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春遥か  作者: カオリ
9/9

卒業(後編):さよならさよなら、大好きだった忘れない。愛しい日々にカーテンコール!

例えば一週間前のあたしなら、今こんなことはしていない。それが三年続いた腐れ縁の相手だったとしてもそいつの為に、わざわざ家の近くまで帰ってから学校へ戻るなんてことは。


(……怒濤の一週間だったな)


電車に揺られながらぼんやりあたしは考える。受験勉強をしているときよりずっと、時間が足りないような気がしてた。高校生活の最後。ハルカのバンド。卒業式。


(で、シメがこれか……)


あたしは今から、ハルカの話を聞くためだけに学校の傍まで戻る。何を言われるのかは正直考えたくなかった。あたし達の前から消える言い訳なら、聞きたくもない。

……あの頑固者にはあたしが何を言ったってどうにもならないんだ。だからゴメン井沢、とあたしは心の中だけで謝っておく。アイツに面と向かって謝罪したことなんてないけれど。

あたしは一つだけ、決めてることがあった。昨日家に帰って風呂に入りながら、指先がふやけるまで一人で考えた末の結論だ。あたしはそれを、きっと実行する。それはきっと、井沢があたしに頼みたいコトとは違う。


(だから、ごめんな井沢)



――昨日ハルカに逃げられたあたしの心中が穏やかであったはずなどない。今日だって学校でへらへらしてるあいつの胸ぐらを、何度掴んでやろうと思ったか知れない。


それでもあたしが冷静に半日を過ごせたのは、昨日のうちに自分の行動を顧みることだけはしておいたからだ。それで、ちょっと待てよと思ったからだ。

……よく考えればあたしは昨日ハルカに、とんでもない事を口走ってしまったのだった。怒りに任せて衝動的に、遠回しな告白をしてしまったのだ。あたしは自分の気持ちを認める気なんてさらさら無かったのに、その場の勢いで。しかも電車の中。

……湯船の中でそれに気付いた時には死にたくなった。


あたしには木田や柳瀬がどーこー言う資格は全く無い。志乃のあの笑顔も、本当は何か知ってるんじゃないかとか思うのは気にしすぎだろうか。

とにかくあたしは自分から墓穴を掘りに掘りまくった結果、それに触れられたくなくて、学校では一切ハルカに近寄らなかった――近寄らずとも向こうから来るんだけど。ハルカの態度は、普通だった。


もしかしたら昨日のアレはあたしの夢だったのかなって思う。夢ならもう少し楽だった。

でも、現実。それがわかっているからあたしは、今こうして電車に乗っている。ハルカに言ってやりたい言葉がある。


「でもとりあえず、会ったら一発殴ろう」










そんな密かなあたしの決意は、寸分違うことなく実行に移された。


「あだ―――ッ!」


情けない悲鳴をあげるハルカは、学校裏に位置する小ぢんまりとした公園のブランコに腰掛けていた。家へは帰らず戻ってきたのだろう、制服のままだ。

それはあたしも同じで、プリーツスカートの隙間から入り込む風が冷たい。三月はやっぱりまだ春じゃないな。思いながらハルカの横、一つ空いたブランコの台にどかっと腰を下ろした。低くて冷たい。座り心地は最悪だけれど。


「な、何で殴るのー」

「うるせェよ、」


自分の胸に聞いてみろ。吐き捨てるとハルカは薄ら涙で滲ませた目をぱちぱちやって、それからふと黙り込んだ。

あたしが憤る理由は、きっとこいつが一番良くわかっている。わかった上で呼び出したのだから、なかなか肝が座っているのかもしれない。……何も考えていない馬鹿なのかもしれないけど。


「……でも、来てくれたんだね」

「言っとくけど、あたしは」


ぽつりと呟いたハルカの声に被せるようにして言う。横で驚いたように黙った気配がしたけれど、あたしはそっちを向かなかった。


「あたしは、アンタを許したわけじゃない」

「はるちゃん……」


いつものようにあたしを呼ぶ、その声には絶望も困惑も感じられなかった。ただありのままを受けとめる、凪いだような静けさだけがある。

それであたしは確信した。再認識、と言ったほうが正しいのかもしれない。本当にハルカは決めたのだ。これが、最後の確認。


……あたしのすることは、決まった。


「……僕、はるちゃんに言わなきゃいけないことがあるんだ」


ぴゅうと音を立てて冷たい風が吹いた。夕焼けと影の匂いを閉じ込めたそれを吸い込んで、あたしはゆっくりハルカを見る。


「……言えば」









久世遥と出会ったあの日の自分は、今日のことなど想像できなかっただろう。なよなよして泣き虫の同学年男子。きっと他の出会い方をしていたら、確実に軽蔑の対象になっていた。

