『ん 日本語最後の謎に挑む』というタイトルからしてインパクト抜群な本を読んだ
『ん 日本語最後の謎に挑む』(以下『ん』)というなんとも前衛的というか、意外性のあるというか、名状し難いような面白みのあるタイトルに惹かれて思わず購入した。
内容は五十音でトリを飾る「ん」がどういうプロセスを辿って誕生したのかを日本語音声学、言語学の観点から分析するというもの。流れとしては「音としての『ん』の誕生」から始まり「それが文字として表記されるまで」を扱っている。結論から言うとまぁ、面白くはあったんだけど思ってた以上にガチの学問って感じで読破するのに一苦労。
「ん」を探っていく中で空海、最澄といった著名な仏教人にもクローズアップをし、受験時の日本史の記憶が鮮明に蘇った気がする。そもそも日本語の元となったのは中国語であり、その中国語の音声を研究する上で「仏教」は外せない要素だと言う。
「ン」の文字がなかった頃には代わりに「レ」「ニ」「ム」などが使われていたとのこと。さらに真言宗では「阿字観」と呼ばれる瞑想があり、それは宇宙の始まりを体感するものであるらしい。さらに宇宙の終焉を表す「吽字観」と呼ばれるものがあった。阿はそのまま五十音の一番最初「ア」の語源であり、吽は五十音の大トリ「ン」を表すものである。
阿字観、吽字観が宇宙の始まりから終わりまでを表現したと同時に、新たな生の誕生の可能性を秘めているという。「阿吽の呼吸」とは息のあったコンビという意味で使われるが、単に仲良しという訳ではなく、「新たなものを生み出すコンビ」という意味合いがある。
という「ん」だけで宇宙の始まりと終わりを連想し、さらにそこから発展した考察がなされていた。読んでいるうちに何を書いてあるのか全くわからなくなる系の本でした。
そして本居宣長をはじめとする様々な国学者の論争などもまとめられていたので、日本史好きな人には嬉しい本かもしれない。学問で言えば「文学」の範疇なんだろうけど、日本語音声学にはあまり興味を持てなかったので読むのがしんどかった。せっかく買ったし食わず嫌いもアレなので頑張って読んだけど、やはり音声学への関心が深まることはなかった。
初めて真面目に新書というものを読んだけど、専門的な知識がないと難しいですね。また、同時に日本語の音がいかにややこしいのかを改めて知りました。けど、これを知ったからといって何かの役に立つわけでもなく…。「専門書を読破した!」という達成感はありました。
音声学専攻の人には是非読んでもらいたい一品です。私は断念したけど。