第14夜 侵攻前夜
前回のあらすじ
使用人と部下から分からない連呼されるお兄様の内心は如何に。
レーテンブルグ候は深夜に関わらず、帝国が誇る王城に来ていた。
数時間前に事の次第を話せば、城へ来て直接、説明せよ、との命令が来たのだ。彼は実にそれを良き機会が巡ったと安堵したと同時に、気を引き締めた。
王城はひたすらに華美なフローレンスとは違い、石造りの無骨な造りをそのままに、そこにビロードに金の刺繍を施した豪奢すぎない布を壁に張ってその布を金の紐で巧みにシンメトリーを意識した織り込みを作ったり、結わえて垂らしたりして実にシンプルに威厳をその場に魅せていた。
そんな王城の丁度中央にある謁見の間。そこにレーテンブルグ候は招かれる。赤いカーペットがまるでレーテンブルグ候に道を示すように出迎え、天井から吊るされたシャンデリアがレーテンブルグ候を見定めるようにその光を揺らした。
そんな謁見の間の奥をレーテンブルグ候は見る。そこには背の高い天蓋のついた城と同じく石造りの玉座があり、そして、そこには若い青年が候を待ち構えるように座っていた。
その青年のそばまで彼は進み出ると、一礼した。
「ただ今、参りました‥‥。」
そうこの青年こそがこの王城の主であり、ここ数年の内戦を勝ち抜き、魔族の長であり皇帝となった者‥‥。見た目は若いが既に数百年は生きている存在だった。
その名をナーバルと言った。
その長は年長者らしい独特の喋りでレーテンブルグ候に前置き無しで問うた。
「して、つまり、どういうことなのじゃ?」
それにレーテンブルグ候は自身の思惑は話さず、明日進行する予定であるフローレンスの辺境伯領の領主について、自身が見聞きしたそのままに詳しく話した。
あの領主は明らかに異質であった。
恐怖という言葉だけでは語り尽くせないが、しかし、恐怖という言葉でしか言い表せないその人間。
あまりの異質さから、レーテンブルグ候は自身の長に報告し、そして、あれが何であるのか、この何百年も生きる彼ならば知っていると思い、答えを仰いだ。どんなに恐ろしくても明日にはレーテンブルグ候はあの領主と戦わなくてはならない。その為にこの王城に来て、彼はあの領主を攻略しようとした。‥‥しかし、いかなる魔族の猛者でも彼を1目見て、まともに戦える者がいるのか‥‥。レーテンブルグ候は同時に不安でもあった。
長きに渡り統治してきた先帝が数年前亡くなって以降、このナーバルは魔族の中でも2番目に長寿の魔族だ。最も長寿である魔族はだいぶ前に帝国を出奔して、世界中を旅しているらしいが、2番目とはいえ様々な事柄をその人生の中で経験しているナーバルに聞いて損は無い。
しかし、候の意に反して、レーテンブルグ候の話を聞いて、ナーバルはその表情を段々、苦くしていく。その表情はまるで、不可解と言っていた。
「‥‥すまぬが、このわしでも分からん。」
そう切り出したのは長い沈黙の後だった。レーテンブルグ候はその言葉に思わず呆気を取られる。彼がわからないとはどういうことなのだ。
ナーバルは玉座の肘置きに自身の肘を載せ、頬杖ついた。
「そんな異様な“人間”は聞いたことも見たこともない。」
「‥‥ナーバル様でも、ですか?」
その事実にレーテンブルグ候は驚き、困惑する。ナーバルほどの人物が知らないというのが、俄に信じられない。しかし、彼の難しい表情を見るに事実なのだろう。
だが、ややしばらくしてナーバルは何か思い当たる節を発見したようだった。
「‥‥待て、それに似た過去の出来事は聞き及んだことがあるやもしれぬ。それと繋がるかは知らんが。」
その言葉にレーテンブルグ候は目を瞬かせる。何とも微妙な言い方である。やもしれない、知らない、とまるで推測の域の出ない話をするようなそんな言い方。ナーバルという長寿かつ知識人でもそう言わないといけない話を、彼はしようというのだ。
ナーバルは意を決したように口を開いた。
「‥‥先帝が1度だけ撤退した戦があってな‥‥。」
それはレーテンブルグ候も知っている事件だった。何十年も昔、フローレンスとの交戦が長引いていたある戦下、人間の軍も魔族の軍も一斉に退却し、そのまま休戦したという伝説的な事件があった。レーテンブルグ候はその戦には参加していないが、何か余程の事があったのか、撤退の二文字を強く嫌っていた先帝が早馬で撤退し、彼が率いていた軍も死に物狂いで帝国に逃げて帰ってきた。
しかも、それは人間側も同じで、敵味方一斉に退却した珍事となった。
‥‥だが、その時、何があったのか。口にする者は誰一人おらず、皆、一様に口を噤み、怯えたように震えていた。あの先帝とてその話に触れるな、と命令をわざわざ出すほどであった。
そんな最中だったが当時、ナーバルはその先帝の側近だった男より聞いたという。
「恐怖を見た、らしい。」
「恐怖‥‥!」
その言葉にレーテンブルグ候は目を見開く。ナーバルは淡々と続けた。
「あの時、我が軍は憎きあの城壁を壊し、フローレンスの軍を倒すまであと一息というところにいた。しかし‥‥その時、介入者がいたのだ。」
その介入者の登場は別に不自然なものでは無かったらしい。ただ突然であったというだけで。前線で競り合う人間と魔族の軍の間にまるでどちらかの援軍のように大軍で現れて、その姿を晒したのだ。