こいつの笑顔を見ること、こいつの内面に触れること。井沢と一緒に振り回されてやった三年間。あたしの記憶に刻まれたのと同じように、ハルカの心にも色を付けた。


「楽しかった」


ぽつり、ぽつり。思い出話を柔らかく語る、幸せそうなハルカの顔に影がかかる。太陽が沈んでゆく過程を、あたしはハルカを通して見ていた。


「今までの僕は本当に弱虫で、一人じゃなんにもできなくて。はるちゃんや健吾に会うまでは、表面だけの友達で誤魔化して」


家に帰っても、そこにいるのは偽物の僕で。

言いながら、困ったようにハルカは笑った。何処にいても何をしていても、自分の姿が見えなかったこれまで。


「でも、はるちゃんは僕を叱ってくれるんだよね」


しっかりしろ、泣くな、男だろ。この三年間、何度ハルカに対してあたしは怒鳴り散らしただろう。

久世くんは優しいからね。久世くんだから、仕方ないよね。人の陰に覆われて弱く生きることを黙認されたハルカを、あたしは皆の前に引きずり出した。


「はるちゃんは、気付いてくれてたんだ」


言われなくてもわかってる。あたしはずっと、ハルカの優しさは自分を犠牲にした上に成り立つものだと知っていた。誰の害にもならないように、誰にでも優しく接することに慣れていたハルカ。けれど、誰とも深く関わろうとしなかったハルカに、あたしは苛々しっぱなしだったんだ。

面倒臭がりなのに根は世話焼きのあたしと、そんなハルカを引き合わせたのがお節介代表・井沢。


「ごめんね、はるちゃん」


ガチャリと鎖を揺らして立ち上がり、あたしの目の前でハルカは頭を下げた。


「今まで、たくさんメーワクかけました。ごめんなさい」


久世遥の人生は、あたし達に出会って初めてスタートラインに立ったのだと。ハルカは本当に、そう思っている。


「僕ははるちゃんや健吾がいてくれなければ、駄目なままだったよ」

「……ハルカ」

「我儘を、許してほしいんだ。たくさんたくさん助けてもらったのに、僕は勝手にいなくなる。何一つ、恩返しできないままで」


ごめんね。

もう一度深く頭を下げたハルカを見た瞬間、ぐにゃりとあたしの視界は歪んだ。堪え切れなくなったものが溢れだそうとしているのに気が付いて、我慢の限界で、あたしは勢い良くブランコから立ち上がる。


「馬鹿!」


スパン、と小気味良い音がした。追って感じた掌の痺れで、自分がハルカの頭を叩いたのだと知る。本日二回目。

勢いで頭が地に沈みかけたハルカが驚いて顔を上げた。その瞳が涙を湛えていて――原因は物理的な痛みじゃないこともわかって、あたしは声を荒げる。


「な、に、謝ってんだ大馬鹿者っ!」

「え、ご、ごめん……あ」

「泣き虫のくせに! まだまだ駄目人間だ、お前なんて……!」

「……ごめん」


そっとハルカがこちらに手を伸ばす。行動の意味がわからないうちにその指があたしの頬に触れて、拭うような動きをした。

……今更あたしは、自分が泣いていたことに気が付く。


「ごめん」

「違うだろ、ハルカ。お前あたしに、言うことがあるだろ……」


言えばハルカは小さく瞬いて、その後ふっと肩の力を抜いた。笑ったんだろう、目尻に柔らかく皺が寄ったのがわかる。


「……最後まで駄目だね僕。ごめんね」

「うん」

「ごめんね、はるちゃん」

「うん」

「……本当に、ごめん」

「しつこい」

「……ありがとう」

「うん――それから?」


寒いのと泣いてるのとで鼻を啜った、あたしの直ぐそばでハルカが息を吐く。気付いたら距離が近くなっていた。ハルカがゆっくりと、あたしのほうに両腕を伸ばしてくる。


「大好きだよ、はるちゃん」

「…………知ってる」

「へへ」


最後まで可愛さの欠けらもない、仏頂面で呟いたあたしの傍でへにゃりとハルカは笑った。抱き締められる形になってわかる、ハルカは暖かい。

返答を求める告白ではなかった。自分の気持ちに整理を付けるために、ありのままの事実を告げただけ。それがわかっていたからあたしは、抱き返す為に腕を動かしたりはしない。

代わりに掌を持ち上げて、ハルカの頭上に着陸させた。そのままわしゃわしゃと細い髪の毛を掻き混ぜる。


可愛い可愛い、あたしのハルカ。ここから旅立ってゆく、やっと前を向くことのできた、愛すべき馬鹿。


「……ん」


身体を離して手を差し出せば、ハルカは小さな子供みたいにきょとんと首を傾げる。あたしは自分の目的を達成すべく涙を拭った。息を吸い込めば、夜の匂いに変わっていた。


「手、出せよ」

「はるちゃん?」

「……べ、つに手ェ繋ぐとかじゃないから。握手だよ、握手!」


言ってる傍から恥ずかしくなってきて、誤魔化すように勢い良くハルカの手を取る。細くて薄っぺらい、それでも男子特有の節くれだった手。目を白黒させるハルカを無視して、あたしはぎゅっとそれを握り締める。


