錬度が低い。クターニーとカサマと戦って負け、外に逃げ出して、王都の出口付近で捕まったのだろうか。
そんなことがあってたまるか……。
「……クソッ!」
ベッドのシーツの中。テーブルの下。それからクローゼットの中と、部屋の至るところを捜す。いない、いない。いな――
「……血?」
ポタポタと、床に滴っていた赤い液体に目が留まった。
別の部屋へと繋がるドアの元まで、そのシミは続いていた。
冷や汗が止まらない中、俺はリビングを出て血の痕を辿る。それは脱衣所まで続いていた。クレイの洋服や下着が散乱している。
……ここからだったか。
入浴中の隙を突かれて戦闘になり、そこからなんとかリビングに逃げ応戦し、しかし力及ばず街中へと敗走した……といったところか。どれほどの屈辱だっただろう。それは――これ以上は駄目だ。何かを考えると凄惨な答えにしか辿り着かない。
「…………」
浴室内はさぞ無残に荒らされているのだろう。きっと。
俺は覚悟を決め――浴室へのドアを引いた。
「……なにしてんの。セラク」
そこには、頭にタオルを巻いて気持ちよさそうに浴槽に浸かっているクレイの姿があった。
茫然とした様子のクレイ。
しかし、こちらはそれ以上に茫然自失だ。