‥‥問題は晒した瞬間だった。
姿を晒したその軍を両軍が見た瞬間、誰が何も言うまでもなく、両軍は逃げるように撤退した。中には半狂乱になる者や即、昏倒した者もいた。
側近は言っていた。
恐怖を見た、と。あの一瞬のみとはいえ、生命が脅かされるような恐怖を見た。それが一体何者で、一体どんな姿をしていたかも確認する余裕すらなく、逃げ惑った、と。
「‥‥お前の話はその話を思い出す。しかし、あれから年月が経ちすぎている上に、視認すら出来ない恐怖を側近は見たが、お前が見た人間は、それが人間だと視認できる恐怖だ。恐怖のレベルも違う。」
だから、一概に関連付けられない、とナーバルは言う。側近の話が正しければ、レーテンブルグ候が見た人間はかなり格落ちだ。時が経ちすぎて関連性も考えられず、そういう異質な人間がいる、という片付け方しか出来ない。しかし。
「‥‥お前が背を向ける程の相手だ。急遽となるが、お前が率いる軍をもう1万増やそう。そして、我が息子を連れていけ。」
ナーバルは先手を打つことにした。辺境伯領が今や人間以外の種族の流入によって急速に力をつけているのもある。早急に徹底的に叩かねば、フローレンス攻略が難しくなる。
そんなナーバルの采配にレーテンブルグ候は有難く思いながらも、最後に言われたそれが気になった。
「皇子、ですか?」
レーテンブルグ候が驚くのも無理はない。ナーバルの息子、この帝国の皇子はまだ初陣もまだな子どもだ。初陣にはあと、数年は必要の筈で、戦争に連れ出せる訳でもない。その子どもを連れていけ、とナーバルは言うのだ。
「‥‥奴には早めに経験させたいのだ。我が軍の凱旋、蹂躙、侵攻を。先帝のように後継を決めずに死ぬのは嫌なのでな。」
「なるほど。」
つまり、出陣する諸侯や敵に彼こそが後継だと知らしめる為に彼は幼子とはいえ、軍に同伴させるのだ。ある意味の宣伝、印象付けだ。確かにそれは効果があるだろう。長い後継争いをしてきたナーバルだからこその考えだ。それは同時に‥‥レーテンブルグ候にとって実に有難い策だ。
皇子の引率をナーバルはレーテンブルグ候に任せたようなもの、つまり、今の皇帝の信頼を得ているのはレーテンブルグ候だと他の諸侯に知らしめられる。実に利がある策だ。
「このレーテンブルグ、その命、確かに遂行します。」
「頼んだぞ。」
「ハッ。」
しかし、内心、ほくそ笑むレーテンブルグ候は知らない。
そのレーテンブルグ候を見るナーバルの目が非常に冷めきっているのを。
翌朝。
辺境伯領を見下ろす崖の上。
そこにレーテンブルグ候と‥‥彼に連れられて来た少年がいた。
そして、遥か眼下。そこには魔族による軍勢が2万。歩兵部隊を先頭に、騎馬隊、投石部隊、魔法士部隊が隊列を成しており、錚々たるその軍勢は、国の栄光と繁栄、そして、その影響力を物語っていた。
そんな軍勢が辺境伯領をどこよりも先に侵攻にする理由は二通り程ある。
まず、辺境伯領以外の場所は高く頑丈な城壁があり、城門がないということ。他種族を毛嫌いするフローレンスは城壁を築き上げると同時に国交や貿易を断絶し、交遊を断ち切ったその為、城門をどこにも作らず、唯一壁外にある辺境伯領のみに対し、城門を作った。その為、魔族が攻めるには城門のある辺境伯領しかない。
そして、もう一つはここ数年で出来た話だが、その辺境伯領の豊かさが理由にある。辺境伯領はその温暖な気候に守られ、数年前の旱魃による不作が無かった為、大旱魃と内戦による土地の疲弊が深刻である帝国にとって豊かである辺境伯領は僅かな足しにしかならないとしても手に入れるには価値のある土地だった。本当にその土地の小ささから言って、僅かな足しにしかならないが、今、その僅かでも欲しい程に深刻で急務であった。
辺境伯領が落ちれば、城門が開くのも時間の問題。辺境伯領の食糧を糧にフローレンスを落とせば、更なる豊かな土地の確保に繋がる。
そんな理由で軍勢は辺境伯領に征く。中には略奪や捕虜を奴隷する前提で来ている者もいるが、飢えの苦しみから脱却する為に必死な者が多かった。
もうすぐ軍勢は帝国との境界線を超える。不思議と辺境伯領の兵が1人も境界線の近くに見当たらなかったが、奇襲が成功したのだろうと勝手に兵隊達は思っていた。
そんな様子を崖の上でレーテンブルグ候と皇子は見ていた。
「皇子よ。もうすぐ境界を超えます。そこから我らの蹂躙と歴史が始まるのです。」
レーテンブルグ候は実に朗々とそう楽しげに語る。‥‥その顔に上っ面な笑みを浮かべて。
「‥‥。」
彼の目の前にいる皇子、褐色の肌と藍色の髪、アーモンドのような目を持った、美少年と誰もが讃える容姿をしていた。きっと母に似たのだろう。父であるナーバルの面影はその褐色の肌しかない。
そんな彼は確か、千里眼という遠見ができる目を持っているらしい、とレーテンブルグ候は聞いたことがある。千里眼とは魔眼の一つで、文字通り、周囲の半径千里全て、見渡せる目だ。そんな彼をナーバルが推したいのも分かる。千里眼なぞ持つ存在は千年に一人とも言われるからだ。
だが、そんな千里眼の皇子は軍勢が帝国との境界線から1歩出たと同時に呟いた。
「‥‥やられたな。」
「?皇子?」
その途端。
凄まじい爆発音が侵攻していた歩兵部隊と騎兵隊の方から聞こえた。