「……頑張れ」

「え?」


ハルカが本当に自分の行くべき道を見つけたのならば、あたしのするべきことはなんだろう。考えて、考え抜いて出した結論だった。

それはこいつのやり方を否定することでも、束縛することでもない。受け入れて、引き上げて、背中を突き飛ばしてでも前に進めてやって。それがあたしのいつものやり方だから。


「あたしは、アンタの選んだ道を信じてる。だから、これは激励の握手」

「はる、ちゃん」

「……頑張れ。頑張れ、久世遥」


合わせた掌がぐっと握り返されるのを感じた。ハルカからの返事。

三年間、毎日のように傍にいた。飽きもせず肩を並べて、ふざけたことばかりして。高校という箱の中にいる以上いつかはやってくる別れに一歩ずつ近付きながら、同じようなことばかりを繰り返した毎日。

長い人生の一通過点にしては、上出来だった。


(ハルカは、わかってないよ)


くだらない毎日がいかに鮮明だったか。怠いだけの学生生活に色がつく、大切な要素。周りが見えなくなるくらいに降り注いだ優しい感情の出所は、他人を愛しく思うこの気持ちを教えてくれたのは、アンタなんだ。

何一つ返してないなんてことない。この両手に抱えきれないほどのものを、あたしに残して。


「うん、頑張る……」


あたしはそれを言葉にせずに、ハルカの応えだけを聞く。


(――アンタの背中を、押すよ)









その日の夜、久世遥は何事もなかったかのようにクラスの打ち上げに参加した。待ち合わせの場所までは井沢を誘って三人で。

学校の近くにあるお好み焼き屋で散々騒いで、半ば追い出されるような形で店を出た後は流れ解散になる。家の門限がゆるい何人かは二次会と称してカラオケに向かうみたいだけれど、あたし達はそのまま帰ることにした。井沢は帰りに寄るところがあるというし、あたしも少しだけ志乃と喋りたかったから解散は店の前。


「じゃあ、バイバイ」


そう言ってあたし達はお互いに背を向けた。またね、でもサヨナラでもなく、明日も明後日もまた同じ日々が続いてゆくように。


「あ、篠崎さん」


学級委員長――といってももう終わりだけど――に声を掛けられたのはハルカと井沢の背中が見えなくなって五分以上経ってからだった。志乃と一緒に店の前に立っていたあたしに近付いてくると、委員長はちょっとだけ首を傾げる。


「久世くん、一緒じゃないの」

「帰ったよ」

「あちゃー。これ、久世くんのだと思うんだけど」


言って委員長が取り出したのは少し汚れた携帯電話だった。あたしにも見覚えがある、それは間違いなくハルカのものだ。

クラス全員の会計を最後まで残ってまとめていた委員長が見つけたらしい、その携帯電話はひっそりとテーブルの下に置いてあったのだという。


「篠崎さんならまた久世くんに会うことあるよね? 渡してもらえる?」

「……わかった」


そう返事をしたけれど、あたしは知っていた。ハルカはわざと携帯電話を忘れていったのだ。

あたしと井沢、その他数人の軽音楽部員と僅かなクラスメイト。たったそれだけのメモリーが入った携帯。自宅の番号さえ入っていない。

住所も連絡手段も全て手放して、ハルカはこの町を出ていく。明日の早朝には発つのだと、本人に聞いた。


見送りには行かない。代わりにあたしは井沢を連れて、このハルカの携帯を捨てに行こう。場所は町の外れにある、あいつのお気に入りの川が良い。去年三人で花見をした、桜並木のある場所。


(――頑張れ)


未練が全く無いといえば嘘になる。でもあたし達は今やっと、自分達の道を進みはじめるから。

始まりさえしない恋の終わりと同時に愛を知った。優しい気持ちの破片を得ることができたあたしは、少しはまともな大人になれるかもしれない。


もしこの先あたし達の道が一瞬でも交差して、再び出会うことがあるならば。

あたしはとびきりの笑顔を見せてやろう。少しは男らしくなっているであろうあいつを見たら、きっと笑える。




あの歌のようにどこか、この世界の片隅で。






















春遥か(終)

完結です。本当は昨年の自分の卒業式に合わせて書き始めたのですが、実生活が思いのほか忙しく中途半端になってしまいました……。一年越しって……(滝汗)今年は閏年なので曜日等ズレが生じていますが見逃していただければ幸いです。最後までお付き合いくださった方に心から御礼申し上げます。ありがとうございました!

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